先日まで30回にわたりWEB上で連載されていた

浜田剛史「我が道」(スポニチアネックス)
浜田が沖縄時代~現役引退までを振り返る企画。
毎回楽しみに拝見した。
浜田の聡明な記憶力には舌を巻く。
これはほぼすべての取り組み細部を記憶していたといわれる大横綱北の湖にも通じる。
この連載で永年の疑問というかモヤモヤが解消された。
浜田ラストファイトとなったレネ・アルレドンドとの再戦(1987年7月)。
現地観戦、2階席から観ていたが、とにかくリングキャンバスが波打っていた。
浜田が踏み込んで打つ体勢になると足をとられるシーンも散見。
観ていてこのリング設営は一体何だと。観客のストレスは溜まっていた。
試合後特に浜田や帝拳陣営からもキャンバスに関してのコメントもなし、スポーツ紙や専門誌も特に取り上げることはなかった。
当時は「脚を使うレネにあえてこの粗雑キャンバスで武器を封じるための謀略」に失敗した(逆に浜田にハンディ)為、陣営から異を唱えることもなかったと考え、それは今でもモヤ感として心のどこかにあった。
しかしこの連載で39年目にして原因が判明。
試合当日アルレドンド側から「リングが小さい」とクレームがつき、測定すると規定以下。
急遽リングを大きくしたのでキャンバスが所々緩んでいた・・・。
浜田自身は「まぁ余談です」と潔かったが、浜田の拳に下半身パワーが載っていなかったのも事実。
そうだったか。
拳闘道を追い求める帝拳がそのような手を使うことが無かったことに安堵。真相がわかってよかった。
リング設営は当時も〇〇社なのかな?時間がなかったとはいえプロの仕事ではなかった。
ただレネも同条件。あの夜はレネが強かったことは事実。
浜田との再戦後、ロジャー・メイウェザーにKO負けしたレネ。
浜田は再起しメイウェザーに勝ち、レネとの第三戦を思い描いていたというが、例の突然の引退宣言。
現代であればそのような判断をしていないし再起もあったと思うが、昭和の時代。
まさに沖縄のサムライの生き方を貫徹した。
そのほかにも実に興味深いエピソード満載で何度読み返しても面白い。
個人的にはジムのライバルで浜田が「入門当時一番と強いと思った」天才谷津弘之とのエピソードがなかったのは残念だが、カットされたのかな??
中学生時代、同じ地元で当時のホープ(後の日本王者で世界王座へ挑んだ)選手をスパーで圧倒。
「大場2世」と期待された谷津だが怪我に泣いた。
また浜田同郷のライバル安里義光は、アマ時代浜田以上に期待されていたが、彼らは世界挑戦まで辿り着けずグローブを吊るした。
浜田も拳の怪我で引退する気だったことを連載で知った。
「世界王座へ挑むのは運90%、実力10%」という浜田の言葉は実に深いな。
スポニチアネックスさん素晴らしい連載をありがとうございました。