東北の旅4日目は羽黒山に登った後、月山~湯殿山を縦走して出羽三山を1日で参拝しようと思っていたのですが、前日に続き、時折雨の降る天候だったため、あきらめて羽黒山のみにお参りすることにしました。
羽黒山の麓、随神門をくぐり、杉並木の中の石畳の参道を進むと、末社が立ち並ぶ場所に出ます。
出羽三山の広大な山内には百一末社といわれる社があり、八百万(やおよろず)の神々が祀られているそうです。
このあたりの末社にもそれぞれ違う神が祀られていました。
すべての末社に真剣にお参りするのはなかなか大変なので、これはと思う末社を拝みながら歩いていきます。
さらに歩くと、杉並木の中に、樹齢推定1000年以上、羽黒山最古の杉「爺杉」がありました。
近くには「婆杉」もあったそうですが、1902年に暴風に倒れてしまったそうです。
右後ろには五重塔が見えます。
杉並木の中に、閑に佇む国宝「羽黒山五重塔」。
宝塔山瀧水寺の本堂で、平安中期に平将門が建立したと伝えられるそうです。
その後幾度か修復が重ねられ、現在の塔はその様式から室町時代のものとのこと。
五重塔を過ぎると、本格的な登りがはじまります。
羽黒山の参道の石段は全部で2446段あるそうです。
前日の登った立石寺の石段が1015段ですから、軽くその倍以上です。
一段一段の段差はそう大きくないので、ゆっくり登ればそれほど足に負担はかかりませんが、一の坂、二の坂、三の坂というやや急で長い上り坂の石段は、見上げると延々と坂道が続いているようで、少しひるみます。
参道の両側の杉並木の杉は1596年頃から1634年頃にかけて植林された樹齢300年から500年という巨木で、右側に284本、左側に301本の計585本あるそうです。
二の坂。
石段はまだまだ続きます。
美しい景色ですが、変化に乏しく、次第に飽きが生じてきます。
そんな頃合いに現れたのは二の坂茶屋。
全国津々浦々、いろんな茶屋がありますが、何となく、寄りたくなる茶屋、そうでない茶屋の雰囲気というものがあります。
もちろん、その時の疲労度、空腹度、時間的余裕など、いろいろな要素も含めてということにはなりますが、ここは一服と即断。
名物の力餅(あんこ餅・きなこ餅)とお抹茶のセットをいただきました。
つき立てのお餅は柔らかくて美味。
特にきなこ餅は青きなこの風味がよく、気に入りました。
茶屋からは米どころ庄内平野とその先に日本海が見渡せますが、この日はあいにくの天候で日本海までは見えず。
黄金色に染まりつつある田んぼは、もう少ししたら収穫の時期ですね。
(帰ってから早速、ふるさと納税で鶴岡市に寄付し、つや姫の新米をお願いしました。)
茶屋の方は、とても気さくで、いろいろとお話しさせていただきましたが、おまけにこんなものもいただけました。
のんびりと和めるいい茶屋で、立ち寄って正解でした。
二の坂茶屋を過ぎれば、あとは三の坂を残すのみ。
途中、御本坊跡や、脇道に入ると芭蕉が滞在したという南谷という場所がありますが、今は両方とも廃れており、その痕跡を残すのみとなっています。
少し、靄がかかってきました。
ここまで、雨は降っていませんでしたが、そろそろ降ってきそうな予感です。
通りかかった羽黒山齋館の入口では、修験者が「祓え給え、清め給え・・・」と何やら儀式的な拝礼を行っていました。
今も修験の霊場としてその文化がしっかりと受け継がれていることを感じます。
赤い鳥居が見えてきました。
ようやく羽黒山の山頂に到着です。
羽黒山には月山、羽黒山、湯殿山の神々が祀られた三神合祭殿があります。
(右から羽黒山、月山、湯殿山)
ここにお参りすれば、一応、出羽三山の神々を詣でたことになります。
鐘楼と大鐘。
ここへきていよいよ雨が降り出しました。
霧に霞む末社。
ここでは健角身神社という役行者を祀る末社がとりわけ信仰を集めているようで、昔から下駄を供えて健脚を祈る風習があるということで、多くの下駄や靴が供えられていました。
松尾芭蕉の像。
今回の旅の中で、出会うのは3回目です。
涼しさや ほの三日月の 羽黒山
芭蕉は羽黒山に滞在した後、月山に登り、湯殿山へと下りたそうで、その道中にもいくつかの句を詠んでいます。
東北を旅すると、自然と芭蕉の足跡を追うような形になってしまいますね。
降り出した雨はなかなか止まず、帰りは雨の中、参道を下りましたが、霧に霞む杉並木というのもまた、より霊的なものを感じ、なかなかよいものでした。
今回はあいにくの天候で羽黒山のみにしましたが、今度来るときは、羽黒山、月山、湯殿山を通しでお参りしたいですね。
あと、宿坊に宿泊して、精進料理なども体験してみたいですね。