【人間は魂が本質である】
人間と云うのは 実に 面白いものであると思います
私は 自分自身を 見ていて
なんとも不可思議な 動物であると
何度思った事かしれません
この 不可思議な 物体であるかの様な 人間が
しかしその表情に 現わされぬ ところに 実は私の 考えはあり
まさにそれをなさんと している にも関わらず
鏡に写った私の顔は まるで 何事も 知らぬかのような
とぼけた顔をして います
つまり 目に見える 鏡の中にいる私は
私であって私で無い
本当の私は この鏡に映っていない所の
内面に いるのであって
何とも不可思議な 感覚を 覚えたものであります
そして この不可思議な感覚を 感じている私は
同時に 別の私がそれを見ていて
何と滑稽な 姿であると
考えている 私が いるのです
この不思議な 感覚を
体験した事があるだろうか
自分であって自分でない
また 自分でない様でいて 実は自分であり
そしてその自分を見ている もう一人の自分がおり
さらにその 見ている自分を
もっと遠くから 見守っている
存在があると云う事を
私は同時に 感じたのです
鏡の前に 立って そこに写った姿を見ながら
何故か 遙か遠く 上の方から
自分の姿を見下ろしている
もう一人の自分がいたと云う事を
知った時
果たして 本当の私は どこに居るのだと
そんな事を 来る日も来る日も 考えておりました
遙かなる 宇宙から 見下ろした時
鏡の前の私は 小さく見え
しかし同時に
肉体の内に内在する もう一人の自分を感じた時には
非常に大きく見え
この不思議な体験を 通して
人間とはいかなるものであるかと云う事を
私は 深く 考えざるをえません
そして この事は 私だけでなく
どの人にとっても 同じ世界が 展開しているのだと
考えた時 そこに 神の存在を考えずして
理解をする事は出来ないと
云う思いに至りました
誠に この世界と云うものは
不思議なものであります
未だまだ 私は 探求を 続けたいと 思います
Q:貴重なお話をお伺い致しまして、誠にありがとう御座いました。お話の中で「遙か遠く上から」とありますが、貴方様が生前において肉体から魂が抜けた様になっている事があったと記実にありますが、その時はどの様な状態だったのでしょうか?
宇宙に 浮かんでいる
自分が 見えて いました
私は 思いを 出せば
その世界に 瞬時に移動するのだと云う事を知りました
不思議ではありましたが
怖くは無かったし むしろ面白い体験だと
思って どんな所へ行けるか
どんな世界が見えるか
好奇心で一杯でありました
そして 人間と云うのは
魂がその本質であるのだと云う事を
悟ったのです
Q:瞑想されて、その世界へ行かれるのだと思いますが、瞑想の時、丹田に意識を落とす事により、瞬間移動が可能になって来ると思いますが、同じ様な方法をなされていたのでしょうか?
そうです
最初は その様な事も解らないまま
瞑想していましたが
どうやら これは丹田に落とした時が
うまくいくと云う事を 段々に 体得していきました
まるでそこが 出入り口であかの様に 感じられました
Q:丹田に落とす時 自分の思いが湧いてくると瞑想が切れてしまい、また、丹田に落とすのにもう一枚皮がある様な、壁がある様に感じる人が多いと思いますが、どの様にしたら深い瞑想状態になる事が出来ますでしょうか?
自分の思いを無くして
自然のままに 身を任せ
自分の 意識のみに 集中する様にしています
Q:信仰心が無いものがこの様な瞑想を行った場合、悪しき者に繋がる危険性については、どの様なものでしょうか?
信仰の無き者には
丹田に落とす事が難しいと思われます
悪しき方向に 繋がり易いと云う事は 言えるでしょう
しかし 繋がる所まで 行かないのが 通常であります
無理やりに やろうとすると 要らぬ者
悪しきものと 繋がってしまいます
Q:自然のままで、自分が瞑想して行く中で自然とやっていく様にすると良いのですね
はい
ありがとうございました
≪補足説明≫
深く瞑想にはいる時、ソクラテス様は「意識のみに集中する」と言われましたが、これは自分の存在感覚の様な感じと思います。
物質的な手や足の感覚はなくなってしまい、自分の存在感覚は残ります。この存在に集中すると上手くいくと思います。 KU