10年ぶりの前夫との会話 | 全てはシンプル

全てはシンプル

DVモラハラギャンブル大好き借金独裁者で生活費入れないオット、娘と息子、小6の重度医療ケア児と小5のわんぱく坊主の孫を持ち、世の中の人たちが死ぬまでにしない経験をし尽くした、モノ、心の在り方、食、生活、思考、全てひっくるめた人生のミニマリスト




今日も遊びに来てくれてありがとうー飛び出すハート









前夫と、つい最近こんなことがありました。


気にはなってたけど私が助けられることはないので、そのままにしてました。


ですが、先日、前夫に電話しました。



なぜ電話したのか?


話したかったから


それだけ。





バナーを押してくださる方の自律神経が癒される設定をしています。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 第二の人生・第三の人生へ






前夫とは元々、嫌いになって別れたのではありません。


一緒にいた頃も会話が途切れることなく、いつも愉しかった。


ちゃんと私の話も聞いてくれて、自分なりの考えを教えてくれた。


私はよくめまいを起こして寝込んでたけど、その時も家事のために昼間帰宅して家事してくれてました。


そんなの当たり前でしょ、って方もいるでしょうが今のオットは全くやらないんですよ。


オットのように私をバカにしないし、自分の要求を通すために私に暴力したり、暴言吐いたり、脅すこともなかった。


前夫もやってることは世間の人たちからしたらかけ離れてるけど、誰かを騙すとか、おとしめるとか、傷付けるということをわざとする人ではなかった。


前夫と結婚した時はこの人と一生一緒にいると思ってたのでまさか離婚するなんて思ってもなかった。


前夫は転職を何十回と繰り返し、最後は起業。


その3年後、3億4000万の負債を抱え会社は倒産。


そのうちの1億は私が被せられた。


一家離散になった。


前夫は自分だけ安全なところに身を隠し、私は債権者の取り立てで子供たちを守るのに必死で連日地獄絵図を味わった。


前夫と生活してないのに籍が入ってるために母子手当はもらえない、後に競売にかかったけど、住んでるのが持ち家だからと生活保護は受けられなかった。


しばらくして前夫と連絡取り合えて離婚。


その後も前夫とは何度か普通に会ってました。


特に息子はパパっ子だったから。



前夫と話すのはこの時以来でした。



数日前にこの記事を書いてました。


精密に言うとこの記事を書いた夜、前夫に電話しました。


ふと、電話したい!と思った。


前夫のアドレスはわかっていたけど携帯番号がわからないので娘に聞いた。


案の定「なんで?」「どうして?」「何話すの?」など質問攻めでした滝汗


前夫に電話。


出てもらえないかと思ったけど出てくれた。


10年ぶりに聞く声は少しろれつが回ってなかった。


薬の影響らしかった。


前夫が重度のうつ病を抱えながら様々な職に就いて、ペースメーカー入れなければならないほど心臓も悪くし、何度も失神して倒れ、職を転々とし今日まできたこと、


娘から持ってると聞いていた障害者手帳は持って無いこと、


役所にも何度も行ってること、


タバコの本数は増えてなく減ってること、


などなど、前夫と話して、私は娘から聞いただけの話と自分の思い込みで決めつけていたことが他にもたくさんあったとわかりました。


娘から聞いている前夫と、前夫本人から聞いていることと、おなじことでも全く違ってた。


子供たちや私の知らなかったこともありました。


子供たちと前夫とでは、同じ出来事でも立ち位置が違うと子供たちが受ける感覚と前夫の感覚では違いがある。


なのに、私は子供たちからしか聞いてないことを鵜呑みにしてしまってた。


前夫と話してて、娘から聞いた事だけ、私がされたことだけ、しか見てなかった。


前夫を誤解して決めつけて思い込んでたと深く反省しました。


子供たちがまだ小さくて4人で生活してた時が1番愉しかったね、って以前からよく話してたけど、それは今でも前夫も私も同じでした。


子供たちも私も知らない私の母の話もしてくれました。


最後は母にボロカス言われたそうです滝汗



ずっと気になってた前夫に被せられた1億の借金の件もきちんと話すことが出来ました。



10年前、ボロ雑巾のように息子、娘、娘婿、前夫たちに捨てられ、私だけが不幸だとずっと思ってきた。


オットからは日常茶飯事に暴力され続けてたし、借金問題をしょっちゅう起こしてくれ、仕事も変わり、最後は自営。


ずっと平穏、安定という言葉のない生活だった。


その中でいかに自分が愉しく居られるか、ひたすら自分に集中してきた。


自分に集中してたら他人をいちいち構ってるヒマはないです。


そしたら次第に会うことはないけど、みんな幸せに暮らしてればそれでいいと思うようになっていって、そのうち家族という枠に執着しなくなった。


だから私を一方的に悪者にして切り捨てた娘と息子が、母が亡くなってから「会っていただけますか?」と言ってきた時はなんの抵抗もなく会いに行ったし、娘に家族4人でご飯食べたいと言われた時もすんなりOKした。


でも、前夫は私に会うことに抵抗があったそうでこの話は流れてました。


前夫、すごく太ったそうです。


薬の影響で太ったのと(私もそうだった)心臓もかなり悪いので身体に浮腫みもあると思います。


自分がうつになって、うつ病だった頃の私の辛さや、しんどさがわかったと言ってました。


「これまでしんどかったね。」と私がしみじみ言ったら「自分がやった事が返ってきたんだな」と前夫。


前夫は何度も「変なメールして悪かった。自分でがんばるよ」と言ってました。


前夫はいろんな経験して成長したんだなと思います。



前夫とは夜22時から日付変わり深夜の1時半まで、約3時間半、話してました。


いつまでも話が尽きない友人との電話のように本当に愉しかった。


母が亡くなってから、娘と息子、友人、前夫と10年空白がみるみる埋まって行ってます。


疎遠だった人たちとの空白も。


今日も1年ぶり以上かな、どうしてるかなーと気にしてた人から電話きて嬉しかったなー照れ


母とは生きてる時には出来なかった心の交流が今はできてるので溝は埋まっていると思ってます。



前夫とこんなふうに話せるなんて思わなかった。



今後、前夫とは連絡を取り合いますし、私がやれる事で前夫を助けられたらなと思います照れ




娘から来た写真。

ライクと新しくお迎えした保護猫アクア。


ライクは目が悪いのでライクより小さい子じゃないといじめられる可能性があると言われていてアクアと出会ったそうです。


仲良くやってるようで安心しました照れ










安心安全なはじめてセット


ビオマルシェ



秋川農園



大地を守る会





上かこちらで1クリックお願いします無気力ピスケ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 第二の人生・第三の人生へ

朱音☺︎︎︎︎