イワシはどこへ消えたのか | Archive Redo Blog

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イワシはどこへ消えたのか―魚の危機とレジーム・シフト (中公新書)/本田 良一
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かつての大衆魚、イワシ(マイワシ)が獲れないと言われるようになって久しい今日ですが、その原因を問われると、多くの人は「乱獲が原因なんじゃないの?」と思われると思います。


もちろん、乱獲によって壊滅状態に陥った魚種も多いのは事実ですが、マイワシに関して言えば不漁の主因は数十年単位で繰り返される地球規模の環境・生態系の変動、「レジーム・シフト」による影響が大きいということが定説となっているそうです。



「レジーム・シフト」は様々な魚種において見られる現象ですが、日本近海のマイワシの場合、北太平洋で発達するアリューシャン低気圧の勢力がその資源量に大きな影響を及ぼすと言われています。


具体的には、アリューシャン低気圧の勢力が強くなると、マイワシの回遊ルートである道東沖から三陸沖にかけての海水温が下がって、マイワシの成長にとって好ましい「寒冷な海」になり、逆にアリューシャン低気圧の勢力が弱まると同海域の海水温が上がって、マイワシの成長にとって好ましくない「温暖な海」になるということだそうです。



この、「寒冷な海」と「温暖な海」がシフトするタイミングでマイワシの資源量に急激な変化が見られるわけですが、この理屈でいくと「レジーム・シフト」による環境の悪化によって急激にマイワシが獲れなくなったとしても、いずれは環境の好転によって自然に回復するというサイクルを繰り返すはずです。


しかし、日本近海のマイワシの漁獲量は1988年をピークに急激に減少した後、一向に回復していません。


ここで問題になってくるのが人間による漁獲圧力です。


「レジーム・シフト」による環境の好転時には、ふ化した稚魚が高い生存率で生き残る「卓越年級群」と呼ばれる世代が発生しますが、資源量が急減している、あるいは回復しはじめている時期であるにもかかわらず、人間が高い「漁獲圧力」をかけ続けると、たとえ稚魚の生存率が高くなったとしても、産卵可能な年齢(二歳)までの生存率が低水準のままとどまることになり、環境の好転時にも資源量が回復しないという状況に陥ってしまうのだそうです。


つまりは、人間による「漁獲圧力」が資源回復の芽を摘んでしまうということです。



というように、この本では、「レジーム・シフト」という概念を軸に海洋環境と生態系、そして漁業との関係をマイワシをはじめとするいくつかの魚種を例に解説するとともに、現在の漁業管理の問題点やその難しさを指摘しています。



私は魚や魚釣りは大好きなんですが、漁業という産業をどうも好意的に見ることができません。


一定の確実性をもって需要に応じた生産の調整ができ、技術革新による生産性の向上も可能な農業や畜産業は、市場経済の枠組みの中でも十分に持続可能な産業ではありますが、自然の摂理で生産力が変動する水産資源を対象とする漁業の場合はそうはいきません。


資源量や生産力を無視して、大量かつ安定した漁獲を求め続ければ、やがては資源も枯渇してしまいます。


にもかかわらず、経済的価値の追求を第一義とする現代の漁業の在り方が、どうにも腑に落ちないのです。


そもそも漁業を世界規模で苛烈な競争が繰り広げられる現代的な経済活動の枠に組み入れて考えること自体に無理があるのではないか...そんな気がします。



水産資源管理の理想的なありようを考えるには、現代的な経済活動とは全く別の次元で漁業の在り方を考える、それくらいの発想の大転換が必要なのではないでしょうか。


今は日本中どこへいっても新鮮な魚介類や水産加工品が手軽に食べられる時代ですが、極端な話、別にそうでなくともいいと思うんですよね。


一部の希少な魚種や獣肉のように、一般の流通ルートには乗せず、それが食べたければ、その産地やに自ら足を運ばなければならない、あるいは然るべきお店に行かなければならない...どんな大衆魚であっても基本的にはそういうものであってもいいのではないでしょうか。


資源が壊滅的に激減してしまうことによって、結果的にそうなってしまうのかもしれませんが...