頑張るお父さんたちへのエール ~オヤジ力を発揮しよう~ [金曜日担当:管野] | 教育研究所ARCS - 独断的教育論 -

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教育現場のプロ3人衆による本音トーク

父親というのは悲しい存在かも知れません。
考えれば考えるほどそう感じてしまいます。

一方母親は、いつの時代でもどんな地域、民族であっても常に敬愛すべき対象、思慕の対象です。

たとえ母を知らずに育った人でさえ、母親のイメージはどこか懐かしく、優しく慈愛に満ちた姿をとるようです。


それに比べて父親のイメージは、どうしても母のように「無償の愛」にはほど遠いものがあります。

父親のことも懐かしく思い出すことはあります。
ありがたいと思うことも尊敬の念を抱くこともあります。

でも、母親のようにハートの底からにじみ出る愛と思慕の念、強烈な親愛の情と共に思い出すなどということはあまりないと思います。


子どもにとって父親とはどこか煙たい存在。

あるいは近寄りがたい存在。

恐い存在。

もっと言えば……



ウザい存在(笑)




考えてみれば「お父さん」は、昔から一家の大黒柱(古い!)として家族を養うために一生懸命働いて来たのです。


それなのにこの扱い!

しかしグチばかり言ってても仕方ない。
お父さんにはお父さんにしかできない役割もあると腹をくくって行きましょう。


そこで、今日は頑張るお父さんたちへいくつかエールを贈りたいと思います。

子育てというと構えてしまうお父さんたちも多いので、少しくだけた言い方をします。
気楽に読んで下さい。


エールその1.  嫌われることを怖れるな!

そもそも「父性」とは、子どもから反抗され反発され、憎まれることで子どもの自立を促す役割のことを言う。

近年、友だち親子とかマスコミの流す「優しい父、理解ある父」がさも良い父であるかのような印象だが、それは母親化であって父の役割ではない。


だから煙たがれ、ウザいと疎まれても悲しむことはない

息子にとってはライバルとして乗り超えるべき存在、娘にとっては身近な異性の常として「キモい」と遠ざけられる存在

それが父親のむしろ「本来」なのだと割り切ろう。

だからこそ子どもたちは成長できるのである。

エールその2.  子どもと無理にコミュニケートしない!

無口なお父さん。
会話の苦手なお父さんに朗報(笑)

子どもにベッタリして、楽しげにおしゃべりするのがコミュニケーションではない。

小さい頃ならいざ知らず、思春期ともなれば子どもたちにとって親の存在自体がウザくなり、親を批判的に見るものでそれが自然といえば自然。

子どもの言動や成績のことなど細かい所に介入し助言するのは、全てお説教ととらえられ子どもの心にも響かない

それは母親に任せてドッシリ構えた方が、かえって父親の「存在感」が増す

しかし無関心や無責任であってはならない。

常に母親(妻)から子どもたちの情報は得て、イザという時にはいつでも子どものために骨を折る心構えだけはしておきたい。

有事のときには勇敢に闘うが、平時には大人しく穏やか(笑)というメリハリが欲しい。


エールその3.  大切なことほどさりげなく伝えよ!


以前の記事で私の父の例を挙げたが、子どもの知的好奇心に訴える話や、社会性道徳の体現者として教えるべきことなどは、なるべく大上段に構えるのでなく、さりげなく伝えた方が効果的。

母親は成績のことや日常の細かなことなど、どうしても目先の注意点に傾きがち。


お父さんはそれではいけない。

人間として大切なことは何か。社会に貢献するにはどうすべきか。

大きな視点からの人生観社会観を伝えるのが父の役割。

でも、それは極力さりげなく何気なく語る方が子どもの心に残りやすい。

難しいがチャレンジして下さい。


エール4.  自立のために母親から引き離す!

