【第4回】NHKに反旗を翻した立花孝志―

―なぜ「NHKをぶっ壊す」は生まれたのか

 

ここまで3回にわたって、NHKについて調べてきた。

 

テレビというメディアの変化。

76年前に作られた受信契約制度。

年間約5900億円の受信料収入。

約1万人規模の職員。

関連団体との巨額の契約。

 

そして私は、

「令和の時代に、公共放送は本当に現在の規模で必要なのだろうか」

という疑問を持つようになった。

 

そんなNHKについて調べていると、どうしても避けて通れない人物が出てくる。

立花孝志。

「NHKをぶっ壊す!」

という言葉で、一躍全国に知られるようになった人物である。

 

正直に言えば、私も以前は、

「NHKに文句を言っている変わった政治家」

くらいの認識だった。

 

しかし今回、改めて経歴を追ってみると、少し印象が違った。

 

この人物は、外から突然NHKを批判し始めた人ではない。

もともとは、

19年間NHKの中にいた人間だったのである。


■ 1986年、NHKに入局

立花孝志氏は1967年生まれ。

高校卒業後の1986年、NHKに入局した。

 

最初の配属は和歌山放送局。

その後、大阪放送局の経理部などを経て、
1998年には東京のNHK本部、報道局スポーツ報道センターへ
異動している。

 

つまり、

「少しNHKに勤めて辞めた」

という経歴ではない。

約19年間。

人生のかなりの部分をNHK職員として過ごしている。

しかも経理関係の仕事を長く経験していた。

 

これは、後の活動を考えると非常に重要な経歴だと思う。

 

なぜなら立花氏が後に批判することになるのは、

単に、

「NHKの番組が気に入らない」

という話ではなかったからである。


■ 2005年、週刊文春で内部告発

大きな転機が訪れたのは2005年。

立花氏は「週刊文春」で、NHK内部の不正経理について

実名・顔出しで内部告発した。

 

そして同年7月、NHKを依願退職する。

ここについては注意が必要だ。

 

立花氏自身は後年、

内部告発後に周囲との関係が変化し、実質的に辞めざるを
得なくなったという趣旨の説明をしている。

 

一方、公式な経歴上はあくまで「依願退職」である。

 

したがって、

「内部告発したためNHKから解雇された」

と断定するのは正確ではない。

 

ただ、

2005年に内部告発を行い、その数か月後に19年間勤めたNHKを退職した。

ここまでは確認できる事実である。

 

そしてここから、

立花孝志という人物とNHKとの長い対立が始まる。


■ 最初から政治家だったわけではない

退職後、立花氏はフリージャーナリストとして活動する。

 

その後インターネットを使った情報発信を始め、

2011年には「立花孝志ひとり放送局」を開始。

 

翌年には会社を設立する。

 

今でこそ政治家がYouTubeやSNSで直接情報を

発信することは珍しくない。

 

しかし当時はまだ、

テレビや新聞を通さず、自分自身が放送局になる

という発想は現在ほど一般的ではなかった。

 

NHKという巨大な放送局に対して、

インターネットという新しいメディアを使って一人で発信する。

 

ここでも、第1回で書いた、

「情報を発信する側と受け取る側の関係が変わった」

という話につながってくる。


■ そして「NHKから国民を守る党」が生まれる

2013年。

立花氏は政治団体を立ち上げる。

 

後の、「NHKから国民を守る党」である。

 

主張の中心は非常に分かりやすかった。

 

NHKを見ない人まで受信料を負担する現在の制度を見直し、

契約者だけがNHKを視聴できる、

 

いわゆる、「スクランブル放送」を実現する。

 

つまり、

「NHKを完全になくせ」というより、

「見たい人が契約し、見ない人は契約しなくていい仕組みにする」

という考え方だった。

 

これは第2回で私が感じた疑問と、かなり近い。

 

Netflixを見る人がNetflixと契約する。

NHKを見る人がNHKと契約する。

 

ただそれだけのことではないのか。

 

しかし現在の放送法では、そうなっていない。

立花氏は、その仕組み自体を政治によって変えようとした。


■ 最初はほとんど相手にされなかった

もちろん、最初から順調だったわけではない。

 

地方選挙に出ても落選する。

大政党のような組織もない。

資金力もない。

テレビで大きく取り上げられるわけでもない。

 

ところが2015年。

千葉県船橋市議会議員選挙で初当選する。

得票数は約2623票。

 

全国的に見れば小さな数字である。

 

しかしここから立花氏は、選挙という制度そのものを

かなり研究するようになる。

 

どの選挙なら何票あれば当選できるのか。

供託金はいくら必要なのか。

政党として認められるには何%の票が必要なのか。

 

そしてテレビよりもYouTubeやSNSを使って直接有権者へ情報を届ける。

政治家としては、かなり異質な方法だった。


■ 「NHKをぶっ壊す!」

2016年。

立花氏は東京都知事選挙に立候補する。

 

