まず、感覚史なる学問分野があることに驚き、手に取ってみた本です。
感覚というものは決して自然なものでも普遍的なものでもなく、歴史や文化によって左右されるものであり、感覚が歴史の中でどのように意味づけられ、どのように変容してきたのかという「感覚の歴史」を探求するのがこの感覚史という学問だそうです。
この本では、都市空間が劇的な変貌を遂げていた大正時代の日本における感覚風景、感覚を客観的に捉えようという感覚科学、ガラス・セロハン・プラスチックという新素材がもたらした新しい感覚、パック旅行や遊園地といった感覚体験の商品化、ヴァーチャルという感覚体験、そして差別や偏見を生み出し助長する可能性のある感覚の政治性など、様々な観点から感覚を歴史的に考えるということがどういうことなのかということを紐解いています。
具体的な事例を挙げられているため、自身の感覚体験を思い起こしたり、あるいは感覚を想像してみたりすることによって、感覚というものがどのように形作られてきたかを”感覚的に”捉えやすかったです。
そして、さもあらんというところではありますが、近現代においては、感覚の歴史に資本主義システム、大量生産、大衆消費というものが強く結びついており、意図的に感覚が意味づけられる傾向が強いのだということを改めて感じました。
プラスチックの話の中に出てきたタッパーウェア。
物心ついた頃には我が家に大量導入されており、いまだ現役で使っているこのプラ容器は、母や祖母らの世代にとっては新しい感覚体験だったのだろうな。
