全12回程度で考えていく連載、

「AIが全部やってくれたら、人間は何をする?」

 

今回は第8回です。

前回は、「実は仕事って、最高の暇つぶしだったのでは?」

という話をしました。

 

30歳くらいの頃、仕事を辞めてしばらく何もしなかったとき、

最初は自由で最高だった。

ところが3か月くらいすると、

とにかく暇でしょうがない。

 

しかも一日が長い。

その経験から、

仕事というものは、お金を稼ぐためだけではなく、

時間を区切ったり、

人と関わったり、

問題を解決したり、

達成感を感じたり、

人生にメリハリを作る役割もあるのではないか。

そんなことを考えました。

 

そして最後に、もう一つ疑問が出てきました。

何でもAIがやってくれる世界って、本当に楽しいのでしょうか?


今、私はAIで遊ぶのがものすごく楽しい

最近の私は、

ChatGPTと話をしたり、

Sunoで曲を作ったり、

Vrewで動画を作ったりしています。

これが本当に面白い。

例えば曲を作るとき。

まず歌詞を考える。

Sunoに入れて曲を作ってみる。

 

聴いてみる。

「おお!いいじゃん!」

となることもあれば、

「いや、そこじゃないんだよな……」

となることもある(笑)。

 

歌い方が違う。

曲が長すぎる。

サビが弱い。

歌詞の読み方がおかしい。

じゃあ、もう一回。

設定を変える。

歌詞を直す。

また作る。

 

そして何回かやっているうちに、

「これだ!」

というものができる。

この瞬間が楽しいんですよね。


動画作りも同じ

Vrewで動画を作っていても、

最初から思い通りになるわけではありません。

 

写真を並べる。

動きをつける。

曲に合わせる。

「ここはもう少し長い方がいいな」

「この切り替えは変だな」

「ここでサビに入った方がいいな」

と直していく。

 

画像を作っても、

「窓が増えてるじゃん!」

なんてこともある(笑)。

また直す。

そして最後に、

曲と映像がうまく合ったとき、

「おお、できた!」

となる。

 

考えてみると、

完成した動画を見ることだけが楽しいわけではありません。

 

むしろ、

完成するまでの過程そのものを楽しんでいる

のだと思います。


では、AIが完璧になったら?

ここで未来を想像してみます。

AIが今よりはるかに進歩した。

こちらの好みも完全に理解している。

 

そこで、

「3分くらいの、ちょっと切ないけど最後は前向きになる曲を作って」

と言う。

 

3秒後。

完璧な曲が完成。

歌詞も100点。

メロディーも100点。

歌声も自分の好みに完全一致。

 

さらに、

「この曲のPVも作って」

と言う。

 

また3秒後。

映画監督が作ったような完璧な映像が完成。

修正するところがない。

全部一発で100点。

……。

 

すごいですよね。

間違いなく、ものすごい技術です。

でも、それって楽しいのでしょうか?


「できない」があるから面白い?

ゲームを考えると分かりやすいかもしれません。

ゲームを始めた瞬間に、

ボタンを一つ押したらラスボスを倒して、

最高得点になって、

すべてのアイテムがそろって、

エンディングまで見られる。

 

たぶん、面白くないですよね(笑)。

ゲームは、うまくいかない。

負ける。考える。

練習する。少し上手になる。

また失敗する。

そしてようやくクリアする。

だから面白い。

登山だって、

山頂まで一瞬でワープできたら、

山頂からの景色を見ることはできます。

 

でも、

登った人が感じる達成感とは、

少し違うはずです。


人間は「結果」だけが欲しいわけではない

私たちは普段、効率を求めます。

早く終わらせたい。

失敗したくない。

面倒なことはしたくない。

だからAIは便利です。

 

でも趣味になると、

なぜか逆のことをします。

 

魚が欲しいならスーパーで買えばいいのに、

何時間も釣りをする。

 

パンが欲しいなら買えばいいのに、

自分で焼く。

 

車ならすぐ着くのに、

わざわざ自転車で遠くまで行く。

 

山頂の景色なら写真で見られるのに、

何時間もかけて山に登る。

 

AIに頼めば曲が作れる時代になっても、

自分でギターを弾く人はいなくならないでしょう。

 

なぜか。

たぶん人間は、

結果だけではなく、そこへ行くまでの体験も欲しい

からなのだと思います。


「面倒」は全部悪いものではないのかもしれない

ここまでの人類は、

面倒なことを減らすために進歩してきました。

それ自体は素晴らしいことです。

 

命に関わる危険な仕事。

体を壊すような重労働。

意味のない単純作業。

そういうものをAIやロボットが代わりにやってくれるなら、

私は歓迎したいと思います。

 

でも、

面倒なことを全部なくせば幸せになる

とは限らないのかもしれません。

 

ちょっと難しい。

ちょっとうまくいかない。

ちょっと工夫しなければならない。

 

そして、

やっとできる。

もしかすると、

この「ちょっと面倒」くらいのところに、人間の楽しさがある

のではないでしょうか。


AIは「全部やってくれる存在」でなくてもいい?

