青春18きっぷでの日帰り旅第4弾。
近江路よりさらに東、美濃路を巡ってきました。
朝一番の大阪始発の新快速に乗り、米原で豊橋行きの特快に乗り換え、まずは大垣で途中下車。
大垣でまず目指したのは大垣城です。
(また城かよ...^^;)
大垣駅から駅前の大通りを南に歩いて5分。
右に入るさほど広くない道の先に、それは唐突に現れました。
(うっかり通り過ぎるところでした^^;)
大垣城は1535年(1500年という説もある)の築城と言われていますが、築城当時は小規模な城で、その後戦国末期にかけて近世的な城郭へと増築されていったそうです。
天守閣は1596年に造営された他に類をみない四層天守で、昭和11年に国宝に指定されたそうですが、残念ながら昭和20年に戦災により焼失しており、現在の天守閣は昭和34年に当時のままの外観に復元されたものだということです。
しかし、大垣城は近世的な城郭になったのが遅かったためか、美濃から近江に至る中山道沿いという、戦国の争乱の中心地に位置しながら、その存在にスポットライトが当てられたのは石田光成が西軍の本拠地を構えた関ヶ原の時くらいなんですね。
(天守閣から西方向を眺めると遠くに山が連なって見えますが、その谷間にあたるところが関ヶ原になります。)
大垣といえば、もう1つ。
松尾芭蕉の「奥の細道」の結びの地としても有名です。
大垣城の外堀ともなっている水門川沿いには、「奥の細道」の旅を終えたおりに詠んだ
蛤のふたみに別行秋そ
という句をはじめ、多くの句碑が建てられています。
「奥の細道」の旅を終えた芭蕉は、この大垣の地でしばし旅の疲れをいやした後、水門川の船町港から船に乗って桑名に下り、お伊勢参りへと向かったそうです。
(2)へつづく...