どういうご縁なのかな? | misaのブログ

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遊びに来てくださって ありがとうございます!

かなり古くからのブログ仲間にnutanさんという女性がいます。

彼女は元CAで、とてもキレイな方なんですが、龍神さまやいろんなものも視えてしまったり、神様からのメッセージも入る方であります。

nutanさんのブログ

羨ましい能力の一端↓
だって、、、視えちゃったんだもん(アメンバー限定記事)

その彼女から、ある日電話がありました。

「私、今misaさんちの近くにいると思う。」

「は?どこ?」

聞くと歩いても10分もかからない場所である。

何でも、旦那様のご実家のお墓参りに来たそうで、「そう言えばmisaさんちも静岡だったな」と携帯でうちの住所を調べたら、何と同じ地名だったとの事。

ブログでnutanさんが車でお墓参りに行く事は知っていましたが、それがまさかうちのすぐそばだとは思いもしませんでした。

静岡県と言っても広いのに、何故、我が家のすぐそばなんでしょう?

その日は、時間がないようなのでお会いしませんでしたが、何だかすごくご縁を感じました。

nutanさんのその時のブログ↓
お墓参り
あらぁ!!

不思議なご縁は、それだけではありませんでした。

日曜日に私は、両親と法事で宝塚市に行って来たのですが、何とその日、nutanさんも大阪や宝塚にご神事に行っていたというのです。

nutanさんが行って来たという場所を調べたら、私たちがいた所から阪急宝塚線の駅にして3つ目、車で10分くらいの場所でした!

またしても激近!

何という偶然。私は何十年ぶりかの関西なのに、まさか同じ日にこんなに近くの場所にお互い日帰りで行くとは。

私たちって、どういうご縁なんでしょうね。不思議です。

そして、シンクロはもう一つありました。

宝塚市の親戚の家で法事をしたのですが、その時、叔父さんが「今日はこれをみんなに読んでもらいたい。」と模造紙を指差しました。

そこにあったのは、『白隠禅師坐禅和讃』でした。

何を驚いたって、私はこれまで何度となく「白隠禅師」の事を記事で取り上げていたからです。

駿河の名僧のことが、関西の親戚の家で話題に出るとは思いもよらない事でした。

白隠禅師は、日本で最初に「丹田呼吸法」を広めた人で500年に一度の名僧とも云われ「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで謳われている方です。

そして、我が家のすぐそばに彼のお墓があるのを発見してしまいました。

その時も偶然に白隠禅師のお墓に辿り着いたのでした。

スターチャイルドという宇宙人の頭蓋骨→かぐや姫→竹取塚→白隠禅師のお墓

http://ameblo.jp/aries-misa/entry-10336901105.html

宇宙人の頭蓋骨から白隠禅師のお墓に辿りつくのが凄いでしょ。

記事にしそびれてますが、実際に白隠禅師のお墓にもご挨拶に行っています。

何でかこの方と私、ご縁があるのですよ。

丹田呼吸法
これはすごいよ「軟酥の法」

でも、叔父さんに「misaちゃん、だいたい読んでいて意味分かるでしょ?」と聞かれた『坐禅和讃』ですが、ぜ~んぜん(汗)

なので、帰ってから意味を調べたら、なかなか良いことが書かれていましたので、ご紹介しておきます。

★★★★★★★★★★★★★★★★★

『白隠禅師 坐禅和讃』の意味

http://shofukuji.net/5hakuin.htm

迷える心を持つわたしたちも本当は 仏なのです
それは ちょうど水と氷のようなもので、水がないと氷ができないのと 同じように、わたしたちを ぬきにして仏は ありえません
わたしたちが仏であることを 知らずにあちこち 探しまわるのはむなしいことです
それは、たとえば水の中にいながら水をくださいと 叫んでいるようなものです
本当はとても幸福なのにそのことに気付かず「わたしは不幸だ」と嘆いているのと同じことです
いつまでも苦の世界から抜け出すことができないのは、自分の境遇をくよくよと 嘆くからです
その 長い長い闇を通り抜けて、生きる・死ぬ という想いから離れることが肝心です
そのために「禅定=こころを落ちつける」という行いは、わたしたちにとって大きな支えとなることでしょう
他人への施しや自身への いましめなどの行うべきこと、ご先祖さまを おまつりすること、自分を反省すること、さまざまな よい行いがありますが、それらはみんな「禅定=こころを落ちつける」の中に含まれるのです
ひととき、心をおちつけて静かに坐った人は悩みごとなど実はなかったんだ、と気付くのです
悪い出来事などいったいどこにあるというのでしょう
極楽はいま、ここにあるのです
ありがたいことに、この教えを一度でも耳にしたときに、深くほめたたえて信じ、うけいれる人は、かならず幸福を手に入れることでしょう
ましてやみずからひたすらに祈り、お唱えをして本来の自分を感じとることができれば、生きるとか死ぬとか男だとか女だとかの区別なく、その瞬間、すでに愛着や煩悩からはなれているのです
私たちは今、仏と一体になったのです!
この ただひとつの真実を歩んでいきましょう
真実には 本来決まった形がないことを感じ、どこに行ってもそこにやすらぎをみいだしましょう
こだわらず、心おだやかに毎日をすごせば、行いがそのまま仏法となりまわりの人を救います
心は澄み切った大空のように、自由に どこまでも広がり、煩悩を離れた清らかなお月さまが輝いています
このような時、ほかに何を求めるというのでしょう
心が静まり、究極のやすらぎが得られた今、この世がそのまま極楽であり、この身がそのまま仏なのです

★★★★<転載終わり>★★★★★★★★

これらのシンクロは一体何なんでしょうね。ご縁って面白いです。

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