さて、今回の『移住当初の私』シリーズは、
おそらく読者の方々もドン引きされることでしょう
なんせ私自身もどん引きしてるので
でも、包み隠さず書きます。
5年の節目として残したい移住当初の私の記録なので
さぁ、心の準備はいいですか~?笑
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移住してからというもの、私達は毎日のように喧嘩をしていた。
使い終わったコップを流しの中に置くか外に置くかという些細なことから、
文化の違い、考え方の違いによることなど(例えば、すぐに謝らないボーと、まずは謝るのが先と考える私…とか)。
しかし、殆どの大きな喧嘩の原因は、
孤独が故に常に苛々モヤモヤしていた私の、ボーへの八つ当たりだった。
この頃の私はボーが受け付けられなかった。
私がこんなに孤独なのはボーのせい。
こんな場所で生活をしなきゃいけないのも、こんなに孤独なのも、こんなに憶病になってしまったのも、
全てボーのせい。
そう思っていた。
パーティー後は必ずと言っていいほど喧嘩をした。
「なんであの時一人にしたのか」、
とか、
「どうしてあの時こういう風にしてくれなかったのか」、
などと文句を言っていた。
で、ボーも最初にまず謝るということを当時はしなくて、
言い訳ばかりするので、それに対してまた私がブチ切れる。
そして最終的には、
「もう日本に帰る!
こんなところいたくない!
家族が恋しい!!」
と言う私。
それに対してボーは、決まって、
と私を慰めようとしていた。
しかし、それがまたカチンときて、
とブチ切れる私。
あるときはこんな些細なことだった。
外国人は愛情表現の一つとして、パートナーを「ベイビー♡」とか、「ダーリン♡」などと呼ぶことが多い。
ボーも勿論そういうタイプで、移住前まではよく「ベイビー」と私のことを呼んでいた。
私はどちらかと言えば名前で呼ばれる方が好きだったが、
でもそれまではベイビーと呼ばれることに特になんとも思わなかった。
しかし移住してからその表現がもう気持ち悪くて仕方がなくなってしまった。
そして私は言った。
とにかくボーの全ての言動が目につき、苛々しては怒り、暴言を吐いていたのだった。
そこに罪悪感はなかったのか?
勿論あった。
どうしてこんなに酷いことを言ってしまうのか、
こんなことが言いたいんじゃないのに…。
暴言を吐くたびに私は自分が醜くなっていくのを感じ、そして自己嫌悪に陥った。
しかし反省はするものの、また次の日には同じことを繰り返すのだった。
そうして、移住して8カ月が過ぎようとしていた。
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暴言の嵐で、ドン引きでしょ
こんなこと言っちゃいけない、と思いつつも、
もうやめられない止まらない状態でした。
ボーはよく、「I understand.」と言ってきましたが、
当時の私はそれがもう嫌で嫌で、
「何がどうわかるの?説明してみてよ!」
なんてよく突っかかってました
名前のことでも、本当酷いこと言っちゃったな~、と。
この時はボーも傷ついた顔をしていて、私もさすがにヤバいと思い、
「ごめん、気持ち悪いだなんて言って。
でも、私は名前で呼んでほしいの。」
と謝りました。
今は、スウェーデン語でälskling (:ダーリンの意)とたまに呼んできますが、
ろびまろ、とか、ろびまろちゃん、と言ってくる方が多いです。
ちなみに私はボーのことを一度もälsklingと言ったことがありません。
こっぱずかしいのと、やはり名前で呼び合いたいな、という私のちょっとしたこだわりです
(älskar dig(I love you)はちゃんと伝えてますけどね!)