ここで、AIとの付き合い方についても少し考えました。

AIに、「全部やって」と頼むこともできます。

 

でも、「一緒に考えて」という使い方もできます。

 

これは結構違います。

例えばこのブログも、AIに、

「AIについてブログを書いて」

とだけ言えば、文章は作れるでしょう。

 

でも私は、

「こんなことを考えた」

「じゃあ、こうなったらどうなる?」

「それなら、これは?」

と話を続けています。

 

AIから返ってきた話を見て、

また自分が考える。

 

そして次の疑問が出てくる。

そうやってこの連載も続いています。

 

つまり今のところ私は、

AIに全部やってもらっているというより、

AIと一緒に遊んでいる

感覚に近いのかもしれません。


将来、人間はわざとAIを使わなくなる?

ここまで考えると、

ちょっと面白い未来も想像できます。

 

AIに頼めば何でも一瞬でできる時代。

 

それなのに人間は、

「今日はAIを使わずに料理してみよう」

「自分だけで絵を描いてみよう」

「自分で曲を作ってみよう」

と言い始める。

 

今でもキャンプへ行けば、

便利な家を離れて、

わざわざテントを張ります。

火を起こします。

外で料理します。

 

つまり、

便利になりすぎたから、不便を楽しむ。

そんなことが未来ではもっと増えるのかもしれません。


「AI禁止」が遊びになる日

もしかすると将来、

こんなゲームが流行るかもしれません。

「今日は一日、AI禁止」(笑)

 

自分で道を調べる。

自分で料理する。

自分で文章を書く。

自分で予定を考える。

 

分からないことがあっても、すぐAIには聞かない。

 

今の私たちからすれば普通の生活ですが、

未来の人からすると、

それがキャンプのような特別な体験になるのかもしれません。

 

そう考えると、ちょっと面白いですよね。


でも、これから生まれる子どもたちは?

そしてここで、

また新しい疑問が出てきます。

 

私たちは、

AIがなかった時代を知っています。

 

スマートフォンがなかった時代も知っています。

インターネットがなかった頃も覚えています。

 

だから、

「昔は大変だった」

「便利になったな」

と比較できます。

 

でも、

これから生まれてくる子どもたちはどうでしょう。

生まれたときからAIがいる。

 

分からないことを聞けば、すぐ答えてくれる。

欲しいものを言えば、作ってくれる。

移動も生活もほとんど自動。

 

そんな世界しか知らなければ、

その子たちは、「便利になった」

とすら思わないはずです。

 

それが最初から、普通の世界なのですから。

 

そして、その子たちは、

私たちとはまったく違う「楽しい」を見つけるのでしょうか。

 

次回、第9回は、

「これから生まれる子どもは『便利になった』ことすら知らない」

について考えてみたいと思います。

 

私たちが「未来」と呼んでいる世界を、

最初から「日常」として生きる人たち。

 

その人たちは、

何を面倒だと思い、

何を楽しいと思い、

何を夢見るのでしょう。

【第9回へ続く】

全12回程度で考えていく連載、

 

「AIが全部やってくれたら、人間は何をする?」

今回は第7回です。

 

少し間が空いてしまいました!!!
 

前回は、

「人類は『楽をするため』に進歩してきた」

という話をしました。

 

歩くのが大変だから乗り物を作った。

遠くの人と話すのが大変だから電話を作った。

調べるのが大変だからインターネットを作った。

 

そして今では、

考えることまでAIが手伝ってくれるようになりました。

 

人類はずっと、

「面倒なことを減らす」

方向へ進んできたように見えます。

 

では、その究極として、

AIとロボットがほとんどすべてをやってくれる世界が来たらどうなるのでしょう。

 

働かなくていい。

お金にも困らない。

家事もしなくていい。

面倒なことはAIがやってくれる。

 

一見すると、

夢のような世界です。

 

でも私は、

自分の昔の経験を思い出すと、

「それ、本当に楽しいのかな?」

と思ってしまいます。


30歳くらいの頃、仕事を辞めた

私は30歳くらいの頃、

仕事を辞めて、しばらく働いていなかった時期があります。

 

仕事を辞めた直後は、当然ながら自由です。

朝、決まった時間に起きなくていい。

通勤しなくていい。

上司もいない。

仕事の電話もない。

今日中にやらなければならない仕事もない。

 

好きな時間に起きて、

好きなことをして、

眠くなったら寝る。

 

働いているときなら、

「そんな生活を一度してみたい」

と思う人もいるでしょう。

 

私も最初は、

しばらくゆっくりすればいいと思っていました。

ところが……


3か月くらいすると、とにかく暇になった

最初のうちはいいんです。

自由ですから。

 

でも、それが毎日続きます。

月曜日も休み。

火曜日も休み。

水曜日も休み。

土曜日も休み。

日曜日も休み。

 

というより、

曜日そのものがあまり関係なくなってくる。

そして3か月くらい経った頃には、

 

とにかく、

暇でしょうがなかった。

 

