梅雨の合間の貴重な晴天?の日曜日。
特に行きたいところもなかったのですが、ちょっと歩きたいなと思って、まだ行ったことのなかった丹生山系を歩いてきました。
神鉄箕谷駅からバスで衝原まで行き、衝原湖畔の自転車道をを呑吐ダム方面に歩いて行くと、"BE KOBE"モニュメントがあります。
"BE KOBE"モニュメントは、メリケンパークのものがよく知られていると思いますが、こんなところにもあるんです。
でも、意外と六甲山にはないんですよねぇ。
掬星台かガーデンテラスあたりにあってもよさそうなものですが。
(そのかわり"BE ROKKO"や"#Rokko"があります。)
"BE KOBE"モニュメントからさらに湖畔を歩いて行くと、登山口。
ちょっと踏み入るのに躊躇するような真っ暗な森の中に入って行きます。
しばらく暗い森の中を歩いて行くと、開けた尾根道に出ました。
南西方向、遠くに雄岡山、雌岡山が見えます。
標高250mにも満たない低山ですが目を引きます。
ササユリ。
ところどころに道標のように咲いていました。
丹生山系は初めてですが、他の六甲周辺の山々、例えば中山連山あたりを歩いているのとそれほど変わらないなと思いながら、黙々と歩いて行くと、シビレ山(465m)に到着。
衝原から1時間45分でした。
面白い山名ですが、何に痺れるのかと帰って調べてみると、有力な説の一つに、山伏が丹生山で採れた丹生をもとに不老長寿の薬を調合したものの、水銀が含まれていたために痺れを起こすことがあったためにシビレ山と言われるようになった、というものがあるそうです。
なるほどねぇ。
シビレ山は木に囲まれ眺望はありませんでしたが、シビレ山から丹生山方面へと東に歩いて行くと、途中見晴らしのいい場所がありました。
ただ、今日は晴れ予報だったのですが、どんより曇り空で、景色も映えません。
さらに歩いて丹生山に近づいてくると唐突に町石が現れました。
丹生山まであと六丁。
ですが、一旦丹生山はスルーして丹生山系縦走路をそのままさらに東進して、帝釈山へ。
関西百名山、帝釈山(586m)に到着。
シビレ山から1時間でした。
ここへ来てようやく少し日が差しはじめましたが、まだまだ曇り空。
楽しみにしていた眺望も御覧のとおり。
六甲山全山縦走路の西端、須磨の山々がぼんやりと見える程度。
晴れて空気も澄んでいたら明石海峡大橋とか淡路島とかも見えるのかなぁ?
ここまで薄暗い森の中を歩くことが多く、花はこのササユリを時々見た程度でしたが、日当たりの良い帝釈山の山頂には平凡なものばかりではありましたが、何種類かの花が咲いていました。
ノアザミ。
ナワシロイチゴ。
咲きかけのオカトラノオ。
この他、オオニワゼキショウ、ヒメジョオンが咲いていました。
帝釈山から折り返して丹生山(515m)へ。
丹生山はふるさと兵庫50山の1座。
関西百名山は帝釈山で、ふるさと兵庫50山は丹生山と、丹生山系を代表する山として、それぞれ異なる山が挙げられています。
丹生山の山頂にあるのは丹生神社。
地味ながらもなかなか立派な社殿です。
しかし、人っ子一人おらず。さみしい境内でした。
丹生神社は、明治に入って廃仏毀釈で廃寺になった丹生山明要寺の鎮守社だったそうです。
明要寺は奈良時代には存在していたと推定され、平清盛の時代には福原京を護る寺院として日吉山王権現を勧請したそうです。
また、ここには城も築かれ、戦国時代には秀吉の焼き討ちにあったのだとか。
丹生山からはスタート地点である衝原に下山します。
歩きはじめてまもなく、高野山の町石道にあるような町石が立てかけられていました。
こちらは表参道にあたり、ところどころ、こういう町石が残っているようです。
三町石。
ここで右に折れ、表参道から分かれて義経道という道を下ります。
途中で振り返る丹生山。
今日歩いてきた道は、密な森の中を歩くことが多く、今日のような曇り空だと昼間でもかなり暗くて、正直あまり歩いていて楽しい道ではありませんでした。
そして、季節的な要因もあるかとは思いますが、今日、山で出逢った人はわずか2人。
私が今日初めて歩く人だった区間も多く、何度も蜘蛛の巣に引っかかりました。
登山口近くまで下りてくるとオカトラノオが群生していました。
帝釈山の山頂ではまだ花は開いていませんでしたが、ここでは五分くらい咲いていました。
テーパードの美しい曲線。
オカトラノオは五分から七分咲きくらいが一番きれいなような気がします。
衝原に下山した後は、すぐ近くにある国指定重要文化財の箱木家住宅(箱木千年家)に寄ってみました。
箱木家住宅は現存最古とも言われる民家で、呑吐ダムの建設によって衝原湖の湖底に沈むことになったため、現在の場所に移築されたのだそうです。
移築前は一棟の大きな建物だったそうですが、解体時に母屋と離れの二棟であった建物を連結して一棟としていたことがわかり、移築後は元の母屋と離れの二棟に復原したそうです。
二棟は建築時期が大きく異なっており、古い母屋の方は工法等から室町時代頃まで遡るのではないかと考えられているそうです。
新しい離れの方は、江戸時代に建てられたもので、畳敷きで襖や障子もあり、全く趣が異なります。
時代の異なる二つの建物を一緒に見られるというのは面白いですね。
母屋や蔵や納屋?には、移築前の模型や昔の農機具などが無造作に展示されていました。
この箱木千年家、昔の民家の造りや暮らしを知ることができる貴重な文化財だと思いますが、周りにめぼしい観光施設もないこの場所に単体で存在しているのはちょっともったいないなとも思いました。
今日は昼過ぎまで合計4時間ほどのハイキング。
曇り空ではありましたが、ちょっと蒸し暑く、よく汗をかき、水分もこれまで以上に消費しました。
低山歩きには酷な季節になってきましたが、来たるべき遠征登山に備え、できるだけマメに歩いておきたいと思います。