現代若者気質について①  ~「近頃の若い者は」がキラいな理由~ [金曜日担当:管野] | 教育研究所ARCS - 独断的教育論 -

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教育現場のプロ3人衆による本音トーク

「近頃の若い者は…」という常套句があります。


一説によると数千年前の古代アッシリアの石碑にもこの言葉が書かれてあるとか。(実際はウソらしいが)


まあ、それくらい昔から年長者は若者を評するときこの言葉を使って来たのでしょう。



「近頃の若者は」という言葉を使うとき、その後に必ずネガティブな内容すなわち苦言が続くわけですね。


「…ったく近頃の若い者は礼儀をわきまえない」

「近頃の若い者は○○ばかりやってケシからん」

 などなど。


その裏には「昔は良かった」という年長者の思いがあります。



ところで私はこの「近頃の若者は」という言葉が大嫌いで、自分だけは年をとっても絶対言うまいと固く心に誓って来ました。


なぜなら私自身若い頃この言葉をいつも言われていたからです(笑)。


高校生の頃私たちは世間から「最近の高校生は無気力でなってない!」と散々言われたものです。


死語ですが三無主義(なつかしい!)などという言葉もありました。三無主義とは「無気力」「無責任」「無関心」のことで、私たち若者を揶揄する当時のマスコミ用語です。


個人的にも大学生の頃、下宿の部屋を汚したと言って家主から「全く近頃の若い者は」と叱られ、学生運動のマネごとをして機動隊に連行される時には、取り囲む群衆の中から「最近の若いヤツらは何考えてんだ!」とヤジられ、また免許取り立ての頃スーパーの駐車場で他の車に接触し、その車から降りてきたオバさんからは「ホント、近頃の若い人はなってないんだから 」と説教されたりしたものです。



まあ、単に私の行動がアホだったからですが、それにしても何でもかんでも「近頃の若いモンはケシからん」という論法で攻めたててくる当時の年長者に、私は割り切れない悔しさを感じたのは確かです。


だから私は自分が年をとっても「近頃の若者は」だけは絶対言うまいと思ったわけです。


たまたま私はその後、塾の経営という仕事をやる性質上、若い人たちとばかり接触することになり、以来数十年が過ぎました。



この間生徒も含め大学生や20代のスタッフなど私と過ごした人たちは数千人にのぼります。


何しろスタートから私より年上はほぼいないという状態で還暦に至る現在まで私の周囲には若者ばかりなのです。


そういう意味で私は筋金入りの若者ウオッチャーと言えます!!


おかげで若者像の変遷を目の当りにしてきたわけで、私自身が若者を通しての時代の移り変わりを肌で感じることができました。


その結果言えることは


若者の気質はその時々で変化するが、その変化は必ず次の時代の先取りである。


ということです。


だから若者の現象面における変化をよく観察すれば、その底流にある次の時代の傾向を予測することができるということです。



先ほどまで私は散々「近頃の若者は」という言葉を絶対に言わないと表明してきました。


それは老人の繰り言だからです。時代の変化についていけない年長者が、若者に脅威を感じ、自らの個人的不満や不安を「ダメな若者」と見下すことでウサ晴らしをする精神構造に嫌悪感を持ち続けてきたからです。


昔は良かった式の、現在の自分への不満を時代や他者のせいにする自己欺瞞の態度がイヤだったからです。



しかし近頃の若者を冷静に観察しそこから新しい時代の息吹を感じることは、私に知的好奇心を呼び覚まします。

またそれは今必要なことのように思えます。


ということで、長年若者(ばかり)を見てきた私が、老人の繰り言ではない「近頃の若者は」論を展開してみたいと思い至ったわけです。


私の中で長く封印してきた「近頃の若者は」をいま解禁し、約35年にわたる若者像の変遷の先に何が見えてくるのか明らかにしてみたい。


と大ミエを切ったのですが、私自身何が見えてくるのかは今ひとつハッキリしません。


これから何回かにわたって「現代若者気質」を語る中でそれは見えてくるのではないか。

そんな期待を自分でも持ちながら書いてみようと思います。


その取っ掛かりとして近年メディアなどで流行の「草食系」をキーワードに次回から話してみようと思います。


今回は前置きを長~く引っぱってしまいました。


でも読んで下さりありがとうございます。