しかも不思議なことに、

一日がものすごく長い。

 

朝起きて、

「さて、今日は何をしよう?」

となる。

 

特にやることがない。

まだ昼。

まだ3時。

まだ夕方。

働いていると、

「あっという間にこんな時間か」

と思うことがあります。

 

でも何もすることがないと、

時間ってこんなに長いんだ、

と思いました。


そのとき思ったこと

その頃、

私はふと思いました。

「仕事って、一番の暇つぶしなんじゃないか?」

 

もちろん、

仕事をしているときにはそんなことは思いません(笑)。

 

面倒な仕事もある。

嫌なこともある。

朝起きたくない日もある。

「早く休みにならないかな」

と思うこともある。

 

でも仕事をしていると、

朝起きる理由があります。

会社へ行く理由があります。

今日やることがあります。

誰かと話します。

問題が起きます。

どうしようかと考えます。

解決すれば、

「終わった」

と思える。

 

そして一日が終わる。

実は仕事って、

ものすごい量の時間を、人間に使わせてくれている

んですよね。


仕事は「お金をもらう場所」だけではなかった

普通、

「なぜ働くの?」

と聞かれれば、

 

まず、

「生活するため」

と答えると思います。

 

給料をもらって、

家賃を払う。

食事をする。

服を買う。

遊ぶ。

だから働く。

 

これまでの連載でも、その前提から考えてきました。

でも仕事には、

お金以外にもいろいろな役割があるのかもしれません。

 

例えば、

時間を区切ってくれる。

朝、仕事が始まる。

昼休みがある。

夕方、仕事が終わる。

一週間働いて休日になる。

給料日が来る。

夏休みが来る。

年末年始が来る。

 

仕事があることで、

人生に区切りができます。


「休み」が楽しいのは、仕事があるから?

これも考えると不思議です。

金曜日の夜って、

ちょっと嬉しくありませんか?

「明日は休みだ!」と思う。

旅行へ行く前も楽しみです。

連休の前も嬉しい。

 

でも、

365日ずっと休みだったら、

「休み」という言葉そのものがなくなります。

 

毎日が日曜日。

最初は最高でしょう。

でも日曜日が365日続いたら、

日曜日は特別ではなくなります。

 

もしかすると、

休日が楽しいのは、

仕事の日があるから

なのかもしれません。


面倒なことがあるから、楽しいことがある

これは仕事だけではない気がします。

 

お腹が空くから、ご飯がおいしい。

疲れるから、お風呂が気持ちいい。

歩いたから、座るとホッとする。

難しいことに挑戦したから、できたとき嬉しい。

失敗したから、成功したとき嬉しい。

 

つまり人間の楽しさって、

案外、「嫌なことが一切ない状態」

から生まれるのではなく、

その反対側にあるものとの落差から生まれているのかもしれません。


AIが仕事を全部やってくれたら?

そこで、この連載の最初の疑問に戻ります。

 

AIが全部働いてくれたら?

人間は働かなくていい。

 

生活に必要なものもAIとロボットが作ってくれる。

お金の心配もしなくていい。

朝、目覚まし時計も必要ない。

好きな時間に起きる。

今日やらなければならないこともない。

明日もない。

来週もない。

 

それが、

10年。

20年。

50年。

もし寿命まで延びていったら、

100年、200年……

 

ずっと続くかもしれない。

 

そのとき人間は、

何をして一日を過ごすのでしょう。


「働かなくていい」と「何もしなくていい」は違う

ここは大事だと思います。

 

私は、人間は絶対に働かなければならない、

と言いたいわけではありません。

 

嫌な仕事を我慢して続けることが素晴らしい、

という話でもありません。

 

AIによって危険な仕事や単純作業が減るなら、

それは素晴らしいことだと思います。

 

ただ、

「働かなくてもいい社会」になったとき、人間は何をするのか。

ここを同時に考えないといけない気がします。

 

仕事がなくなれば、

人間には膨大な時間が戻ってきます。

 

問題は、その時間を何に使うのかです。


もしかすると未来では「仕事」を自分で作る?

ここまで考えて、

ちょっと面白いことを思いました。

 

生活のために働く必要がなくなったら、

逆に人間は、

自分から仕事のようなものを作り始める

のではないでしょうか。

 

畑を作る。

料理をする。

絵を描く。

曲を作る。

スポーツをする。

何かを研究する。

店をやってみる。

人に何かを教える。

地域の活動をする。

 

AIに頼めば一瞬でできることを、

わざわざ自分でやる。

 

今でもキャンプに行けば、

家ならボタン一つで炊けるご飯を、

わざわざ火を起こして炊いたりします(笑)。

 

便利な生活から離れるために、

お金を払ってキャンプへ行く。

 

考えてみれば、

これって結構面白いですよね。


人間は「面倒」を自分で作り始めるのかもしれない

AIが面倒なことを全部なくしてしまったら、

人間は今度、面倒なことを遊びとして作る

のかもしれません。

 

