1992年2月17日
日本ミドル級タイトルマッチ 後楽園ホール
王者:竹原慎二 11勝(10KO) 20歳 初防衛戦
1位:寺地永 6勝(5KO)3分け 27歳
試合前、寺地のヒットマンポーズに竹原がメンチ切りで応じる。
満員の会場がわく。
世は辰吉、鬼塚ブームで熱かった(バブル経済最後期でもあった)。
1R開始。
日本人としては規格外のフレームを持つ両者だが、お互いスピードがある。
特に寺地の動きが良く、上体を使いながらの動きは竹原の精度を狂わせる。
寺地の距離感、ポジションはどこか拳四郎にも通じる瞬間を醸し出す。
ペース争いでは寺地の動きを利したスタイルが上回った。
竹原のパンチも入るのだが浅い。
ただこのうまい寺地に動きに応じるべく、竹原も自分なりにリズムとり動いていた。
強敵相手との実戦で潜在能力が開花していく好例だ。
10-9寺地
2R、ファーストラウンドに比べやや竹原も力まずに左を刺し合うが、フリッカージャブを入れる寺地の左技術が上。
好調寺地。これが裏目に出てクロスレンジで強気の交錯に応じてしまう。
竹原の左フックがアゴをとらえ、ふらつく寺地。
ワンツーを打ち抜ぬいた竹原が痛烈なダウンを奪う。
ダメージは深いが続行(森田健主審)。
すぐに右四発を打ち抜き、竹原が痛烈なKO防衛に成功した(2R2:47KO)。
当時の日本ミドル級としては実にハイレベルな攻防だった。
敗者寺地は生涯戦績で敗れたのはこの竹原戦のみ。
自分がボクシング観戦を始めたころのミドル級は、残念ながらスローテンポ&クリンチ連発で選手層も薄かった。
名前は秘すが、練習に来ないランカーへ
「(ミドル級)タイトルマッチが決まったから練習に来い」とジムが電話。
そのランカーはたった2週間のジムワークでベルトを巻いた・・・。
ジョー小泉氏が献身的な支援をしていた千里馬啓徳も米国修行では、技術、スピード不足でウェルター級王者にスパーで倒された。
その後、下の階級から上げてきた大和田正春の左フックは国内レベルでは抜きんでており、俊才大和武士を退けたが世界を狙うまでは・・・。

それだけに1995年12月竹原信二がこのミドル級世界王座を獲得した際は本当に奇跡を感じた。
日本拳闘界史の中でトップクラスの快挙と言って良い。
当時メジャーリーグへ渡った野茂英雄が「トルネード旋風」を巻き起こしていたが、周囲に「竹原の快挙は野茂以上だよ」と触れまわっていたものだ。
アマ歴もなく叩き上げの竹原が世界ミドル級王座に輝くなどもはや漫画の世界の出来事だ。
現在竹原の様な体躯の若者は、他競技を選択するケースが多いだろうが、村田諒太の成功例を見るようにこのクラスで世界を掴めば相応の報酬が得られる。

竹原もアプローチは違えども、この元ミドル級王者肩書を利して財を成した。
是非この競技を選んで欲しいな。