心のシャッターを降ろすとき。
ドンガラガッシャーンっ。。
ー これは、私が心の中で、
人との関係性において、
心を閉ざした時の、
シャッターの音だ。
物凄い勢いで、降ろされてきた 。ー
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どちらかと言うと、
信頼関係が出来る前の、
知り合ったばかりの人、
まだ、不満を伝え合える関係性ではない人
との間で起こっている現象だった。
もしくは、信頼関係が築けていたと
思っていたのに、
“言われたくない言葉”を
言われてしまった、
と思った時だった。
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今回のライオンズゲートが開いた状態で
私は自分のこれまでのその思考が
物凄く気になって、
🔎今深く探求したくなったので、
ここに書き記しています。📝
(自分のテーマと深く関わりがある問題は
自分が気づくまで諦めずに何度も起きてくれる
。だからこそ、やっと気づくことができた。
今回は投げ出さずに向き合ってあげたい。
とふと思えたのだ。)→決してこれをすることが正解だというふうに思っていません。
あくまでも、私は自分にそうしたい。と思ったという感想です。
話を戻して、、。
シャッターを降ろしたくなる出来事。
これは、私の世界では
たまに起きることだった。
私自身がシャッターを閉めるだけでなく、
相手がシャッターを閉めたんだな、と
分かる時がある。
自分もそれをするが、
相手にそれをされることが
むしろ嫌で嫌で仕方なかった。
小さい頃は
それを中心に物事を動かす癖があったくらい
根深いものだ。
では、そのシャッターを降ろす時って、
私はどんな時だろうと考えてみる。
言われたくない言葉を言われた時、
は、一つの重要テーマだと思う。
私から見えていた視点
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“言われたくない言葉”をかけられた。
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この人はひどい。
この人とは関わりたくない。
またひどいことを言われるかも。
裏切られたような気分。
マウンティングされた。
バカにされているかも。
という思考が勝手に発動し、
それが無意識だったために、
“被害者である自分”が
完成する。
私可哀想!こんな人と関わらないほうがいい。
‥ドンガラガッシャーンっ。
というような流れだ。
ここで今一度そこをじっくりと
見直してみたい。
何故かというと、
これが、
本来ひとつであるはずの
自分の心が、
内側と外側という世界を作り出し、
自分の中に
分離を起こしていたことに気づいたからだ。
‥次の記事へつづく。