わざわざ自分で料理する。

わざわざ自分で曲を作る。

わざわざ自分で家具を作る。

わざわざ遠くまで歩く。

わざわざ難しいゲームに挑戦する。

 

なぜそんなことをするのか。

たぶん、

簡単にできてしまったら面白くないからです。


そして今、私はAIで遊んでいる

最近の私は、

ChatGPTと話したり、

Sunoで曲を作ったり、

Vrewで動画を作ったりしています。

これが本当に面白い。

でも面白いのは、

ボタンを一つ押したら完璧なものが完成するからではありません。

 

歌詞を考える。

曲を作ってみる。

「あれ、ちょっと違うな」

と思う。

やり直す。

動画に合わせる。

タイミングを変える。

また直す。

 

そして、

「おお、いいじゃん!」

となる。

 

この過程が面白いんですよね。

 

でももし将来、

AIに、「感動する曲を作って」

と言った瞬間、

自分の好みに100%合った完璧な曲が3秒で完成したら?

 

「映画を作って」と言ったら、

2時間の最高傑作が一瞬で完成したら?

 

最初は感動するでしょう。

でも、それが当たり前になったら……

それでも楽しいのでしょうか?

次回、第8回は、

「何でもAIがやってくれる世界は、本当に楽しい?」

について考えてみたいと思います。

 

便利になることと、

楽しくなることは、

もしかすると同じではないのかもしれません。

 

そして人間にとって、「ちょっと面倒」くらいが、

実は一番楽しいのかもしれません。

 

【第8回へ続く】

全12回程度で考えていく連載、

 

「AIが全部やってくれたら、人間は何をする?」

今回は第6回です。

 

前回は、

「AIが何でも知っているなら、勉強する意味はある?」

という話をしました。

 

AIがいつでも答えを教えてくれるようになれば、

知識をひたすら覚えることより、

「何を聞くのか」

「その答えは本当に正しいのか」

「自分はどう考えるのか」

ということの方が大切になるのではないか。

そんなことを考えました。

そして最後に、また一つ気になることが出てきました。

 

考えてみれば人間は、

ずっと同じことをしてきたのではないでしょうか。

 

それは、

「面倒なことを、できるだけ楽にする」

ということです。


歩くのが大変だから、乗り物を作った

昔、人間は歩いて移動していました。

でも遠くまで歩くのは大変です。

だから馬に乗った。

自転車を作った。

自動車を作った。

電車を作った。

飛行機まで作った。

 

今では東京から大阪まで歩こうと思う人は、普通はいません(笑)。

新幹線に乗ればいい。

もっと遠ければ飛行機に乗ればいい。

 

つまり人間は、

「歩く」という大変な作業を、技術によってどんどん減らしてきた

わけです。


遠くの人に会いに行くのも面倒だった

人と話すことも同じです。

昔なら遠くにいる人と話したければ、

実際に会いに行くしかありませんでした。

 

それが手紙になり、

電話になり、

携帯電話になり、

メールになり、

LINEになり、

今ではテレビ電話まで普通にできます。

 

30年くらい前を思い出すと、本当に不思議です。

待ち合わせをして相手が来なかったら、

連絡する方法がない。

駅の伝言板を使ったり、

公衆電話から相手の家に電話したり、

それでも分からなければ待つしかない。

 

今なら、「今どこ?」

とLINEを一本送れば終わりです。

 

わずか30年ほどで、あれだけ当たり前だった不便が、

「そんな時代、本当にあったの?」

というくらい変わってしまいました。


調べることも、とんでもなく楽になった

何か分からないことがあったときもそうです。

 

昔なら本屋へ行く。

図書館へ行く。

辞書を引く。

詳しい人に聞く。

 

それでも分からないことはたくさんありました。

インターネットが登場して、

Googleなどで検索できるようになった。

これだけでも革命的でした。

 

ところが今は、さらにAIがあります。

検索結果を何ページも読む必要すらない。

「これってどういうこと?」

と聞けば、

自分に分かるように説明してくれる。

 

難しければ、「もっと簡単に」と言えばいい。

 

それでも分からなければ、

「小学生でも分かるように」

と頼めばいい(笑)。

 

人間はついに、

「調べる」という面倒まで減らし始めた

のかもしれません。


そして今度は「考えること」まで楽にし始めた

ここがAI以前の技術と少し違うところだと思います。

 

洗濯機は洗濯を楽にしてくれました。

掃除機は掃除を楽にしてくれました。

自動車は移動を楽にしてくれました。

電卓は計算を楽にしてくれました。

 

でもAIは、

文章を考える。

アイデアを出す。

画像を作る。

曲を作る。

動画を作る。

資料をまとめる。

相談に乗る。

というところまで入ってきています。

 

つまり、

今まで人間の頭の中でやっていた作業まで、機械に手伝ってもらうようになった。

これはかなり大きな変化です。


私自身、すでにものすごく楽をしている

このブログだってそうです。

 

昔だったら、

テーマを考えて、

構成を考えて、

文章を書いて、

何度も読み直して、

タイトルを考えて……

かなり時間がかかったと思います。

 

