朝、瓶ヶ森の登った後、石鎚スカイラインを下り、砥部に立ち寄りました。
お目当ては砥部焼。
いつもならコーヒーカップを買うところですが、砥部焼は普段使いの器の印象が強く、中でもうどん屋さんでよく使われているぽってりとした厚みのある鉢が前々からいいなと思っていたので、そういう器を探しました。
砥部焼陶芸館と砥部焼観光センター炎の里でいろいろな窯元の砥部焼を見て、その中で気に入った作風の器が多かった梅山窯の直売所に行き、買ったのが上の写真の3点。
自分用なのでお買い得なB級品のコーナーを中心に物色したのですが、ぽってりとした厚みのある鉢はやはりお値段も高めだったので、ちょっと薄めの7寸の平鉢にしました。
定番の唐草模様で、蕎麦猪口と薬味用の小皿も揃えたので、暑くなってくるこれからの季節、うどん鉢だけでなく、素麺鉢としても使いたいと思います。
煮物やサラダを盛ってもいいし、使い勝手がよさそうです。
砥部焼を買った後は、砥部の地図を見ていてちょっと気になった砥部衝上断層という所にも寄ってみました。
砥部川を横切るこの断層は中央構造線の露頭で、上流側の新しい岩石の上に下流側の古い岩石がのしかかる形の逆断層で、衝上断層というのは逆断層の中でも角度が緩い(45度以下)もののことをそう呼ぶそうです。
断層面にはマグマの貫入によってできたより新しい岩石も見られますが、確かに角度が緩やかです。
下流部の古い岩石が約6000万年前のもの、上流部の新しい岩石が約4000万年前のもの、貫入した新しい岩石が約1200万年前のものということで、この断層ができたのは約1200万年~4000万年前と推定されるそうです。
我々素人が見ても、この小さな断層面の露頭と、中央構造線というとてつもないスケールの大断層とは結び付きませんが、この砥部衝上断層は国の天然記念物にも指定されている貴重なものなのですね。
砥部に立ち寄った後は大洲へ。
砥部焼に時間を費やし過ぎ、時間がほとんどなかったので大洲城の天守だけをさらっと見学しました。
大洲城の歴史は、鎌倉時代末期に始まり、元々は大津城と呼ばれていたそうですが、江戸時代、淡路国洲本から転封されてきた脇坂安治の時代に、洲本城から天守を移築して大洲城に改めたのではないかという説があるそうです。
天守と高欄櫓。
大洲城の天守は明治21年に解体され、現在の天守は復元天守ですが、4つの櫓が解体されずに残され、重要文化財に指定されています。
天守と台所櫓。
天守は2004年に復元されたものですが、鉄筋コンクリートではなく、木造で復元されています。
内部はまだまだ新築同然の輝きですが、やはり木造での復元はいいですね。
江戸時代の木組模型などの資料を元に再現したということで、現存天守のように細部まで見所満載です。
天守最上階の屋根裏には破魔矢も据えられていますね。
こちらは天守と棟続きになっている高欄櫓の内部。
現存ゆえに古びた質感です。
天守からは眼下に肱川の流れが見渡せます。
松本零士さんが描いた大洲城の絵も飾られていました。
両親が共に大洲の出身であった松本零士さんは、幼少期に大洲に疎開していたそうです。
もう少し隅々までじっくりと見て回りたかったところではありますが、大洲城は外から見る姿もよく、天守の内部も木造で緻密に再現されていて、なかなかいいお城でした。
機会があれば、松山城や宇和島城とセットでもう一度来てみたいかも。