もちろん当選には至らなかった。

しかし、ここで大きな武器を手にする。

政見放送である。

選挙に立候補すれば、一定の条件のもとで政見放送を

通じて自分の主張を有権者に伝えることができる。

 

そして皮肉なことに、

NHKを批判する立花氏の主張が、

NHK自身の電波を使って全国へ流れる。

 

そこで繰り返された言葉が、

「NHKをぶっ壊す!」

だった。

 

政策を細かく説明するより、圧倒的に分かりやすい。

 

賛成する人もいる。

嫌悪感を持つ人もいる。

 

しかし、

一度聞いたら忘れにくい。

 

この言葉によって、立花孝志という名前は徐々に全国へ広がっていった。


■ そして本当に国政政党になった

2019年7月。

参議院議員選挙。

 

「NHKから国民を守る党」は

比例代表で約98万8000票を獲得し、1議席を得る。

 

立花氏自身が参議院議員に当選した。

 

さらに同党は全国の選挙区で得票率2%を超え、

法律上の政党要件を満たした。

 

それまで、「泡沫候補」「変わった人」

くらいに見られていた人物が、

本当に国会議員になってしまったのである。

 

私は今回改めて調べてみて、ここがかなり興味深かった。

 

立花氏は偶然当選したわけではない。

 

本人は以前から「2%」という政党要件を意識し、

全国に候補者を擁立する戦略を取っていた。

 

良い悪いは別として、

選挙制度をかなり計算していた人物だった

ことは間違いない。


■ ただし、ここから評価は大きく分かれる

ここまで書くと、

立花氏を持ち上げているように感じる人もいるかもしれない。

 

しかし、この人物を調べるうえで、

もう一方の側面を無視することもできない。

過激な言葉。

YouTubeやSNSを利用した個人への攻撃的な発信。

選挙制度を利用した独特の政治活動。

訴訟。

党内対立。

そして後には刑事事件にも発展していく。

 

立花氏の政治手法については、現在まで強い批判がある。

 

私自身も、

立花孝志という人物の言動すべてを肯定するつもりはまったくない。

 

むしろ今回の連載では、

「立花氏が言ったから正しい」

とも、

「立花氏だから全部間違っている」

とも考えないことにした。

 

発言の中身を一つずつ確認する。

事実なら事実。

間違っていれば間違い。

分からないものは、

「分からない」

として残す。

 

それでいいと思う。


■ なぜNHK問題は一定の支持を得たのか

それでも一つ疑問が残る。

 

なぜ、「NHKの受信料」

という一つの問題だけを掲げた政治団体が、

国会議員まで誕生させることができたのだろう。

 

そこには、

立花氏個人のキャラクターだけでは説明できないものがあるのではないか。

 

訪問による受信契約。

テレビを持っているだけで契約対象になる制度。

見ていなくても受信料が発生する仕組み。

裁判による請求。

 

第1回から第3回まで調べてきた制度に、

以前から違和感を持っていた人たちが一定数存在した。

 

そこへ、

「スクランブル放送にすればいい」

という非常に単純な答えを提示した人物が現れた。

 

だからこそ、

約99万票もの票が集まったのではないだろうか。

 

少なくとも、

「立花孝志という特殊な人物が突然現れただけ」

では、この現象を十分には説明できないように思う。

 

その背景には、

NHKという制度に対して蓄積していた不満があったのではないか。


■ ここまではNHKの話だった

ここまでなら、

この連載は単なる「NHK問題」の話で終わっていたはずである。

私も最初はそのつもりだった。

公共放送とは何なのか。

受信料制度は現在も必要なのか。

NHKはもっと小さくできないのか。

その答えを探していただけだった。

 

ところが、

立花孝志という人物のその後を追っていくと、

突然、まったく違う場所の名前が出てくる。

 

兵庫県。2024年。

 

兵庫県では、斎藤元彦知事をめぐって大きな騒動が起きていた。

 

発端となったのは、

兵庫県の元西播磨県民局長、

渡瀬康英氏が作成した告発文書だった。

 

やがて県議会には百条委員会が設置され、

知事のパワハラ疑惑や贈答品をめぐる疑惑、

告発文書への県の対応などが調査されることになる。

 

そして2024年9月。

兵庫県議会は斎藤知事への不信任決議を全会一致で可決。

斎藤知事は失職する。

その後に行われることになった兵庫県知事選挙。

 

そこへ、

なぜか――

立花孝志が立候補する。

 

しかも立花氏は、立候補表明の段階から、

「当選は考えていない」

と明言していた。

 

そして、

斎藤氏にプラスになるような選挙運動をしたい、

と公言する。

 

