松原照子さんの「幸福への近道」より
いきなりダーウィンが登場
<世見>2016.1.6
書いても、書いても、書きたいことがある。
最近では眠っていても書く文章が浮かぶ。だからと言って目覚めると書こうとした文章を忘れています。
私的には、不思議な世界の方に歴史上の人物の裏話を教えていただく時が、心が弾みます。
『月刊ムー』の新年号をお読みいただけていたら嬉しいのですが、今月からもこの世見や月刊SYO(有料サイト)で書いたことをムーの編集部が調べてくれることになりまして、今年からの企画は、私に見る・聞く・感じるに拍車をかけてくれたみたいです。
『月刊ムー』の2月号も編集部が調べてくれた結果を読み、フェ~とか ウソ~とか、私こんなことを書いたのだとか 他人事のように喜びを爆発させました。
イスラエルに興味のおありの方は1月9日発売の『月刊ムー』をどうかお読みくださいネ。
私自身は、書いている時は書きたいこと満載なのですが、書き終えると不思議なくらい自分が書く行為をしていたことすら忘れると云うより、遠い過去の出来事に思ってしまいます。
勿論、内容もかなり消去されている気もしています。
今日もいきなりダーウィンが登場。
「ダーウィンは医学校在学中手術の現場で卒倒した」
こんなことを突然書いてしまい自分でも驚いています。
「人口の原理」とは、どのようなお話なのかわかりませんが、ダーウィンの考え方がわかるかもしれないと思ってしまいました。
「種の原理」こんな言葉も聞こえた。
種の原理とはいったいどんなことなのか。
でもネ。種って、どことなく神秘的だと思いませんか。
ダーウィンの心の内に今宵は入って見たくなりました。
<転載終わり>
照子さんがおっしゃるように、「月刊ムーの1月号」から、世見の検証が始まりました。
まず最初の検証は、照子さんがふっと書いたこちらの一言が発端となっているのです↓
最近、行きたい国々
<世見>2015.7.12
麻雀をおやりになったことはありますか。麻雀の発祥は中国です。
宮廷人が好んだゲームが麻雀。清の末期には中国全土に広がったようです。
日本においては大正末期から流行始めたようです。
昭和四年 日本麻雀連盟が誕生。
初代総裁は菊池寛。
菊池寛は負けると「くちきかん」になったそうですよ。
人ってネ。誰かとしゃべりたくなる話ってあるのですネ。
今日は麻雀のお話からスタートいたしましたが次に何を書くのか未だわかりません。
私ネ。最近、行きたい国々があるのですよ。
ロシア エジプト ドイツ イタリア チベット インドそれとアメリカ。
理由はわからないしアメリカを除けば今後行くことはない気もしています。
「エカテリノスラフ」この地名がどこの国なのだろうと今浮かんだ地名と思われるエカテリノスラフ。
それとバーモント州のチッテンデン。
ニューヨーク47番通西302の HOTEL SHERMANにも行ってみたいのですが、このホテルってあるのかなぁ。
又、ニューヨークにこんな番地って存在するのかなぁ。
今日、ブルーグレーのおばちゃまが四時起こしてくれました。
何となく今書いたところってブルーグレーのおばちゃまとご縁があるようにも思いますが、
「エンリコ・レスタさんと今も仲良くしています」
とブルーグレーのおばちゃまは言っておられたのですが、エンリコさんって誰なのですかネ。
<転載終わり>
照子さんが、ニューヨークの旅を計画し、具体的な日程などが決まった頃、不思議な世界から『ニューヨーク47番通り HOTEL SHERMAN』という言葉と映像が入って来たんだそうです。
そして、10月に実際にニューヨークに行った所、アメリカ在住の照子さんの知人がその通りとホテルが実在するかを調べておいて下さったのだそうです。
その事を世見でも書かれています↓
ニューヨークでの“ビックリ”
<世見>2015.11.30
私ネ。この世見は特別な思い入れをしているのでもなく、コーヒーと好きな音楽そして原稿用紙があるだけで時の経つのを忘れ至福の世界を一人占めしている思いになれるのです。
だからかも知れませんが、書き終えると、思い出そうとしないのかそれとも書くことで心に忘れ物がなくなったのかは別としても“スッキリ”だけが残ります。
そんな思いの私を、時折自分でも声を出して驚きを表現したくなる感動を与えてくださる方がおられます。
この間、ニューヨークに行った時のことです。
以前から日本に帰国されると逢いに来てくださるアメリカ在住のチャーミングな声の持ち主の女性が、私を喜びの世界に連れて行ってくれたのです。
今、こうして書き始めても、いつその事をどのように書いたのか思い出せないのですが、「世見」でニューヨーク47番通西302ってあるのかなぁ~?「HOTEL SHERMAN」もあるのかなぁ~?
