誰が核兵器を保有を認めたのか
<世見>2015.8.9
日本のこれからの進路の舵取りを、本当のところ誰が握っているのでしょう。
国会議員の先生方は、選挙後次なる選挙があるまで当選すると安泰期なので、ご自分の政治家としての立場作りや意欲も大いに沸き立たせていることと思いますが、選挙の風が吹くと、よほどの地盤がある先生方以外はご自分の選挙区に気を走らせ「国政」を忘れられておられるようにも思います。
日本が置かれている現実とは一体どのようなことでしょう。
もうすぐ戦後70年を迎えます。
玉音放送をラジオの前で正座をして聴いたと話してくれた両親はもう今世にはいません。
戦争が終わった次の年に生まれた私は、日本が経済的に成長する波に乗るのを肌で感じながら生きて来ました。
あって当たり前のパソコン、携帯電話。時代が大きく変化するのを見ても来ました。
核兵器の恐ろしさも、広島から引っ越してきた人の火傷の後を今もしっかりと目に焼き付いています。
オバマ大統領が「核兵器のない世界における平和と安全保障を追求する」とアメリカの約束としてチェコのプラハで演説。
アメリカは核兵器を使用した国としての道義的責任があるとも言いました。
核兵器の保有を認められている国があるのに私は驚きます。
いったい誰が核兵器を保有することを認めたのでしょう。
「アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国」この5カ国が認められた国で、インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮は核兵器を開発、イランはウラン濃縮を進めているとか。
第三次世界大戦はボタンひとつでスタートします。
コンピュータが誤作動したらどうなるのだろうか?ハッカーにやられたらどうなるのだろか。
<転載終わり>
70年前、広島を壊滅させた原爆の巨大なきのこ雲の下での惨状を記録した写真が世界でたった2枚だけ残っているそうです。
それがこの写真↓
原爆投下の3時間後、かろうじて壊滅を逃れた爆心地から2キロのところにある「御幸橋」の上で撮影されたものだそうです。
この写真を撮影した松重美人氏は、当時は戦意を削ぐような写真撮影は禁じられていたにもかかわらず、伝えなければならないという思いでシャッターを切ったと言います。
しかし、一枚目の写真から少し近づいて2枚目を撮影した所で、涙があふれもうそれ以上撮ることは出来なかったそうです。
その地はもはや地獄と化していました。
NHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたのか」より
そして、それから3日後の8月9日。
再び長崎が地獄となりました。
その長崎の地でも、人物の写真撮影は禁じられていたのに、撮らないではいられない衝動を抑えられないアメリカ人がいました。
『焼き場に立つ少年』を撮ったジョー・オダネル氏です。
この写真とオダネル氏の事はこの時期になると毎年記事にしています。
2014年の過去記事
2013年とそれ以前の過去記事
詳細をお知りになりたい方は、こちらの動画は必見です↓
NHKスペシャル「解かされた封印 ~米軍カメラマンが見たNAGASAKI」(約50分)
彼らは、なぜ禁じられていたと言うのに、写真という記録を残したのでしょう。
それは、原爆の悲惨さを後世に伝える為以外の何物でもありません。
原爆投下後の倒壊した建物の写真よりも、やはりそこに生き残った人々の写真は、見る者にその人々の心の中までもが見えてしまうのです。
広島の写真に写るこの少女は、黒こげの赤ん坊を抱いて「起きて!起きて!」と半狂乱で叫んでいたそうです。
おそらく生まれたばかりの妹か弟なのでしょう。
長崎の少年の想いと通じるものがあります。。。
安倍首相は、2002年5月に早稲田大学で開かれたシンポジウムで、
「憲法上は原子爆弾だって(保有する事は)問題はない。小型であれば。」
と発言しています。
それが抑止力のためであろうが、テロに遭い爆発したり、他の国で使われたりする事を想像した事があるのでしょうか。
国のトップに立つ人にこそ、広島・長崎での撮影者がどういう想いでこれらの写真を撮り後世に残そうとしたのかを考えて欲しいです。
日本はそういう意味で、平和を世界に発信できる唯一の被爆国だという事を忘れてはいけないのです。
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