行ってみたかった奈良の紅葉の名所、高取城跡と談山神社。
車やバスで行くのは簡単ですが、ついでに山歩きもしたかったので、かなり距離はありますが、両方を一気に踏破してみました。
まずは、早朝、近鉄壺阪山駅を出発。
高取城の城下町を通り、途中から山道に入って壷阪寺へ。
ここも紅葉がきれいでしたが、スルーして高取城跡を目指します。
壷阪寺から高取城跡に向かう山道に入ると、まもなく五百羅漢に出会います。
無数の石仏が刻まれた大小の岩。
山の斜面に無造作に点在していました。
五百羅漢からしばらく山道を登ると、高取城跡を示す石標が現れます。
しかしまだ城郭らしきものは見られません。
さらにしばらく歩くとようやく壺坂口跡の石垣が現れ、ほどなく色付いた木々が覆いかぶさる大手門跡に到着。
ここまで約1時間40分ほど。
紅葉真っ盛りの高取城跡。
高取城は明治に入って廃城となった後、建物はすべて取り壊され、今は石垣しか残っていません。
しかし、この本丸跡の広さからも想像できますが、かなり立派な城郭だったようです。
紅葉を観ながらゆっくり休憩したり、ウロウロ歩き回って写真を撮ったりしていたら、あっという間に1時間以上経過してしまいました。
あまりゆっくりしていると、後がきつくなってくるので、先を急ぎます。
高取城跡から二ノ門跡の方へ下ると、高取城の城下町へ向かう道と奥明日香の栢森(かやのもり)に向かう道との分岐点に、猿石が現れます。
猿石を右に折れて栢森への道を下ります。
やや荒れた道でしたが、途中には高取城の門の跡と思われる石垣がありました。
高取城跡から40分ほど下ると、栢森の集落の近く、飛鳥川沿いの車道に出ます。
ふと見上げると飛鳥川の上に奇妙な物体が吊るされています。
近くの案内板を見ると、これは栢森の綱掛神事で、子孫繁栄、五穀豊穣を祈り、悪疫などの侵入を防ぐために掛け渡される女綱というものだそうです。
下流の稲渕では男綱が掛け渡されるそうです。
飛鳥川沿いを上流に向かって歩くと、栢森のバス停があり、そこの分岐を左へ進んで栢森の集落の中に入っていきます。
多武峰に向かう道はどこか。
道標がなく、不安に思っていたら、集落も終わろうかというところに左・入谷の道標が...
どうやらここを左のようです。
ここからしばらくは飛鳥らしい里山風景の中を歩きます。
唐突に金属製の立派な道標。
しかし、これがトラップでした...
道なりは右、左は女渕まで0.3kmととても近いので、女渕を見に行くための脇道だろうと思い、右へ向かってしまいましたが、途中でそれが間違いだったことに気づき、引き返すことになってしまいました。
ちょっと、浅はかだったかなとも思いましたが、こういう道標には目先の目標だけでなく、大きな目標も併記してほしいものです。
気を取り直して、正しい道を進むと、今度こそ女渕への脇道を示す道標。
せっかくなので行ってみると、沢に降りて少し遡ったところに女渕がありました。
落差3mくらいでしょうか?
思ったよりもコンパクトな渕でした。
女渕を過ぎて間もなく里山風景は終わり、杉林の中、沢伝いに林道を歩いていきます。
途中、道標のところで左に鋭角に折り返し、さらに林道を行くと下畑の集落が現れます。
下畑から少し行ったところで、右に鋭角に折り返して、上畑・冬野方面へと向かいます。
栢森からここまで、じわじわと上りっぱなしの道中。
気が付くと道は尾根道になり、遠くに高取城跡が同じくらいの高さに見えています。
緩やかに登ってきたため、実感があまりなかったのですが、けっこうな標高のようです。
上畑の集落を過ぎると、冬野墓と呼ばれる良助親王墓が現れます。
良助親王は亀山天皇の皇子で、幼少から仏門に入り、晩年を多武峰で過ごされた方だそうです。
このあたりは、人や車の音もなく、静謐そのものです。
良助親王墓を過ぎると間もなく冬野の集落に。
ここも人の気配がなくひっそりとしています。
冬野からは久しぶりの山道で、一転して下りが続きます。
一気に下りるとやがて車の音が聞こえ、多武峰、談山神社の西大門跡に到着。
栢森から7~8kmくらいでしょうか。道を間違えたせいもあって、2時間半ほど掛かってしまいましたが何とかたどり着けました。
談山神社も紅葉が真っ盛り。
お参りをして、紅葉を観て、写真を撮って境内をぶらぶらしていると、またしてもあっという間に1時間以上経過。
だいぶ日も傾いてきたので、急いで明日香村、石舞台古墳の方へと山を下ります。
石舞台に着く頃にちょうど日が落ちましたが、あとは人家も多く、街灯もある道なので、そのまま歩き、談山神社から1時間30分で近鉄岡寺駅に到着。
全行程25km程度でしょうか。城跡や境内を歩き回ったり、道を間違えたりしたのを含めると30kmは歩いたような気がします。
今回は近鉄が配布している”てくてくまっぷ”というイラストマップを頼りに歩きましたが、基本的にコースに設定されている道しか書いていないし、方向感も距離感も少しわかりづらいところがあるので、しばしば混乱しました。
実際に歩いてみても、猿石から多武峰まではマイナーなルートなのか、道標も必要最小限以下で統一感もなく、ハイカーも一人もおらず、山道で迷うようなところこそありませんでしたが、少々不安に感じました。
高取城跡から奥明日香、奥明日香から多武峰を歩くなんていうのは酔狂なのでしょうか...
こういうコースを歩くときには、やはり国土地理院の2万5000分の1地形図が必要ですね。