自分が当選するためではなく、

別の候補者を支援するために知事選へ立候補する。

異例の選挙だった。

NHKの受信料問題を追っていたはずなのに、

気が付けば私は、兵庫県政の問題を調べ始めることになった。

 

そしてここから、

この連載の景色は大きく変わっていく。

 

告発文書。

懲戒処分。

百条委員会。

パワハラ。

公益通報。

情報漏洩。

SNS。

県議の辞職。

そして人の死。

 

さらにその先には、

逮捕と長期勾留まで待っている。

 

ただし、

ここで結論を急いではいけない。

 

まず確認しなければならない。

そもそも兵庫県で、最初に何が起きたのか。

すべての始まりとされる告発文書には、

何が書かれていたのか。

 

そして、

その文書を書いた渡瀬康英氏に対して、

兵庫県はなぜ懲戒処分を行ったのか。

 

次回から、

一つずつ時系列で追ってみたい。

 

 


次回
【第5回】すべては一通の告発文書から始まった――渡瀬県民局長と兵庫県政

NHKは本当にここまで大きくなければならないのか―

―年間6000億円規模の公共放送を考える

前回、NHKの受信料制度がなぜ生まれ、

なぜ現在まで続いているのかを調べた。

 

そこで分かったのは、NHKの受信料は単純な

「番組の視聴料金」ではないということだった。

 

政府にもスポンサーにも過度に依存せず、国民全体で公共放送を支える。

それが制度の基本的な考え方である。

 

では、その公共放送を維持するために、

私たちは一体どれくらいのお金を負担しているのだろう。

 

今回は感情論を一度横に置いて、

NHKの「財布」を数字で見てみたい。


■ 年間約5900億円の受信料

NHKの2024年度決算を見ると、事業収入は約6125億円。

 

そのうち受信料収入は、

約5901億円。

 

実に収入の96%以上を受信料が占めている。

 

一方、事業支出は約6574億円。

収入より支出の方が約449億円多く、2年連続の赤字となった。

 

ただし、これは一般企業の「会社が危ない」という意味での赤字と、

そのまま同じように考えるべきではない。

 

NHKは以前から受信料の値下げに伴って積立金を取り崩す計画を立てており、

2024年度の不足分も積立金を取り崩して補填している。

 

それでも私は、最初にこの数字を見て驚いた。

年間6000億円規模。

 

公共放送という言葉から、私はもっと小さな組織を勝手に想像していたのである。


■ 6000億円という金額をどう考えるか

もちろん、

「6000億円だから高過ぎる」

とは単純には言えない。

 

NHKは全国に放送局を持つ。

ニュースを取材する。

ドラマも作る。

ドキュメンタリーも作る。

スポーツも放送する。

教育番組もある。

海外にも取材拠点がある。

災害が発生すれば24時間体制で情報を伝える。

国会中継もする。

選挙報道もする。

ラジオもある。

 

そして現在はインターネット配信まで行っている。

これだけのことをやれば、当然お金はかかる。

 

問題は金額そのものではない。

 

私が知りたいのは、

「公共放送として、どこまでやる必要があるのか」

ということだ。


■ 給与だけで約1096億円

2024年度のNHKの「給与」は約1096億円だった。

さらに退職手当・厚生費が約334億円ある。

 

ここで注意したい。

 

これらを職員数で単純に割って、

「NHK職員の平均年収は○○万円だ」

とする議論を時々見かける。

 

しかし、それは正確ではない。

 

退職給付や社会保険の事業主負担なども含まれるため、

人件費と個人の年収は同じものではない。

ここは分けて考えるべきだろう。

 

それでも、給与だけで1000億円を超える組織であることは事実だ。

年度末の職員数も、およそ1万人規模である。

 

改めて考えると、NHKは単なる「テレビ局」というより、

巨大なメディア組織

なのである。


■ さらにNHKには「関連団体」がある

そして調べていくと、話はNHK本体だけでは終わらなかった。

NHKには番組制作、技術、出版、販売などを担う複数の関連団体がある。

 

例えば、

NHKエンタープライズ。

NHKエデュケーショナル。

NHKテクノロジーズ。

NHK出版。

などである。

 

もちろん、大きな組織が専門業務を子会社などに分けること自体は珍しくない。

民間企業でも普通に行われている。

 

問題は、

NHK本体と関連団体の間で、どのようなお金の流れがあるのか?