今はChatGPTと話しながら、

「こんなことを考えたんだけど」と投げる。

 

すると、

「じゃあ、こういう話にもつながりますね」となる。

 

そこから、

「それ面白いね」

「じゃあ次はこれを考えてみよう」

と話がどんどん広がっていく。

 

最近はSunoで曲まで作り、

Vrewで動画まで作っています。

 

少し前の自分なら、

「曲を作る?」

「動画を作る?」

そんなの無理だよ。

と思っていたはずです。

 

でも今はAIの力を借りながら普通にやっています。

しかも、

これがものすごく面白い。


人類はずっと「楽をしたい」と思ってきた

こうして考えると、人類の技術の歴史って、

かなりの部分が、

「面倒くさい」

から始まっているのではないでしょうか。

 

歩くのが面倒。

運ぶのが面倒。

洗うのが面倒。

計算するのが面倒。

探すのが面倒。

覚えるのが面倒。

考えるのが面倒。

 

だから道具を作る。

機械を作る。

コンピューターを作る。

そしてAIを作る。

 

もちろん、

「もっと速く」

「もっと安全に」

「もっと正確に」

という目的もあります。

 

でも根っこの部分には、

「もっと楽にしたい」

という人間の欲求がずっとあったような気がします。


では「究極に楽な世界」は幸せなのか?

ここで少し変なことを考えてみます。

人類がずっと、「もっと楽に」を続けていったとします。

 

料理をしなくていい。

掃除をしなくていい。

運転しなくていい。

買い物に行かなくていい。

働かなくていい。

 

勉強しなくても必要なことはAIが教えてくれる。

 

文章もAI。

音楽もAI。

動画もAI。

旅行の計画もAI。

面倒な手続きもAI。

何か困ったらAIが全部解決してくれる。

 

朝起きた瞬間から寝るまで、

やらなければならないことが何もない。

これは、人類がずっと目指してきた夢の世界なのでしょうか。


でも、ちょっと待ってください

もし本当に、

何もしなくていい。

働かなくていい。

お金にも困らない。

家事もしなくていい。

面倒なことは全部AIがやってくれる。

 

そんな世界になったら、

最初の1週間くらいは最高かもしれません(笑)。

 

好きな時間に起きる。

好きなものを食べる。

映画を見る。

遊ぶ。

旅行する。

昼寝する。

 

でも、

それが1か月続いたら?

1年続いたら?

10年続いたら?

 

毎朝起きて、

「今日も別にやることはない」

となったら、人間は本当に幸せなのでしょうか。


実は「面倒なこと」が人生を作っている?

仕事は面倒です。

朝起きるのも面倒。

通勤も面倒。

人間関係も面倒。

 

失敗することもある。

思い通りにならないこともある。

 

でも仕事があるから、

月曜日がある。

金曜日がある。

休日がうれしい。

給料日がうれしい。

仕事が終わったあとのビールがおいしい(笑)。

 

何か面倒なことがあるから、

それが終わったときに、

「終わった!」

と思える。

 

もしかすると人間は、

面倒をなくすために技術を進歩させながら、

同時に、

人生のメリハリを作っている「面倒」まで消そうとしている

のかもしれません。


私には、ちょっと思い当たることがある

実は私は30歳くらいの頃、

仕事を辞めて、しばらく何もしなかった時期があります。

 

最初は、

「しばらくゆっくりしよう」

くらいに思っていました。

 

朝も自由。

会社へ行かなくていい。

誰にも指示されない。

時間は全部自分のもの。

 

今考えれば、

ある意味かなり贅沢な状態です。

 

ところが……

3か月くらい経った頃には、

暇でしょうがなかった。

 

そして妙に、一日が長い。

朝起きても、今日やらなければならないことがない。

明日もない。その次の日もない。

 

自由なはずなのに、

だんだんその自由を持て余すようになりました。

 

そのとき私は、

今でも覚えていることを思いました。

「仕事って、もしかして一番の暇つぶしなんじゃないか?」(笑)


人間が欲しかった「究極の楽」の先

人類は何千年もかけて、不便を減らしてきました。

 

そしてAIによって、

そのスピードは一気に上がるかもしれません。

 

もし本当に、

人間がやらなければならないことがほとんどなくなったら、

次に問題になるのは、「どうやって楽をするか」ではなく、

「余った人生をどう使うか」なのかもしれません。

 

これは今までの人類が、

ほとんど経験したことのない問題です。

 

次回、第7回は、

「実は仕事って、最高の暇つぶしだったのでは?」

について考えてみたいと思います。

 

お金のためだけではなく、

時間を区切る。

人と関わる。

目標を持つ。

失敗する。

悩む。

達成する。

そして休日を楽しみにする。

 

もしAIが仕事を全部やってしまったら、

人間が失うのは「給料」だけではないのかもしれません。

【第7回へ続く】

全12回程度で考えていく連載、

「AIが全部やってくれたら、人間は何をする?」

 

今回は第5回です。

前回は、

「AIが全部作るなら、お金そのものが要らなくない?」

という話をしました。

 

AIとロボットが食料を作る。

服を作る。

家を建てる。

そして自動で運ぶ。

 

もし生活に必要なものが十分に作られるようになれば、

「生きるために働いて、お金を稼ぐ」

という今まで当たり前だった仕組み自体が変わるかもしれません。

 

もちろん、土地や人気の場所のように数が限られているものは残るでしょう。

だから、お金が完全になくなるかどうかは分かりません。

 

でも少なくとも、

「生きるためにはお金が必要で、そのためには働かなければならない」

という関係は、今よりずっと弱くなる可能性があります。

 

そこで前回の最後に、また一つ疑問が出てきました。

働く必要がなくなったら、勉強する意味って何だろう?

