安土城跡散策 | Archive Redo Blog

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DBエンジニアのあれこれ備忘録

織田信長が天下統一の拠点として築いた城としてあまりにも有名な安土城跡に行ってきました。

この安土城、つい最近までは生い茂る木々や土砂の中に埋もれ、ところどころに垣間見られる石垣や石段から往時の様子がわずかにうかがえる程度だったそうですが、平成元年からの本格的な発掘調査と整備事業によって、今は大手道から天守跡に至る道筋を中心に石垣、石段、屋敷跡などが復元されています。


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こちらは大手道。

当時の城の門から天守に至る道というのは、防御面からもくねくねと曲がりくねっているのが普通ですが、安土城の場合は道幅が広く、直線的に延びています。

戦闘用の城というよりもむしろ、天下に威勢を示すための城だったのでしょうね。


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大手道の両脇には家臣の屋敷跡が立ち並んでいます。

こちらは「伝前田利家邸跡」。

(左上の木立の間にわずかに見えているのは、「伝徳川家康邸跡」に建てられた摠見寺仮本堂です。)


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「伝前田利家邸跡」の向かいには「伝羽柴秀吉邸跡」があります。


ただ、”伝”が付くことからもわかるように、これらの屋敷の主は言い伝えに過ぎません。

秀吉はともかく、柴田勝家の与力に過ぎなかった利家や、客将である家康の屋敷がこのような場所にあるのは、ちょっと不自然な気がするのですが、実際はどうだったんでしょう?


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大手道の先はさらに石段。

全部で約400段。冬でも少し汗ばむくらいの運動になります。


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石段を登りきるとやがて天守跡にたどり着きます。

ここに五層七階の天守がそびえていたんですね。

礎石だけを見ると、どうしても小さく思えてしまいますが、当時はさぞ壮大な天守だったことでしょう。


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天守跡からは北側と西側の風景を望むことができます。

こちらが北側の風景。


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こちらが西側の風景。

築城当時、安土城は三方を琵琶湖の内湖に囲まれた天然の要害だったようですが、今は干拓事業によってほとんど埋め立てられており、北側の伊庭内湖、西側の西の湖にその名残が見られるくらいです。

築城当時は、モンサンミッシェル...というと大げさですが、それに近いイメージの城だったのではなかろうかと想像してしまいます。


このように、建築物も残っておらず、周りの風景も様変わりしてしまっている安土城ですが、その周辺には、安土城と弥生・古墳時代という2つのテーマで資料を展示している「安土城考古博物館 」、安土城の20分の1スケールの模型を展示している「城郭資料館 」、安土城天守の5階、6階部分を復元展示している「信長の館 」という、安土城に関する資料を展示した3つの施設が点在しています。

当時の安土城の姿をよりリアルにイメージするためにも、これらの施設で予習をしてから安土城跡に行くのがいいと思います。


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中でも「信長の館」にある復元天守はなかなかの見ものです。

様々な要素を取り入れたきらびやかで独創的なその姿は、城の天守というよりも、斬新なデザインのお堂といった風情。


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内部を覗くと狩野永徳に描かせたという「金碧障壁画」も復元されています。


実際にこのような意匠の建物であったかどうかは未だ定かではないようですが、天下布武を目指す信長の強い決意が感じ取れますね。

この天守がまるごと安土山の上に復元された姿を観てみたいものです。