基本的に子どもの養育は母親に任せている人はまだまだ多いと思う。

任せっ放しは危険もある。

母親の子どもへの「愛」は、深く美しいが時として盲目になる。
母の愛は包みこみ抱えこむので、行き過ぎると子どもを飲みこんでしまう(怖っ)

これをユングはグレートマザーという怖いイメージで呼んだ。(お母さん方、ゴメンなさい…)

たとえばグレートマザーは、息子を「優しいだけの男」にしたり、娘をやたらコントロールして自立を妨げる。支配する母である。

困ったことに、どんなに知的で賢い女性であってもグレートマザーの要素は誰にでもあるので、父(夫)は母(妻)から子どもたちを時には引き離すことでバランスをとらなければならない



たとえば、息子が学校で暴力沙汰を起こしたり、エッチなDVDを隠し持っていたなど、そういう「事件」が発覚すると母親は冷静に対応できず、パニックになることがある。

母親は子どもと心理的に一体化しやすいので「こんな子になるなんて、私の育て方が間違ったのでは…」などと自分を責めたりする。

こんな時こそお父さんの出番である。

男の子にとってこの種の問題は、大人になる上での一つのプロセス(成長過程)であり、いわば「通過儀礼」であることなど分かりやすく説明することで、息子は母親の支配下から脱出しつつあることを理解してもらい、母の愛情の引力圏からうまく引き離すことができる。


エール5.  子どもとより妻とコミュニケーションを図れ!


子どもの教育というと、すぐに子どもを何とかすることだと考えている親が多いが、その前に夫婦のことを何とかした方が早い。

子どもにとって父と母が安定した関係でいることが何よりも大切なこと。

何といっても子どもと日常的に接しているのは母親だということ、その苦労や大変さを理解して極力妻の話を親身に聞くことを心がけよう

妻の不満の大部分は「夫が子どもの養育の大変な部分を自分にだけ負わせている」ということだ。

でもそれは、妻と同じように子どもに口うるさく注意したりすることを意味しているわけではない。

一緒に子どもの心配をしたり、話をじっくり聞いてくれることを望んでいることを理解し、行動そのものは父親らしく「イザというとき」で良い。
有事即行動!(笑)

それさえ心がけていれば、やたら子どもに介入する必要はない。

お父さんは。まず第一に自分の果たすべきこと(仕事や家族を守ること)を誠実にやっていさえすれば、あまり過度に子どもの教育に頭を悩ませる必要はないと私は思っている。


エール6.  魅力的な男であれ!

これが案外いちばん大切なことかも知れない。

お父さん方は、良い父親になるよりも魅力的な人間、魅力的な男になるべきだ。

最近の風潮として、物分かりの良い父が理想であるかのように思いこんでいる人が多いが、私の見るところそのような「父」はえてして子どもと真剣に向き合うことを避けている

子どもたちが心の底で求めている父親像は優しく物分かりの良い父ではない。

生き方のモデル
である。

だから、自らの信念に従って妥協しない男であったり仕事に情熱を燃やしたりする男である方が、子どもにとって頼もしく感じモデルにしやすい。

いずれにしても、子どもが「あんな大人になりたい」あるいは逆に「あんな大人にはなりたくない」とはっきり指針にできる父の方が望ましい。





以上いろいろ書いてきました。

最後にお伝えしたいこと。


それは……



いまは例えどんな状況であっても―子どもからウザがられていても、娘からキライと言われていても―いつかは子どもたちも分かってくれるということです。


子どもたちが社会人になった時。
結婚して親になった時。
自分も今の親と同じ年令になった時。

父親を客観的に思い出す日が来ます。

「オヤジもけっこう頑張ってくれてたんだな」
「良いオヤジだったな」


そう思ってくれる日が必ずやって来ます。

その日を信じて頑張りましょう。



7月5日平成父親塾に来てくれた100名のお父さんたち、本当にありがとうございました。
皆さんの真剣な表情とアンケートに書いて下さった温かいお言葉忘れません。
またお会いできる日を楽しみにしています。




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