 

今回はここを考えてみます。


子どもの頃、なぜ「勉強しなさい」と言われたのか

子どもの頃、

「ちゃんと勉強しなさい」

と言われた経験がある人は多いと思います。

 

私もそうでした。

では、なぜ勉強しなければならなかったのでしょう。

 

もちろん、

知識を身につけるため。

物事を考える力をつけるため。

世の中を理解するため。

いろいろな理由があります。

 

でも、かなり現実的な理由として、

「将来困らないため」

というものもあったと思います。

 

勉強する。

良い成績を取る。

学校へ進学する。

資格を取る。

会社に入る。

仕事を覚える。

そして給料をもらう。

 

つまり勉強は、

「将来、社会の中で働いて生きていくための準備」

という面をかなり持っていました。


でも、仕事をAIがやるなら?

では、AIが人間の仕事の多くをできるようになったらどうでしょう。

文章を書く。

翻訳する。

計算する。

プログラムを書く。

資料を作る。

画像を作る。

音楽を作る。

動画を作る。

法律や税金について調べる。

大量のデータを分析する。

 

今まで、

「専門知識を持った人間だからできる」

と思われていた仕事にも、すでにAIが入り始めています。

 

もちろん今のAIが何でも完璧にできるわけではありません。

間違えることもあります。

人間による確認が必要な場面もたくさんあります。

 

でも、これが10年、20年、30年と進歩したら?

 

今の子どもたちが大人になる頃、

「仕事をするために大量の知識を頭に覚えておく」

ということは、今ほど重要ではなくなっているかもしれません。


すでに私たちは「覚えなくなっている」

考えてみると、これはAIが登場する前から始まっていました。

 

昔は電話番号を何件も覚えていました。

今はほとんど覚えていません。

 

昔は車に分厚い道路地図を積んでいました。

今はカーナビやスマホが案内してくれます。

 

分からない漢字があれば辞書を引いた。

知らないことがあれば百科事典を調べた。

今はスマホで検索すれば数秒です。

 

そしてAIになると、

検索することすら減ってきます。

「これってどういうこと?」

と聞けば説明してくれる。

 

分からなければ、

「もっと簡単に説明して」

と言えばいい。

 

さらに、

「じゃあ、この場合は?」

と続けて聞ける。

 

考えてみれば、

人間はすでに少しずつ「記憶を外部に預けている」

んですよね。


私自身、最近それをものすごく感じる

最近の私は、ChatGPTを使ってブログを書いたり、

Sunoで曲を作ったり、

Vrewで動画を作ったりしています。

 

少し前までなら、

動画編集のやり方を本やネットで調べて、

操作方法を一つずつ覚えて、

分からなければまた検索して……

ということをしていたと思います。

 

ところが今は、

「これ、どうやるの?」

とAIに聞いてしまいます(笑)。

 

しかも、

ただ答えを教えてもらうだけではありません。

 

「こういうことをやりたいんだけど」と相談すると、

やり方そのものを一緒に考えてくれる。

 

私は最近、

何かを全部覚えてから始めるのではなく、やりながら必要なことをAIに聞く

ということが増えました。

 

これは結構大きな変化だと思います。


じゃあ学校で暗記する必要はなくなる?

ここまで考えると、

「じゃあ勉強なんてしなくていいじゃん」

となりそうです。

 

でも、たぶんそう単純ではありません。

例えばAIに、

「日本の人口について教えて」

と聞いたとします。

 

AIが数字を答える。

でも、その数字が正しいのか。

いつの数字なのか。

何と比較すればいいのか。

その数字から何が言えるのか。

これは、ある程度の知識がなければ判断できません。

 

AIが間違った答えを出しても、何も知らなければ、

間違っていることにすら気づけない。

 

ここは結構怖いところです。


「答えを覚える勉強」から「答えを考える勉強」へ

もしかするとAI時代に変わるのは、

勉強そのものではなく、勉強する内容

なのかもしれません。

 

今までは、

「この年号を覚えなさい」

「この公式を覚えなさい」

「この単語を覚えなさい」

という勉強がたくさんありました。

 

もちろん基礎知識は必要です。

 

でもAIがいつでも知識を取り出してくれるなら、

これからもっと重要になるのは、

 

何を聞くのか。

その答えは本当に正しいのか。

別の考え方はないのか。

自分はどう思うのか。

という部分なのではないでしょうか。


実は、このブログ自体がそうなのかもしれない

この連載もそうです。

私はAIについて研究している専門家ではありません。

未来学者でもありません。

経済学者でもありません。

 

ただ、

テレビで「AIで人類滅亡」という話を見て、

「でも、人類滅亡ってそういう意味だけなのかな?」

と思った。

 

そこから、

AIが全部働いたら?

