パスカルの”気晴らし”についての考察を出発点に、そもそも人はいつから退屈しているのかという暇と退屈の起源から、歴史、特に経済史の中で人々が暇と退屈にどう向き合ってきたのかをたどり、現代社会において暇のなかでいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきかを問う本。
暇で退屈な時に”気晴らし”に読んでみました。
(というには小難しい内容ですが...)
特にハイデッガーの退屈論に焦点を当てて深く掘り下げており、退屈の第一形式、第二形式、第三形式の分析はとても興味深いものでした。
他に取り上げられていた思想家、哲学者の考察もそれぞれに鋭さがあり、さまざまな気付きを与えてくれるものでしたが、ハイデッガーも含めて彼らが導き出す結論となると”ん?”となることが多いのも面白いところです。
その”ん?”な結論に対して、こう考えるべきなのではとさらに考察し、本書としての結論をまとめているわけですが、それもどう受け取るかは読む人次第ですかね。
あと、本書では”人は退屈する”ということを前提に話が進むため、読み進めていくにつれ、そもそも人はなぜ退屈するのだろうか、という根本的な疑問が強くなっていき、モヤモヤしましたが、その点については、最後の最後、増補新版の付録として論じられており、ちょっとすっきりしました。
(増補される前に読んでいたらモヤモヤが残ったことでしょう。)
本書では前段として暇と退屈が現代社会にもたらす問題についても触れられていますが、暇と退屈にどう向き合うかを考える時には、その負の側面についても意識しなければならないということを強く思いました。
現代社会は退屈に耐えられない人間の性に付け込み暇を搾取する仕掛けに満ちていますから。