全国でもわずか9例しか確認されていない貴重な「家形土器」について考察します。

 

家形埴輪と家形土器の違い

 

家形埴輪

 

時代:古墳時代(3〜6世紀頃)

材質:埴輪(素焼きの土製品)

用途:古墳の周囲に並べられ、葬送儀礼や死者の世界を守るための祭祀的役割     

形態:住居や倉庫を模した形。屋根や柱の構造を再現

意味:死者の「家」を象徴し、来世での住まいを保証する役割

※ 墓の外に置かれる「守り」と「象徴」

 

家形土器

 

時代:縄文時代〜弥生時代(特に弥生期)

材質:土器(祭祀用の器)

用途:祭祀や供献に用いられ、食物や酒を入れる容器として機能

形態:家の形を模した蓋や器。屋根のような意匠を施す

意味:家そのものを「神の宿る器」と見なし、祖霊や神を迎える祭祀的象徴

※ 実際に儀式で使われる「器」

 

 

 

子ノ神遺跡出土の家形土器(上の写真)について

 

神奈川県厚木市「あつぎ郷土博物館」に所蔵される子ノ神遺跡出土の家形土器は、脚台付きの切妻造りで高さ39㎝。脚を付けた倉を表していると考えられます。

 

真上から見ると船の形に見え、中央の楕円形は空洞になっています。この形は船であると同時に「眼」にも類似しており、弥生時代に多く製作された舟形埴輪との関連が想起されます。屋根全体も船の形を意識している可能性があります。

 

「屋根」の「屋」は母屋=母を意味し、再生の象徴と捉えられます。また「根」は建物の根本であり、古代においては土台よりも屋根が重要視されていたと考えられます。

 

船・眼・鏡の象徴

 

古代エジプトや日本において「船」は現世・冥界・天空を巡る重要な乗り物でした。真上から見た楕円形の空洞は八咫鏡の中心の「目」に通じると考えられます。棺自体を船と認識していたとも思われます。またヨモツヒラサカの斜線はこの目に通じる川とも考えられます。古代人は八咫鏡の構造を感覚的に理解していた可能性があります。

 

 

この「目」はエジプト神話のラーの右目、ウジャトの左目、日本神話では伊弉諾尊の禊から生まれた天照大神・月読命に対応します。目の場所は冥界・黄泉と結びつき、水の象徴でもあります。黄泉を「根の国」と呼び、川を船で渡ることで再生を意味しました。楕円の空洞には水や酒が注がれ、生命の根源として祀られたと考えられます。

 

 

古代エジプトでは太陽の船が現世と冥界を循環しました。この家形土器も同様に、循環と再生を祈る感覚で造られたと考えられます。現代的に言えば八咫鏡の構造はトーラス構造(右下の図)を示し、中心が冥界・黄泉・根の国であり、屋根の船が循環する宇宙像を表しています。

 

トーラス

 

家形土器の宇宙的意味

 

古代の「家」は単なる住居ではなく宇宙の縮図でした。屋根=天、床=地、柱=天地をつなぐ軸。家形土器は祖霊・魂・神霊の再生と復活を願い、その力を宿す器でした。そこには祖霊や神からのご加護、ご利益によって、家庭円満、子孫繁栄、諸事順調といった祈りが込められていたと考えられます。

 

※ 八咫鏡の構造の図象はカタカムナ研究家吉野信子氏の著書より引用