↓

人間はどうやってお金をもらう?

↓

給料がなかったら誰が商品を買う?

↓

国がお金を配る?

↓

でも税金は誰が払う?

↓

そもそもAIが全部作るなら、お金って必要?

↓

じゃあ仕事がなくなったら、勉強する意味は?

と、どんどん疑問がつながってきました。

 

AIは、その疑問についていろいろな情報を出してくれます。

 

でも、

「次に何が気になるか」

は私の中から出てきます。

 

これって、もしかするとAI時代の「学ぶ」ということに近いのかもしれません。


答えを知っていることより、疑問を持つこと

もし将来、

AIがほとんどの質問に答えられるようになったら、

「物知りであること」の価値は今より下がるかもしれません。

 

でも、

「なぜ?」

と思うこと。

「本当にそうなの?」

と疑うこと。

「じゃあ、こうなったらどうなる?」

と想像すること。

 

これは人間の側に残ります。

むしろ答えが簡単に手に入る時代だからこそ、

良い疑問を持つことの方が大切になる

のかもしれません。


そして、もう一つ気になることがある

ここまで考えていて、

ふと思いました。

 

人間はずっと、

「もっと便利にしたい」

「もっと早くしたい」

「もっと楽にしたい」

と思って技術を進歩させてきました。

 

歩くのが大変だから乗り物を作った。

遠くの人と話せないから電話を作った。

調べるのが大変だからインターネットを作った。

 

そして今、

考えることまでAIが手伝ってくれるようになった。

 

つまり人類の歴史って、

見方を変えれば、

ずっと「面倒なことを減らしてきた歴史」

なのかもしれません。

 

でも……

面倒なことを全部なくした先には、

一体何が残るのでしょう。

 

もしかすると私たちは、

とんでもなく便利な世界を作ろうとしている一方で、

人間が今まで当たり前にやってきた、

「努力する」「覚える」「工夫する」

という行為まで減らそうとしているのかもしれません。

 

そして、それは本当に幸せなことなのでしょうか。

 

次回、第6回は、

「人類は『楽をするため』に進歩してきた」

について考えてみたいと思います。

 

歩くより自転車。

自転車より車。

手紙より電話。

電話よりスマホ。

検索よりAI。

 

人類が何千年も続けてきた、「もっと楽にしたい」

の先に何があるのか。少し考えてみたいと思います。

【第6回へ続く】

全12回程度で考えていく連載、

「AIが全部やってくれたら、人間は何をする?」

 

今回は第4回です。

 

前回は、

「働く人がいなくなったら、税金は誰が払う?」

という話をしました。

 

AIやロボットによって人間の仕事が減れば、給料をもらう人も減る。

だったら国がお金を配ればいい。

いわゆるベーシックインカムのような仕組みです。

 

でも、そのお金の財源はどこから出すのか?

そこで、AIやロボットによって生まれた企業の利益や付加価値を

社会へ還元する仕組みが必要になるのではないか?

 

そんなところまで考えました。

 

ところが最後に、もっと根本的な疑問が出てきました。

「そもそも、お金って必要なの?」

 

今回はここを考えてみたいと思います。


スーパーでお金を払う意味って何だろう?

ちょっと極端な未来を想像してみます。

 

農業はほぼ完全に自動化。

AIが天候や土壌を分析して、種をまく。

農業ロボットが育てる。

収穫もロボット。

自動運転トラックがスーパーまで運ぶ。

商品の管理もAI。

陳列もロボット。

 

ここまで人間がほとんど働いていないとします。

そして私たちは国から毎月お金をもらいます。

 

そのお金を持ってスーパーへ行き、

「大根200円」

「キャベツ150円」

「お米3,000円」

とお金を払って買って帰る。

……。

前回も書きましたが、

ここでどうしても思ってしまうんです。

そのお金、一回挟む必要ある?(笑)

国からお金をもらって、

AIとロボットが作った食料に、そのお金を払う。

 

だったらスーパーへ行って、

必要な食料を持って帰ればいい。


服だって同じことになる

服もそうです。

AIが流行や需要を分析する。

AIがデザインする。

ロボットが生地を作る。

ロボットが縫製する。

自動運転で店舗へ運ぶ。

あるいは注文したら自動で自宅へ届く。

 

もし、そのすべてがほぼ自動化されたら、

人間が給料をもらい、

その給料で服を買うという仕組みは何のためにあるのでしょう。

 

生活用品も同じです。

家具。

家電。

食器。

日用品。

 

今まで人間が働いて作っていたものを

AIとロボットが大量に作れるようになれば、

 