ということだ。

 

そこで興味深い資料が出てくる。

会計検査院の調査である。


■ 関連団体との契約は約1897億円

会計検査院によると、2023年度にNHKが関連団体と結んだ契約は1704件。

 

契約金額は、約1897億円。

 

そして、その契約金額のうち随意契約が占める割合は、

98.1%。約1861億円だった。

 

数字だけ見ると、かなり高い。

ただし、ここも冷静に見なければならない。

 

この「98.1%」は、

NHKが結んだ全契約の98.1%が随意契約という意味ではない。

 

あくまで、

NHKと関連団体との契約金額の中での割合

である。

 

さらに番組制作は、単純に「一番安い会社に発注すればいい」という仕事でもない。

 

専門性や制作ノウハウ、継続性などから、競争入札になじみにくい業務が

あるというNHK側の説明にも一定の理由はあるだろう。

 

しかし会計検査院は、以前から競争性のある契約への移行を求めてきた。

 

それにもかかわらず、2023年度でも関連団体との契約の大部分が随意契約だった。

 

ここは、

公共放送のお金の使い方として、透明性を継続して確認する必要がある部分

だと思う。


■ そして子会社には約1030億円の利益剰余金

さらに気になる数字があった。

会計検査院が調べたところ、NHKの子会社12社が保有する

利益剰余金は、2023年度末で合計、

約1030億円。

 

2015年度末には約948億円だったため、むしろ増えている。

もちろん、

「利益剰余金=自由に使える現金」

ではない。

 

企業が事業を継続するために一定の利益を内部に残しておくことは普通のことである。

 

だから、

「1030億円あるなら全部受信料に返せ」

という単純な話ではない。

 

しかし会計検査院自身が、子会社に必要以上の資金が

積み上がらないよう検証することや、必要性の乏しい積立金について

配当財源に充てることなどを以前から求めている。

 

なぜなら、NHKの子会社はNHKから仕事を受ける。

 

そのNHKの主な財源は、

私たちが払っている受信料だからである。


■ ここで一度、話を整理してみる

NHK本体には年間約5900億円の受信料が入る。

 

約1万人規模の職員がいる。

 

給与だけで約1096億円。

 

さらに複数の関連団体が存在する。

 

NHKから関連団体への契約は年間約1897億円。

 

そして子会社には約1030億円の利益剰余金がある。

 

もちろん、これらを単純に足し算して、

「NHKはこれだけ無駄遣いしている」

などと言うことはできない。

 

それぞれ意味の違う数字だからだ。

 

しかし、ここまで調べてみると、少なくとも一つだけは言える。

NHKは、私が想像していた「公共放送」よりはるかに巨大な組織だった。


■ 公共放送に娯楽番組はどこまで必要なのか

ここからは数字ではなく、私自身の疑問である。

 

公共放送にニュースは必要だと思う。

災害情報も必要だ。

国会中継。

選挙報道。

教育。

福祉。

障害のある人への情報提供。

全国どこにいても最低限必要な情報を受け取れる仕組み。

 

これらは民間の採算性だけに任せるのが難しい部分もあるだろう。

 

だから私は、

「公共放送なんて全部なくしてしまえ」

とは思っていない。

 

しかし、

ドラマ。

大型音楽番組。

バラエティー。

芸能番組。

大型スポーツ中継。

 

こうした分野まで、受信料を財源とする公共放送が

現在と同じ規模で担う必要があるのだろうか。

 

民放もある。

TVerもある。

Netflixもある。

YouTubeもある。

Amazon Prime Videoもある。

 

76年前とは、メディア環境がまったく違う。


■ もし「小さな公共放送」にしたら?

ここで少し極端な想像をしてみたい。

 

例えば公共放送の役割を、

災害。

ニュース。

国会。

選挙。

教育。

福祉。

ラジオ。

そして最低限の全国取材網。

 

このあたりに絞ったらどうなるだろう。

ドラマやバラエティーなどの娯楽コンテンツは、

原則として民間に任せる。

 

そうすれば現在の約6000億円規模の組織を、

そのまま維持する必要はなくなるかもしれない。

 

例えば国民が広く薄く、

月100円。

あるいは、

月200円。

その程度を公共情報インフラの維持費として負担する。

 

そして大規模災害や緊急時には、誰でも無料で情報にアクセスできる。

 

そんな「小さな公共放送」という選択肢も、

本来なら議論されてもいいのではないだろうか。

 

もちろん100円や200円で実際に運営できるかどうかは、

業務範囲を決めて詳細に試算しなければ分からない。

 

ここで言いたいのは金額そのものではない。

「現在のNHKの形だけが公共放送の唯一の答えなのか?」

ということである。

 


■ 「NHKが必要か」ではなく「どんなNHKが必要か」

私は今回調べながら、少し考え方が変わった。

 

議論は、

「NHKは必要」対「NHKはいらない」

という二択ではないのかもしれない。

 

本当に考えるべきなのは、

「令和の日本に、どの程度の公共放送が必要なのか」

ではないだろうか。

 

76年前に作られた巨大な仕組みを、そのまま維持する。

それも一つの選択肢。

 

一方で、

公共性の高い部分だけを残して組織を大幅に小さくする。

それも一つの選択肢である。

 

そして、ここまで調べてくると、もう一つ気になる存在が出てくる。

 

