石見銀山散策(1) | Archive Redo Blog

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DBエンジニアのあれこれ備忘録

 

三連休を利用して島根を旅してきました。

 

三瓶山に登ることが第一目的でしたが、初日は天気が悪かったため、三瓶山からそう遠くないところにある石見銀山へ。

 

石見銀山では世界遺産センターに車を止めて、バスで大森の町並みへと向かうパーク&ライドが推奨されていますが、朝早くに着いてしまったので、まずは大森の町並みに車で乗り入れて、少しだけ町並みの雰囲気を味わってみました。

 

 

 

うーん、誰も映り込まない町並みの写真を撮れるのはいいですが、まだどこのお店も開いておらず、街が目覚めていないのは寂しいですね。

 

町並みの中心部を写真を撮りながらさっと往復して、世界遺産センターに向かいます。

 

 

 

世界遺産センターに着き、まずは中の展示でも観ようと建物の中に入ると、スタッフの方に当日の「大久保間歩一般公開ツアー」にまだ空きがあるのでどうですかと熱心に勧められました。

 

 

 

通常は見ることのできない石見銀山最大級の坑道跡を見学できるこのツアーについては、実は前から知っていて興味津々だったのですが、原則5日前までに予約が必要とのこと。

 

しかし、ここに来ることを決めたのは2、3日だったので、当然予約はしておらず。

 

ただ、空きがあれば当日でも募集するとも聞いていたので、あわよくばと思って来たのですが、三連休にもかかわらず運よく空きがあり、当日受付で参加することができました。

 

 

 

世界遺産センターからバスで5、6分ほど移動し、原田バス停から徒歩で山道に入って行きます。

 

 

 

歩きだすとほどなく、番所跡があります。

 

銀を産出していた当時は銀山を囲むように柵をめぐらせ、番所で人や物の出入りを厳しく監視していたのだとか。

 

 

 

そこから少し登ると金生坑という坑道があります。

 

大久保間歩の下につながっている坑道で、もともとは、江戸時代に排水用の坑道として掘られたものですが、明治時代には山の裏側にある精錬所の近くの坑道までつなげられ、トロッコ道として使われたそうです。

 

 

 

金生抗からはさらに本格的な山道になり、しばらく歩くと石見銀山の初代奉行の大久保長安の名にちなんで付けられた大久保間歩の入口に到着します。

 

”間歩”とは坑道のこと。

 

金生抗は”抗”ですが、この呼び方の違いは時代の違いで、”抗”の方が新しいのだそうです。

 

大久保間歩の入口の手前の杉林には小屋があり、そこで長靴に履き替え、ヘルメットをかぶり、ヘッドランプを点け、間歩の中に入ります。

 

 

 

間歩は人が二列に並んで歩けるほど広いですが、壁面を見ると上部と下部で岩肌の風合いが異なります。

 

上の方は江戸時代に手彫りで掘った部分、下の方は明治時代に火薬を使って掘り広げた部分なのだそうです。

 

 

 

天井や斜めになった壁面にはたくさんのコウモリがぶら下がっています。

 

羽根で体をすっぽりと覆って静かにおやすみ中のようです。

 

ただ、手を伸ばせば届くようなところにもいるので、うっかり触れてしまって、驚いて飛び回られたりすると大変です。

 

 

 

奥へと進むとところどころ鉱脈に沿って深く掘り進められた場所に出くわします。

 

また、金生抗へつながる斜坑なども見られました。

 

 

 

そして、大久保間歩の最奥、福石場と呼ばれる大規模な採掘場にたどり着きます。

 

高さ20m、幅15m、奥行30mの巨大な空間で、ここでは良質の銀鉱石がたくさん採れたのだそうです。

 

大久保間歩には大久保長安が馬に乗ったままに入ったという言い伝えがあるそうです。

 

当時の入口付近の広さからはまずそんなことはできないだろうと思いますが、ここがいかに巨大な空間であるかということを示すために作られた話なのかもしれませんね。

 

 

 

福石場の最深部へは、参加者を2組に分け、見学用に組まれた足場を登って行きます。

 

 

 

福石場の最深部。

 

自然にできた洞窟のようにも見えますが、鉱脈に沿って無駄なくきれいに銀鉱石を取り尽くした結果がこのような造形を作り出したのでしょうか。

 

 

 

大久保間歩を見学した後は、ヘルメットと長靴を脱ぎ、これでツアー終了かと思いきや、間歩の入口の左手の道をさらに登って行きます。

 

そして、しばらく歩くと釜屋間歩と岩盤を加工した謎の遺構が現れます。

 

 

 

L字型に切り削られた平らな場所に、階段、水を溜める場所、屋根を支えた穴などの痕跡が見られますが、ここは人夫たちの住居や銀の加工場として使われた場所と考えられるそうです。

 

 

 

周囲にはいくつかの間歩の入口や地表に露出した銀鉱石を掘り出した露頭掘りの痕なども見られました。

 

石見銀山の周辺には最盛期には20万人もの人々が暮らしていたとの記録が残っているそうです。

 

それはさすがに盛りすぎのような気がしますが、かなり多くの人々が暮らしていたのは事実のようで、その多くは銀の採掘場のそばに一家で住まい、家族総出で銀の採掘から精錬までを行っていたそうです。

 

このツアーで見学できるのはここまで。

 

バス停まで引き返し、バスで世界遺産センターに戻ってツアー終了です。

 

 

 

帰りに振り返り仰ぎ見る仙ノ山(537m)。

 

石見銀山で銀が採れたのはこの山にある2つの鉱床のみだそうですが、銀が発見された当初は山頂部などに銀鉱石が露出していたそうで、こうして見上げた山肌に露出する岩にも露頭掘りの痕跡が見られるそうです。

 

 

全行程約2時間半。

 

バス停から往復1,800m、標高差140mの山道を歩くため、歩きやすい服装と靴、飲み物とタオルくらいは必要ですが、長靴、ヘルメット、杖などは貸してもらえるため、気軽に参加できます。

 

参加費用は一人4,000円と少々お高いですが、他にこのような大規模な間歩を見られるところはありませんし、ガイドさんの説明とおしゃべりもわかりやすく楽しいので、その価値は十分にあると思います。

 

これから石見銀山を訪れる方にも是非ともおすすめしたいです。

 

(2)へつづく...