「働いてお金を稼がなければ、物を手に入れられない」

という今までの常識そのものが変わる可能性があります。


そもそも、お金は「交換するための道具」

考えてみれば、お金そのものを食べることはできません。

1万円札を持っていても、お腹はいっぱいになりません。

1万円札を着ても寒さを防げません。

 

お金には、

「欲しいものと交換できる」

という共通の約束があるから価値があります。

 

昔の物々交換では、

魚を持っている人が野菜を欲しい。

でも野菜を持っている人は魚が欲しくない。

これでは交換が成立しません。

 

そこで、みんなが価値を認めるものを間に入れる。

それがお金です。

 

つまりお金は、

限られた物やサービスを、人間同士で交換するための非常に便利な仕組み

だったわけです。

 

ではAIによって、物が大量に作れるようになったらどうなるのでしょう。


「欲しいものが十分にある世界」

例えば、スーパーに大根が100本しかないのに、

欲しい人が1,000人いたら困ります。

 

誰に渡すのかを決めなければなりません。

今の社会では、その調整に価格が使われています。

 

でもAIが需要を予測して、

必要な大根を必要なだけ作れるとしたら?

もちろん現実には天候も土地も資源もありますから、

無限に作れるわけではありません。

 

それでも今よりはるかに効率よく、

「必要なものを、必要な量だけ作る」

ことは可能になるかもしれません。

 

そうなると、

「食べるためのお金」

「着るためのお金」

「最低限生活するためのお金」

の意味は、今よりかなり小さくなるのではないでしょうか。


じゃあ、全部無料になる?

ここまで考えると、

「未来は全部無料になるのか?」

と思ってしまいます。

 

でも、たぶん話はそんなに簡単ではありません。

 

なぜなら、

AIでも増やせないものがあるからです。

例えば土地。

東京のど真ん中の一等地を、

AIが100倍に増やすことはできません。

 

海が見える最高の場所。

駅前の便利な土地。

富士山がきれいに見える場所。

人気アーティストのライブ最前列。

人気店の10席しかないカウンター。

 

こういうものはAIがどれだけ進歩しても、数に限りがあります。


「みんな欲しい。でも数が足りない」

ここで、また問題が出てきます。

食料も服も生活用品も無料。

家もAIとロボットが建ててくれる。

 

でも、

「私は渋谷駅前に住みたい」

と100万人が言ったらどうするのでしょう(笑)。

 

全員は住めません。

抽選?

早い者勝ち?

順番待ち?

国が決める?

AIが決める?

それとも、やっぱり高いお金を払える人が住む?

 

ここで再び、

「希少なものをどうやって分けるのか」

という問題が出てきます。

 

もしかすると未来のお金は、

今のように、

「生きるために必要なものを買う道具」

ではなく、

 

「希少なものを誰が使うか決めるための道具」

として残るのかもしれません。


お金がなくなるというより「役割が変わる」のかもしれない

そう考えると、

「AIが進歩したら、お金が完全になくなる」

とまでは言えない気がします。

 

ただ、

お金の意味は大きく変わる可能性があります。

 

今は、

働かなければ給料がない。

給料がなければ食べられない。

家賃も払えない。

服も買えない。

だから働く。

という人が多いと思います。

 

でもAIが生活に必要なものを大量に生産できるようになれば、

最低限生きることと、お金を稼ぐことが切り離されるかもしれません。

 

そうなれば、

「生活するために働く」

という人類の当たり前が初めて崩れることになります。


すると、また次の疑問が出てくる

食べるために働かなくていい。

住むために働かなくていい。

服を買うために働かなくていい。

AIが必要なことを何でも教えてくれる。

分からないことがあれば、その場ですぐ答えてくれる。

仕事に必要な知識を何年もかけて覚える必要もなくなるかもしれない。

……。

そこで、また思ってしまいました。

じゃあ、勉強する意味って何だろう?

 

私たちは子どもの頃から、

「ちゃんと勉強しなさい」

と言われてきました。

 

なぜ勉強するのか?

もちろん知ること自体にも価値があります。

 

でも現実には、

良い学校へ行く。

資格を取る。

良い会社へ入る。

仕事で必要な知識を身につける。

そして収入を得る。

そんな目的もかなり大きかったと思います。

ところが、

仕事をAIがやる。

分からないこともAIが教えてくれる。

お金を稼がなくても生活できる。

そんな世界になったら……

 

学校で何年もかけて知識を覚える意味は、今と同じなのでしょうか?

 

今回もまた、

一つの疑問を考えていたら、次の疑問にたどり着いてしまいました(笑)。

 

次回、第5回は、

「AIが何でも知っているなら、勉強する意味はある?」

について考えてみたいと思います。

 

仕事のために勉強する必要がなくなったとき、

それでも人間は学ぶのでしょうか。

 

そして、

「知りたいから学ぶ」

ということだけが残ったとしたら、

それは今より不幸な世界なのでしょうか。

 

それとも、今よりずっと贅沢な学びの世界なのでしょうか。

【第5回へ続く】