このNHKの仕組みそのものを長年批判し続け、

やがて国政政党まで作ってしまった人物。

立花孝志。

元NHK職員でありながら、NHKと真正面から対立することになった人物である。

 

私は当初、

単に「NHKをぶっ壊す」と叫んでいる人、

その程度の認識しかなかった。

 

ところが今回、NHKについて調べていくうちに、

なぜこの人物がこれほど長い間、NHK問題を訴え続けてきたのか

が気になり始めた。

 

そして立花孝志という人物を追っていくと――

話はNHKだけでは終わらなかった。

 

舞台はやがて、

兵庫県へ移っていく。

 

 


次回
【第4回】NHKに反旗を翻した立花孝志――なぜ「NHKをぶっ壊す」は生まれたのか

76年前に作られたNHKの仕組み―

―なぜ今もテレビを置くと契約なのか?

前回、私はテレビの歴史を振り返った。

 

一家に一台のテレビ。

放送時間に合わせて風呂に入り、

食事を済ませ、テレビの前に座った時代。

 

そこからビデオデッキ、HDDレコーダー、

そしてTVerやNetflixなどの動画配信へ。

 

今では「テレビ」という画面があっても、

地上波放送をまったく見ないという生活さえ珍しくなくなった。

 

それなのに、一つだけ昔の考え方が色濃く残っている。

NHKの受信契約である。

なぜNHKは、

「見た人が払う」ではなく、

「受信できる設備を設置した人が契約する」

という仕組みなのだろうか。

 

今回は、その原点まで遡ってみたい。


■ NHKの歴史はテレビより古い

日本でラジオ放送が始まったのは1925年。

翌1926年には、現在のNHKの前身となる

社団法人日本放送協会が設立された。

 

つまりNHKの歴史は、テレビ放送よりずっと古い。

 

そして戦後の1950年。

 

現在の放送制度の基本となる「放送法」が制定され、

新しい日本放送協会、現在のNHKが発足した。

現在の放送法第15条には、NHKの目的として、

公共の福祉のため、全国で受信できるよう豊かで良い放送番組を提供する

という趣旨が定められている。

 

当時の日本を考えれば、この考え方は理解できる。

 

今のようにインターネットなど存在しない。

スマートフォンもない。

SNSもない。

 

民間放送も、現在のように全国各地に整備されていたわけではない。

 

全国どこに住んでいても情報を受け取れる放送網を作る。

ニュースを伝える。

教育番組を届ける。

災害情報を伝える。

 

戦後の日本において、全国に情報を届ける公共放送を

整備することには大きな意味があったのだと思う。


■ では、そのお金を誰が出すのか

ここで問題になるのが財源である。

 

公共放送を運営するには莫大なお金がかかる。

方法はいくつか考えられる。

 

国が税金で運営する。

企業から広告料を取る。

あるいは利用者から料金を集める。

 

日本が採用したのは、そのどれとも少し違う方法だった。

受信料である。

NHKは国営放送ではない。

広告収入を主な財源とする民放とも違う。

 

NHK自身は、税金でも広告収入でもない受信料を財源とすることで、

政府や特定企業、視聴率などに左右されない自主性・自律性を確保できると説明している。

 

考え方としては分かる。

 

政府がお金を全部出せば、政府に都合の悪い報道がしにくくなるかもしれない。

企業広告に依存すれば、スポンサーへの配慮が生まれるかもしれない。

 

だから広く国民に負担してもらい、

「誰か特定の人のお金で放送するのではない公共放送」

を作ろうとした。

 

これが受信料制度の基本的な思想である。


■ しかし、ここに独特な仕組みがある

普通の有料サービスなら、

「使いますか?」

「はい」

「では契約してください」

となる。

 

Netflixを契約しなければNetflixを見ることはできない。

必要なくなれば解約できる。

しかしNHKは違う。

現在の放送法第64条では、NHKの放送を受信できる

テレビなどの「特定受信設備」を設置した場合、

原則としてNHKと受信契約を締結することが求められる。

 

ここで重要なのは、

「NHKを見たかどうか」ではない

ということだ。

 

NHKを毎日見る人。

月に一度見る人。

ほとんど見ない人。

まったく見ない人。

 

受信できる設備を設置しているという条件を満たせば、基本的には同じ制度の中に入る。

これが一般的なサブスクリプションサービスとの決定的な違いである。


■ 「見ていない」は理由にならない

この仕組みについては長年議論が続いてきた。

そして2017年12月6日、最高裁大法廷は重要な判断を示した。

 

最高裁は、受信設備を設置した人に広く負担を求める受信料制度について、

NHKを国民全体に支えられる公共的な事業体とするための合理的な仕組みだとして、

放送法64条の制度を憲法に違反しないと判断した。

 

