坂の上の 建築-終 | archomeのブログ

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ところが


大学は京都大学を


すべっているし、


O組では高校出身の


同期にジェラシーを


感じていた。


文章も古臭い言い回しに


固執するところがあり、


時々冷やかな面を


覗かせた。


建築も打ち込みはしたものの、


もし立位置が違い、他の


職種についたていたとしても


彼一流のやり方で


こだわったといえるほどの


ものである。


とはいえ団塊の世代の


代表の一人であることは


間違いない。


彼の手がけた建物は


水平、垂直がしっかりし


すきっときれいに


今も建っている。


もう一度、寒風吹き荒む


鉄骨スラブコンの上で


墨出しの手元をしたいもの


である。


四国は徳島で、建築施工屋の


花を一輪咲かせた彼。


彼は明治以降、知識人の


なすべきこととして


大衆に切り込んだ。


彼の軌跡を辿ろうと思うが


彼の言う地場産業・建築には


それだけの値打があると


彼の軌跡が教えている。