さて、私はずっと実家暮らしで、いつも家族がそばにいました。
うちは結構厳しい家庭だったので(門限とか)、学生のときは一人暮らしにも憧れましたが、
社会人になって、仕事から疲れて帰ってきたら母の手料理がもう食卓に並んでいるという有難味(その時は料理しなくて楽だ~なんて考えてましたが)から、一人暮らしの憧れも消えました。
25歳でワーホリの為オーストラリアへ行った時が初めて家を出るときでした。
それなりに不安もあり、家族と離れることも寂しかったのですが、
現地の生活に慣れると、学校や友達と過ごす日々にすごく充実していました。
バイトやファームなどでお金も稼いでいたし、
友人とシェアハウスに住んだり、バッパー(宿)でも友人とシェアしていて、私の周りには常に沢山の人がいたのです。
それがスウェーデンに渡って、話す相手はボーのみ。
ここに来て、人生で初めて孤独というものに出会い、私の心はそれにうまく対処できませんでした
なので一人になるのが嫌で嫌で、でも人に会うのも嫌で、
パーティーの話が出ると不機嫌になっていましたし、
ボーだけがパーティーに行く、ということにも不機嫌になって、
当日になって、
「行かないで!一人にしないで!!」
と言うことも。
終いには、
「今日は一人でいたくない、会社行かないで~」
なんて無茶な我儘までも言ってしまうという…
これには自分でもドン引きです
でも、この時の私は孤独に耐えられず、正常な判断さえもできずにいました。
でも、ボーは優しいですが、変に甘やかすことはしません。
約束してれば普通にパーティーにも行くし、勿論会社にも行ってました(当たり前だけど笑)。
ここで生活して何が一番辛いかって、
喧嘩した時の逃げ場がないことです。
日本であればコンビニに行って気分を落ち着かせたり、
実家が近かったら実家に帰って、家族に愚痴ってスッキリ!
なんてことができたのでしょうが、
ここには24時間開いてるコンビニもないですし、
家族に愚痴りたくても時差があるので、話したいなと思うときはだいたい日本時間の夜中だったり。
気持ちを切り替えられる場所がなかったのが、とにかく辛かったです。
家にいるしかないのですが、ボーの顔も見たくないし、一緒の空間にいるのも嫌…
ある時、パーティー後の夜中、家に帰ってから大ゲンカをした私達(近所迷惑)。
いつもは優しいボーですが、お酒がはいるとびっくりするくらい冷たくなります
言葉に表せませんが、とにかく冷めたくなり、
私がどんなに泣きわめいても、
シカト。
こうなると私も更に悲しくなってきます。
ここには私を理解してくれる人がいないんだ~
って。
「私のことなんてどうでもいいんだね!」
という私に、ボーはずっとシカト。
ふて寝してました。
もうここにはいたくない、一緒の空間で眠れない!!
私は外に飛び出しました。
時刻は夜中の2時ごろ。
良い子の皆さんは真似しないでください。
夜中に一人で出歩くことはとってもとっても危険です
でも、この時の私は冷静には考えられませんでした。
とにかくどこかへ逃げたかった。
でも、結局どこにも行くあてがなくて、5分くらいで戻るハメになるんですが…
それがまた悲しくてね~。
あぁ、私が他に頼れるところはこの国には無いんだな、
と改めて突きつけられたというか。
帰るとベッドにいたはずのボーはいませんでした。
私のことを探しに行ったようでした。
「もう家にいるよ」
とボーに一言メールをし、
その後、バスルームに行き鍵をかけ泣きました。
家に帰ってきたボーがドアをノック。
「ろびまろちゃん、開けて。」
と言うボーに、
「放っておいて!!」
という私。
もうケアしてほしいんだかほしくないんだか、
自分がどうしてほしいのか全くわかりませんでした。
お母さん、誰か…、誰かお願い、助けて…
と泣き、私はそこで一晩を過ごしました。
それからは喧嘩をするとバスルームに逃げ込みます。
唯一鍵がかかることと、お隣さんの部屋とは隣接してないので思いっきり泣ける場所だからです
こんな状況でも一応世間体は気にする私
とにかく、この時の私は、自分だけが可哀そうだと思っていました。
誰も私のことなんてわかってくれない。
この国で私は一人ぼっち。
悲劇の主人公になっていて、ボーの気持ちなども考えず振り回していたのです。
今ではボーがパーティーに行けば、
「いってらっしゃい楽しんできてね」
と心から言えるようになりました。
勿論、友達と飲み会ができて羨ましいな、と感じることもありますが、
昔みたいに憎悪に満ちた顔でいう事はなくなりましたね
私がボーちゃんだったら、友達との時間を楽しみたいもの。
そんな風に相手の立場になって考えられるようになりました。
また、ボーが変に私を甘やかさなかったおかげで、
私はここでも一人遊びも上手にできるようになってきたし、趣味の幅も広がりました。
きっとあの時私を甘やかして、パーティーや会社を休んでくれるような人だったら、
私はその後も、もっともっとと無茶な要求していたと思います。
母にも、趣味を作りなさい、と言われたことも大きかったです。
試行錯誤で、とにかく興味を持つこと、今ここでできること全てに手をつけていきました。
自分を暇にさせないよう、とにかく必死に過ごした5年間でした。
そうしてできた今の私の趣味は、リラックスできる時間として今の私の生活になくてはならないものになりました