つまり現在の法律上は、

「私はNHKを見ないから契約しません」

というだけでは通らない。

 

制度そのものが、

「実際に見たか」

ではなく、

「NHKを受信できる環境にあるか」

を基準として作られているからである。

 

ここは、NHK問題を考えるうえで非常に重要だと思う。


■ 法律上正しいことと、今の時代に合っていることは同じなのか

ここで私は一つ疑問を感じる。

 

最高裁が合憲と判断した。

放送法にも書いてある。

だから現在の制度が法律上有効であることは分かる。

 

しかし、

「法律上有効であること」と
「2026年の社会に最も適した制度であること」は、本当に同じなのだろうか。

 

法律というものは、その時代の社会を前提に作られる。

 

1950年。

テレビ放送さえまだ始まっていなかった時代である。

日本でテレビの本放送が始まるのは1953年。

 

当時、

Netflixも、

YouTubeも、

TVerも、

スマートフォンも、

インターネットも、

もちろん存在しない。

 

家庭に受信機がある。

放送局から電波が飛んでくる。

 

それを家庭で受信する。

そんな時代を基礎に作られた制度なのである。


■ そして2025年、NHKはインターネットにも進出した

さらに話は変化している。

2025年10月、NHKは「NHK ONE」を開始した。

 

テレビ放送だけではなく、インターネットを通じた同時配信、

見逃し配信、ニュースなどもNHKの必須業務になった。

 

ここで面白い違いがある。

スマートフォンやパソコンを持っている。

 

それだけではNHKとの受信契約は必要ない。

 

NHK自身も、

スマホやパソコンを持っているだけでは受信契約の対象にならない

と明記している。

 

NHK ONEの契約対象となるサービスについて、利用開始のための一定の操作を行い、

実際に利用を開始した場合に契約が必要になる。

 

つまりネットの世界では、

「機械を持っている」

だけでは契約にならないのである。


■ だったら、テレビは?

ここで私は素朴な疑問を感じてしまう。

 

スマートフォンを持っていても、

「NHKを見るかどうかは利用者が決める」

という仕組みが作れる。

 

では、

なぜテレビでは同じことができないのだろう。

 

技術的には、契約した人だけが見られる仕組みを作ることは不可能ではない。

有料放送や動画配信では、すでに当たり前に行われている。

 

NHKを見たい人が契約する。

契約した人が料金を払う。

 

ただし、大規模災害や国民の生命に関わる緊急情報については

無料で誰でも見られるようにする。

 

そんな制度も考えられるはずだ。

 

もちろん、それでは公共放送を国民全体で支えるという

現在の理念が崩れる、という反論もあるだろう。

 

だから問題は単純ではない。

 

しかし少なくとも、

「昔からこうだから」

だけでは、今後も制度を維持する理由にはならないと思う。


■ NHKを見ない自由はある。でも契約しない自由は?

私が違和感を覚えるのはここである。

NHKを見るかどうかは自由だ。

 

しかし受信できるテレビを設置した場合、

「見ないから契約しない」

という選択肢は原則として存在しない。

 

そして契約や支払いに応じない場合、

NHKは最終的な手段として裁判所を通じた民事手続きを行っている。

 

さらに現在は、正当な理由なく期限までに契約の申し込みを

しなかった場合などを対象とする「割増金制度」まである。

 

これを一般的な動画配信サービスに置き換えて考えると、

かなり特殊な制度であることが分かる。

 

Netflixを見られるテレビを買った。

だからNetflixと契約してください。

Netflixを見ていなくても関係ありません。

契約しなければ法的手続きを取る場合があります。

 

そんな仕組みだったら、多くの人は驚くだろう。

もちろんNHKはNetflixではない。

公共放送だからこそ、この特殊な仕組みが認められている。

だから本当に考えるべきなのは、

「NHKとNetflixは同じなのか?」

ではない。

 

むしろ逆だ。

NHKはなぜ、そこまで特別な存在でなければならないのか。

 

そこを考えなければならない。


■ 76年前に必要だった制度は、76年後にも同じ形で必要なのか

私はNHKの存在そのものを否定したいわけではない。

 

大地震が起きた。

巨大台風が来た。

選挙がある。

国会が開かれている。

教育、福祉、障害者向けの情報が必要な人もいる。

 

利益だけでは測れない放送があることも理解できる。

 

むしろ、

公共放送という存在そのものには意味がある

と私は思っている。

 

しかし、

公共放送が必要であることと、

現在のNHKの規模や受信料制度を、

そのまま維持しなければならないことは別の話ではないだろうか。

 

ここを一緒にしてはいけない。

1950年に作られた制度には、1950年なりの合理性があった。

 

問題は、

2026年にも同じ合理性があるのか。

ということである。

 

そして調べていくと、次の疑問にぶつかった。

 