こんなことを書いていたそうです。
その方はこのことが気になり調べたら、この番地がありHOTELの名前は違っていたのですが、経営者がSHERMANと云うお名前だったのでビックリされて、私がニューヨークにいることを知っておられたのでこのHOTELが見たくて逢いに来てくれました。
私もご一緒したかったのですが、その方が足を運んで来て下さったのですが、そこが私が宿泊していたホテルから地下鉄で2駅向こうだったのには二度ビックリでした。
私の書くことがもしかすると真実? と私も思いたくなる出来事でした。
私のことをこうして支えてくださる方々に感謝します。
又、私の書いたことを検証して下さい。
書く勇気を与えてくださる方に感謝します。
<転載終わり>
ニューヨーク47番通り西302のシャーマンホテルの2階には、照子さんと関わりが深いある女性が住んでいたようです↓
ニューヨークのH・P・B?
<世見>2015.12.3
「12月」と書かれた暦を見ると、ウァ~ 今月で今年も終わりだぁ~と毎年の行事のように思ってしまいます。
いつもながら今頃になると、書くことが年内なのか来年なのか、世の中の動きを書きたくなる度に思います。
昨日書いた続きになってしまうのですが、今日ニューヨークの旅を思い出していたら、ニューヨーク47番通西302には、H・P・Bという人が二階に住んでいたようなのです。
H・P・Bとは誰なのでしょうネ。
そしてネ。昭和57年頃はやっぱりHOTEL SHERMANだったと聞こえた気がしたのです。
もしかすると もしかするかもしれません。
だぁってネ。私、ニューヨークってこの間訪れたのが初めてだし、五番街のマリーの歌で五番街は知っていたけど、47番通りなど思いもしませんでしたものネ。
それとネ。又々 こんなことを教えられた。
ビーヅリ―と云う写真屋さんがH・P・Bの写真を撮ったのですって(?)。
それよりも心がググッと来たことは、H・P・Bと云う人が十月中頃ニューヨークに帰って来たというお話は偶然でも、私がニューヨークに行ったのも十月中頃、何となく嬉しくなってしまいました。
何が何だかわからないのですが、ニューヨークのH・P・Bの客室で名のある協会が崩壊し始めたそうです。
その場所がニューヨーク47番通西302。
ホテルの前はラマ僧院?
今見えた絵のような一枚は、5階建てで屋上の煙突から煙が出ています。
その後のホテルも5階建て。
昭和57年というと、私って11才でした。
<転載終わり>
この一連の内容は、バラバラに読むと私たちには全然意味が分からなく、照子さんだけが感動している風になってしまいます。
けれど、ムーの編集部でも検証を試みた所、ニューヨークの47番通りは、現在エコノ・ロッジというホテルになっており、支配人は確かにシャーマン氏だったとのこと。
そして、やはりかつてはそこにシャーマンホテルが存在していた事が分かりました。
さらに調べていくと、その場所がシャーマンホテルとなる前、そこには神智学協会のロッジがあり、ラマ僧院と呼ばれていた事も分かったのです。
だとすると、H・P・Bなる人物は、ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァッキーという女性に他ならない事が判明したのです。
何と!彼女はオルコット大佐と共に、その建物の2階に住んでいたというのです。
照子さんの世見で、度々「ブルーグレーのおばちゃま」として登場するのが、このブラヴァッキー夫人なのでした。
ブラヴァッキー夫人(1831年8月12日 ~1891年5月8日)は、近代神智学を創唱した人物で、神智学協会の設立者のひとりでもあります。
彼女は、チベットに7年以上滞在しチベットでジュワル・クールとよばれるマスターから奥義を伝授されたと言われています。
その22年後、パリでジュワル・クール大師からNYへ向うよう指示されたブラヴァッキー夫人は1873年の夏アメリカ大陸へ渡りアメリカ市民となりました。
初代神智学協会の会長だった退役軍人のオルコット大佐は、その当時ジャーナリストで心霊術の取材中にバーモント州でブラヴァツキー夫人と出会っています。
その当時ブラヴァツキー夫人は霊媒として交霊会を開いており、オルコット大佐はブラヴァツキー夫人が霊に支配されるのではなくて、むしろ霊を従わせる態度に深い感銘をうけていたそうです。
ブラヴァツキー夫人にとって心霊術は目的ではなく手段にすぎなかったようで、スキャンダルさえも肥やしにするようなエネルギーが彼女にはありました。
そして彼女は、失われた古代の知識を伝え人々に霊的覚醒をもたらすことが自分の使命と自覚していたそうです。
そんな頃、オルコット大佐にエジプトのルクソールから、セラピスト・ベイというマスターから手紙が届いたそうです。
手紙の内容は、「ブラヴァツキー夫人はこの世界で特別な任務を持っているので、どんな犠牲をはらっても彼女を守らなくてはいけない」というものでした。
マスターによって自動書記で書かれた「マスターレター」は突然空から降ってきたり、忽然と食卓に出現したりしたそうです。
当時から不思議な世界に囲まれていたブラヴァッキー夫人が、今は照子さんの所に度々訪れているのです。
ブラヴァッキー夫人の「特別な任務」とは、「失われた古代の知識を伝え人々に霊的覚醒をもたらすこと」でしょうか。
だとしたら、今もなお、その任務は照子さんにも引き継がれているのかも知れません。
照子さんの「世見」を掘り下げて知ることは興味深いですね。
「月刊ムー2月号」は、1月9日の発売です。