町石道散策(1) | Archive Redo Blog

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DBエンジニアのあれこれ備忘録



高野山町石道(ちょういしみち)を歩いてきました。

町石道というのは、空海が切り開いた高野山への参詣道で、一町(約109m)ごとに町石が建てられていることからこう呼ばれているそうです。

九度山の真田庵近くの町営駐車場に車を止めて、朝8時に出発。




20分ほど歩くと高野山の表玄関であり町石道の起点である慈尊院に到着。




慈尊院は、女人禁制のため高野山への入山を許されず、この地でなくなった母公のために空海が弥勒堂をつくって以来、女人高野とも呼ばれているそうで、子授け、安産祈願など願う女性たちが多く訪れる場所になっています。




その慈尊院の境内から丹生官省符神社へと続く石段の途中に、百八十町石があります。

すなわち、高野山から百八十町(約19.6km)あるということで、これから歩き進むにつれ数が減っていくカウントダウン形式になります。




石段を登りきると早速次の石を発見...いや、これは百度石...




丹生官省符神社です。

ここには高野山の鎮守として丹生都比売と高野御子の二神が祀られているそうです。




丹生官省符神社を過ぎると町石道が本格的には始まります。




柿の畑の中を通ったり、竹林を通ったりしながら、最初は少し登りが続きます。




百六十六町石を過ぎたところで、展望台に寄り道。

まだうっすらと朝靄の残る紀ノ川流域の眺め。




そして、金剛山から岩湧山にかけての眺め。

今日はまずまずいい天気です。




展望台からさらにしばらく登っていくと、次第に杉林の中へと入っていき、いくつか謂れのある石が現れます。

この石は榧蒔石。

空海がこの地の民の貧しさを憐れみ、この石の上から榧の種をまいたと言われているそうです。




この石は銭壺石。

鎌倉時代、町石道を整備した際に、この石の上に置いた壺に給金を入れ、作業員につかみどりをさせたという伝承が残っているそうです。




さらに杉林の中を歩いていると町石が二本???

と、思ったら手前の石は一里石でした。

町石とは別に里石も建てられているようです。

里石はカウントアップ方式なんですね。




六本杉に到着。

どの六本を示しているのか、わかりません...

ここは丹生都比売神社への道との分岐点になりますが、そのまま町石道を進みます。




このあたりは平たんな道が続くのでペースアップ。

全行程の三分の一にあたる百二十町石手前の展望台に着いたのは10時10分頃。

ここからは天野の里ののどかな風景が見渡せます。




展望台のすぐ近くにある二つ鳥居。

丹生都比売神社に祀られる丹生明神と高野明神それぞれの鳥居です。

この脇には丹生都比売神社へ行く参道があります。

かつては、高野山に登る前に丹生都比売神社に参拝するのが慣わしだったそうです。




二つ鳥居からさらに歩いたところにある白蛇の岩。

その謂れは省略しますが、この岩で白蛇の姿をみると「幸せになれる」と言い伝えられているそうです。




このあたりもずっと日の遮られた杉林が続きますが、木々の間から明るく日に照らされた草原が...

と思ったら、ゴルフ場でした。




そこからほどなく神田の里が見渡せる場所に。

町石道沿いには高野山参詣の休憩場だったという神田地蔵堂がありました。




しかし、道は再び杉林の中に。

百町石。

キリ番といっても、特に変わったこともなし...

数が減っていく町石を見ながら歩くのもだいぶ飽きてきました。




全行程のちょうど半分、九十町石に着いたのは11時前。

出発から約3時間。百八十町石からは約2時間半。

快調なペースです。




そこからしばらく歩くと、道はじんわり下りになり、車の音が聞こえだすと、やがて六十町石の前にある矢立茶屋に到着。

ここからはまた上りになるので、名物のやきもちを食べて長めの一服。

あんことお餅で力が湧きます。


(2)につづく...