NHKは現在、いったいどれほどのお金を集め、

どれほどの規模の組織を維持し、

そのお金を何に使っているのだろう。

 

公共放送として本当に必要な部分は、どこまでなのだろう。

 

そこを知らないまま、

「NHKは必要だ」

「NHKはいらない」

と議論しても意味がない。

 

ならば数字を見てみよう。

次回はNHKの財布を開いてみたい。

 

受信料収入、職員、番組制作、関連団体――。

 

数字を追っていくと、

「公共放送」という言葉から想像していたものとは、

少し違った景色が見えてくる。

 

 


次回
第3回「NHKは本当にここまで大きくなければならないのか――年間6000億円規模の公共放送を考える」

昔、私たちはテレビの時間に合わせて生きていた

― 20年前に見た「未来のテレビ」と、令和になっても残る不思議 ―

昔、テレビは今よりずっと偉かった。

 

夜8時から見たい番組が始まるなら、

それまでに風呂に入る。

夕食が長引けば、

「もう始まっちゃうよ!」

と誰かが言う。

 

トイレに行きたいのにCMまで我慢した、

なんて経験がある人も多いだろう。

 

今考えると、ずいぶん不思議な話だ。

人間がテレビ番組の都合に合わせて生活していたのだから。


■ 一家に一台のテレビが家族の中心だった

私が子どもの頃、テレビは一家に一台という家庭も珍しくなかった。

当然、家族全員が好き勝手に番組を選べるわけではない。

 

父親が野球を見れば野球。

子どもがアニメを見たければ、家族とのチャンネル争いになる。

 

そして番組を見逃したら基本的には終わりだった。

テレビ局が決めた時間に、テレビの前に座った人だけが見ることができる。

 

つまり当時のテレビは、

「見たい時に見るもの」ではなく、
「放送される時に見るもの」

だったのである。


■ ビデオデッキが最初の革命を起こした

そこへ登場したのが家庭用ビデオデッキだった。

これは今考える以上に大きな変化だったと思う。

 

録画予約さえしておけば、放送時間にテレビの前にいなくてもいい。

テレビ局が決めた時間から、人間が少しずつ自由になり始めた。

 

ただ、まだ面倒だった。

VHSテープを用意する。

 ※なぜか家はBetaだった・・・

残り時間を確認する。

録画予約を間違える。

お気に入りの番組を上書きして家族に怒られる。

そんなことも普通にあった。

それでも、

「放送時間と視聴時間を切り離す」

という革命は、ここから始まった。

 

その後、DVDレコーダー、HDDレコーダーが登場し、

録画はどんどん簡単になっていった。

 

そして今ではTVer、Netflix、Amazon Prime Videoを

はじめとする配信サービスが当たり前になった。

 

もはや若い世代に、

「夜9時までに家に帰らないとドラマが始まっちゃう」

と言っても、何のことだか分からないかもしれない。

 

人間が番組に合わせる時代から、

番組が人間の都合に合わせる時代になった。

わずか数十年で、主導権は完全に逆転したのである。


■ 私は20年以上前に「今のテレビ」を見ていた

ここで、私には忘れられない経験がある。

2005年頃だったと思う。

 

当時私は、新築マンションの販売に携わっていた。

物件名は伏せておこう。

 

そのマンションには、当時としてはかなり

画期的な設備が導入される予定だった。

 

マンションの管理室などに大きな録画サーバーを設置し、

テレビ番組をまとめて録画する。

 

そして各住戸の居住者は、自分の部屋から、

「見たい番組を、見たい時に見る」

ことができる。

 

名前は、

「選撮見録(よりどりみどり)」

だった。

 

今なら、

「それって見逃し配信みたいなもの?」

と思うかもしれない。

 

まさにそんな感覚だった。

しかし、これは20年以上前の話である。

 

当時の私たち販売側にとっても、

これはかなり魅力的な設備だった。

「録画予約をしなくても、

 後から好きな番組を見ることができます」

 

新築マンションの付加価値としても面白かった。

 

正直、

「これはすごい時代になるな」

と思った記憶がある。


■ ところが、その未来は突然消えた

ところが販売途中だったと思う。

このシステムについて、テレビ局側との著作権問題が

起きているという話が入ってきた。

 

販売現場としては困る。

 

これから購入するお客様に、

「裁判になっている設備が入ります」

などとは説明したくない。

 

結局、そのマンションでは導入を取りやめることになった。

 

後に調べ直してみると、「選撮見録」は実際に

大阪の民放5社から訴えられていた。

 

システムはマンションなどの共用部分にサーバーを置き、

複数局の番組を録画して各住戸から後で視聴できるものだった。

 

そして2005年10月24日、大阪地方裁判所は、クロムサイズ社に

対して近畿地方での販売差し止めを命じた。

 

