柳生街道、柳生から笠置への道は周回コースになっているようですが、阿対の石仏から笠置寺を経てJR笠置駅へと至る道だけを歩きます。
柳生の集落から歩き出すと目の前に見える山に大きな杉の木と立ち枯れた木が。
この立ち枯れた木の方が十兵衛杉で、柳生十兵衛が植えたと伝わるそうです。
左の杉は二代目とのこと。
川沿いの道を歩いて行くと、阿対の石仏があります。
向かって右が阿弥陀如来、左がお地蔵様です。
お地蔵さまにはお豆腐を供えると子宝に恵まれるのだとか。
阿対の石仏からは特に見どころもなく、柳生から50分ほどで笠置寺に到着。
奇岩、巨岩の多い笠置山の地形を利用した笠置寺は、奈良時代には弥勒信仰、平安時代には山岳修験道で栄えたそうです。
特に不思議なのがこの本尊弥勒磨崖仏。
3度の火災によって彫刻の線が消えてしまったそうですが、私には仏様がここを抜け出してどこかに行ってしまったように見えます。
別の磨崖仏にはこのように彫刻の線が残っていますが、弥勒磨崖仏もこのような線で彫られていたようです。
磨崖仏からさらに進むと胎内くぐりがありますが、ここは修行場の入口になっていたそうです。
修行場を登って行くと、太鼓石、ゆるぎ石、平等石、蟻の戸わたり、貝吹岩など、様々な名を付けられた岩石があり、頂上部からは眼下に木津川の流れが見渡せます。
修行場から下ると山の中腹にはもみじ公園がありました。
すっかり葉は散ってしまっていますが、紅葉の絨毯の上をカサカサと足音を立てながら歩くのも、晩秋の風情が感じられてよいものです。
笠置寺は元弘の乱で討幕計画に失敗した後醍醐天皇が京都から逃れて潜幸した場所で、幕府の討伐軍による攻撃で陥落し、それ以降は一時復興するも、江戸時代から明治にかけて再び荒れていったそうです。
今も寺としてはほとんど機能していないように見えますが、史跡としては興味深い場所です。
笠置寺をぐるっと一周すると、時刻は16時過ぎ。
16時28分の列車に間に合いそうだったので、急いで笠置駅に向かいます。
16時20分頃、笠置駅に到着。
(駅前にある元弘の乱の笠置山の戦いを現したジオラマがなかなか面白いです。)
余裕で16時28分発の列車に間に合い、スムースに帰宅することができました。
以上、柳生街道を奈良から笠置まで、おおよそ25kmくらい歩いてきましたが、柳生一族ら剣豪たちが歩んだ道をたどりながらも、奇岩、巨岩、そしてそうした岩を祀り、仏様を彫った人々の信仰の痕跡などが至るところにあり、むしろそちらの方が強く印象に残る道でした。
一部のきつい箇所を除けば、全体的にのんびりとした里山歩きで、全部歩くと距離はかなり長いですが、体力や時間に応じてコースを選択して歩くこともでき、とてもいいハイキングコースだと思います。
ただ、道中、里山歩きとはいえ、食事処は数件ありますが、コンビニは1件もなく、列車やバスの本数も少ないので、行動食と時刻表は事前にしっかりと抑えておくべきかなと。