
1年に1度、10月の第2日曜日に開かれる大徳寺什宝曝涼(むしぼし)を観てきました。
曝涼では大徳寺保有する国宝や重要文化財を含む百点近い名宝が、方丈の各部屋の壁に掛けられ、虫干しを兼ねて一般に公開されます。
実際に見学してみると、名宝と見学者の間には仕切りもなく、手を伸ばせば簡単に触れられるような気安さで本当に”虫干し”という感じでした。
この曝涼に来ようと思った最大の理由は、狩野永徳や長谷川等伯らが影響を受けたという牧谿の「観音・猿鶴図」を観てみたかったから。
第二室の中央に三幅並べて展示されていたそれは、それぞれ一畳分くらいの大きさでしょうか、思っていたよりも大きく、圧倒的な存在感を放っていました。
煤けているのか、全体にかなり黒ずんでいましたが、それでも微妙な墨の濃淡で表現された空気感が何とも言えない幽玄さを醸し出していました。
中国よりも、日本で評価の高い牧谿ですが、日本人の審美眼、自然観に響くものがあるということなのでしょう。
この他にも牧谿の作品でいえば、「竜虎図」や「芙蓉図」など、水墨画も何点か見られましたが、全体的にはそれよりも、高僧や大名の肖像画、仏画、書状、墨蹟などが多く、美術品として楽しむよりも、大徳寺の歴史を学んだり、禅の心を感じたりといったところで興味深いものでした。
大徳寺本坊方丈と言えば、曝涼以外に、狩野探幽作の襖絵が有名で、これも楽しみにしていたのですが、この曝涼の時ばかりは、数々の名宝の背景と化しており、部分的に覗き込むように見ることはできましたが、全体をパノラマ的に見ることはかないませんでした。
水墨で描かれ、余白を大きく取った端正で瀟洒な画風は詩的な風情があり、部分的に見るよりも、全体で見てみたいものです。
あとは、方丈庭園。
聚楽第から移築したという唐門をバックにした前庭と、かつては比叡山を借景にしていたという東庭。
それぞれ、趣は違いますが、枯山水のいいお庭です。
曝涼を見て回り、少し疲れたら、縁側に腰かけてぼーっと庭を眺め、また曝涼を見る、それを2、3度繰り返し、ゆったりと観賞させていただきました。

大徳寺本坊の曝涼を見た後は、一旦、外へ出て近くにある今宮神社にお参りし、

そのあと、門前にある茶屋で名物のあぶり餅をいただきました。
あぶり餅は、竹串に刺した一口サイズのお餅にきな粉を付けてをあぶり、白味噌仕立てのタレを縫ったもの。
あまり腹の足しにはなりませんが、なかなかうまいものです。

このあぶり餅、今宮神社の門前の両側に向かい合わせで2軒のお店があり、神社から出てきた参拝客に両側から「おかえりやす。ご一服どうぞ。」とやんわりとした京言葉で誘い掛けてきます。
でも、お互いに客を取り合うというようなピリピリした感じはないので、客の方もなんとなく気が緩み、目があった方に入ってしまうという感じでした。
おそらく、どちらに入っても、味はそう変わらないのではないかと思います。

再び大徳寺。
大徳寺には多くの塔頭がありますが、その一つ、細川忠興(三斎)によって建立された高桐院で曝涼展が開かれていたので見てきました。

門を入ってからのこの長い参道がいいですね。
ここをゆっくりと歩いて行くうちに、心がすうっと落ち着いていくような気がします。

高桐院の曝涼展では、李唐筆「山水図双幅」(国宝)や秀吉主宰で行われた北野大茶会でも使用された鉄舜挙筆「牡丹図」(重文)などが展示されていました。
また、高桐院には、三斎公とガラシャ夫人をはじめとする細川家の墓所や、利休七哲に数えられる三斎公が設えた茶室松向軒などもあり、当時の歴史に触れることもできます。

こちらの庭園は、本坊とは対照的な苔庭。
しっとりと落ち着いたたたずまいの中に、苔の緑が爽やかです。
もう少し色付きかけていた木もありましたが、1ヶ月後には紅葉がきれいだと思います。
こちらでは庭を眺めながらお抹茶をいただくこともできます。

大徳寺ではこの時期、曝涼以外にも総見院・黄梅院・興臨院で秋の特別公開が行われていましたが、全部見て回るのもなかなか大変なのでまたの機会に。
あと、この千利休切腹の原因となった山門(金毛閣)。
利休の寄進によってつくられた二階の内部には天井の龍図など長谷川等伯の描いた絵があるということなのですが、通常は非公開。
こちらも機会があれば見てみたいものです。