ちょっとボカロの曲にかけてみました。名前だけで、内容は覚えていませんが(汗
俺の中で、「創作意欲」というものを刺激する人間が何人かいます。
文章の師匠である響野夏菜先生(著:東京S黄尾探偵団・コバルト文庫、等)、
タカマチ、それに数年前からは西加奈子先生(著:きいろいゾウ、サクラ)に西けい子(オトコの一生、姉の結婚等)
…………うん、特に発展させるべき内容はなかった(汗
閑話休題
幸せの白と不幸の黒。
常に真っ白でいるわけでもないし、常に真っ黒になり続けるわけでもない。
幸福と不幸が混じり合って、複雑なモザイクになっている。
過去も現在も未来も。通り過ぎた過去を思い出そうとしても、複雑なモザイクが過去をフィルターにかけているせいかぼやけてしか思い出せない。
現在を見つめようにも、視界さえぼやけて自分の足下さえ覚束ない。
未来を見定めようにも、過去より現在より複雑なモザイクに未来を全く見通すことさえできない。
…………ふーむ、ピントこない。
百歩譲って、幸せが白で、不幸が黒(もしくは逆でもいいけど)それは良い。
でも、それが複雑に混じり合ってモザイクになるっていうか、まぁ、それも良い。
でも、それはその人の人生が本当に白黒で複雑なのだろうか、と。
幸せと不幸ってオセロですよね。同じ一枚の板の裏表。
だって、好きな本を読むこと。体を動かすこと。それは俺にとっては幸せだけど、端から見れば結婚もしないで一人で寂しいっていう不幸になるのかもしれない。
幸福も、不幸も客観的なものだから。誰かと比較しなくちゃ感じることも難しいし、比較することでしか感じられない人もいる。
だからかね。どんな人生を歩んでいたとしても、その人にとっての幸福も不幸も満足も不満も全て関係ない。
誰かから見た、誰かの人生は常に白と黒のモザイク柄なのかもしれないですねぇ。
そして、自分の過去はいつだって色褪せたセピアで、現在は色鮮やかで、未来は透明だ。
白と白に挟まれた黒は、全てが白く見えるのかもしれない。オセロのように、色覚的な意味合いのように、或いは、見ている人の思いこみのせいで。
不幸さえ、幸せに見えてしまうこともあるのかもしれない。
或いは、黒に挟まれた白が、幸福なことでさえ不幸に捕らわれてしまうのかもしれない。
或いは、オセロのように裏返ることさえ生ぬるい。囲碁のように黒に挟まれた白が盤面から、記憶から、思い出から消えてしまうのかもしれない。
本当はあったのに、無かったかのように思えてしまうのかも。
……なんて、うん。
昔はこんなことばかり考えてたな。しー子と会って、俺の価値観はほぼ全て塗り替えられて、もう言葉さえ紡ぐこともできないのかな、なんて思ってたけど、なんてことはない。
目を逸らしているだけなんだよなぁ。
やれやれ、まったく成長しないオッサンだね、俺も。
…………うん、やっぱり自分でオッサン言うのは良いけど、誰かにオッサンって言われると傷つくな、うん