先日、書店で平積みしてあった文庫のタイトルがふと目にとまりました。
著者は曾野綾子さん。
昔、恩師が授業中に曾野綾子さんの本を紹介してくれたので何冊か読んだことがあります。
そのためちょっと懐かしさのようなものも感じたのですが、それよりも何よりもタイトルに惹かれて買って読んでみました。
でも読みはじめて少しして何かおかしいことに気づきました。
過去の著作からの寄せ集めじゃないですか...^^;
どおりで前後の脈略がないと思いました^^;
でも考えようによってはこういうのも悪いものではありません。
寄せ集めということはいいとこどりということで、いい語録が詰まっているということですから...
この本には簡単に言うと「『いい人』ぶって生きていると疲れるでしょ。そんなのやめて例えばこんな風に考えてみたら楽に生きられますよ。」っていうようなことを書いている本です。
ただ、著者自身が「いい人」として生きることに疲れた人、飽きた人に読んでもらいたいと書いているとおり、そういう人にはフィットする内容ですが、「いい人」でありたいという意欲の強い人などにはひねくれた考え方に思えたり、いい加減で無責任な考え方に思えるところもあり、誤解を招きかねないような内容です。
だから万人におすすめできるような本ではないのですが、私は結構気に入りました(笑)
実際のところ、「いい人」になりたい、「いい人」であり続けたいと思い続ける、あるいはそういう思いが強いために「いい人」でない人の振る舞いを責めたり嘆いたりするというのは結構疲れます。
でも、よくよく考えてみると自分もある面では「いい人」であっても、ある面では「悪い人」だったりもします。
でもその悪いというのは他の人から見たときに「悪い人」と思えることであって、自分としては「悪い」とは思っていなかったりします。
たぶんほとんどの人がそうなんだと思います。
ほとんどの人間は「いい」と「悪い」の二面性を持ちながら、というか実はどっちともつかないことを収まりが悪いので、適当に理由付けをして「いい」とか「悪い」とか振り分けながら生きているのだと思います。
しかもその振り分け方がその人その人の価値観によってまったく違っていたりします。
そんな世の中だから、すべての人から「いい人」と思われるには相当無理をしなければならないだろうし、逆にすべての人に自分の思い描く「いい人」になってもらうのはなおさら難しいことです。
というか不可能なんじゃないでしょうか。
だから、他人に大きな迷惑を掛けない程度の『いい人』度はできる範囲で維持しつつも、他人に合わようと無理にがんばるというようなことはせず、よほど自分の身の安全や生活や財産を脅かされるようなことでもない限りは、他人に自分の考え方を強要したりしない。
それでもいいんじゃないだろうか?
と、実はこの本を読む前からなんとなくぼんやりとそんなことを思っていたりしてたんですが(笑)
まぁ、ともかく「いい人」に疲れた時に、この本を読むとちょっと気が楽になる...そんな本です。