争点になったのは、個人が自宅で録画するのとは違い、

マンション側に設置されたサーバーが一括して番組を録画し、

多数の居住者が利用する仕組みだったことである。

 

つまり、

発想は未来だった。
しかし、当時の著作権制度との間で衝突が起きた。

 

私がマンション販売の現場で見ていた「未来のテレビ」は、

一度そこで消えてしまった。


■ でも20年後、世界は結局そちらへ向かった

それから約20年。

今の私たちはどうしているだろう。

 

TVerを開けば、放送が終わった番組を見ることができる。

Netflixなら、そもそも放送時間という概念さえない。

スマートフォンでもタブレットでもテレビでもいい。

見たい場所で、見たい時間に、見たい番組を見る。

 

あの頃「選撮見録」が目指していた世界と、

技術的な仕組みや権利処理こそ違うものの、

視聴者が求めていた方向は、結局ほとんど同じだったのではないか。

 

私はそう思う。

当時は少し早過ぎたのだ。


■ そして「テレビ」という箱まで変わった

さらに大きな変化が起きた。

 

今では、

テレビ=テレビ放送を見る機械

ですらなくなりつつある。

 

YouTubeを見る。

Netflixを見る。

TVerを見る。

ゲームをする。

スマートフォンの映像を映す。

 

そして地上波チューナーそのものを搭載していない、

いわゆる「チューナーレステレビ」まで普通に販売されるようになった。

 

つまり、

「テレビという画面」と「テレビ放送」が別物になってしまったのである。

これは結構大きな変化だと思う。


■ ところが、一つだけ不思議なことがある

ここまでテレビを取り巻く環境が変わった。

 

見る時間も自由になった。

見る場所も自由になった。

見る端末も自由になった。

 

見たいサービスを自分で契約し、必要なければ解約する。

それが令和の当たり前になった。

 

ところが、日本には今も少し特殊な仕組みが残っている。

NHKである。

現在も放送法64条を根拠として、NHKの放送を受信できる設備を

設置した場合、原則としてNHKとの受信契約が必要になる。

「NHKを毎日見ていますか?」

ではない。

「月に何時間見ましたか?」

でもない。

NHKを受信できる設備を設置したかどうか。

そこが契約の入口になっている。

 

もちろん、この制度が作られた時代には理由があった。

 

放送網を全国に整備し、誰もが同じ情報を受け取れるようにする。

災害、ニュース、教育、文化。

 

公共放送が果たしてきた役割まで否定するつもりはない。

 

ただ――。

 

テレビの時間に人間が合わせていた時代から、

人間の好きな時間に番組を見る時代へ。

 

一家に一台だったテレビから、

一人一台のスマートフォンへ。

 

放送から録画へ。

録画から配信へ。

 

そしてテレビ放送を受信しない「テレビ」まで登場した。

 

これほど世の中が変わったのに、公共放送を支える仕組みは、

このままでいいのだろうか。

 

私はそこがどうしても気になった。

そして調べ始めてみると、この話は単なる

「NHKの受信料が高い、安い」という話では済まなかった。

 

制度。

お金。

組織。

政治。

メディア。

そして、ある一人の人物。

調べれば調べるほど、話は思いもしなかった方向へ広がっていくことになる。

 

その人物の名前は――

立花孝志。

ただ、その話へ進む前に、まず確認しておかなければならないことがある。

そもそもNHKとは、何のために作られた組織なのか。

 

そして1950年に作られた受信契約という仕組みは、

なぜ76年後の2026年にも続いているのか。

 

次回は、そこから調べてみたい。

 


次回
第2回「76年前に作られたNHKの仕組み――なぜ今もテレビを置くと契約なのか?」

「ビールは減税。一方、発泡酒と第三のビールは増税になります」

テレビからそんなニュースが流れてきた。

 

私は家ではほとんどお酒を飲まない。

だから正直、それほど興味もなかった。

 

ただ、なんとなく引っかかった。

「ビールより安い商品を作るために、メーカーは発泡酒や

    第三のビールを一生懸命開発してきたんじゃないの?」

 

「それが売れたら、今度はそっちの税金を上げるの?」

 

「企業努力を水の泡にするようなことを、国はするんだな……」

そんな印象を持っていた。

テレビでは、

「売れていないビールの税金を下げて、売れている発泡酒や

 第三のビールの税金を上げる。いわゆるステルス増税だ」

という趣旨のコメントまで耳にした。

 

なるほど。

そういうことなのか。

私は、ほとんど疑うことなく受け入れていた。

 

ところが、ふと気になって調べ始めた。

すると、私が思い描いていた話とは、かなり違う景色が見えてきた。


本当は「増税」ではなく「税率の一本化」だった

2026年10月1日。

ビール系飲料の酒税が、350mlあたり54.25円に一本化された。

 

これまで税率が違っていた、

・ビール
・発泡酒
・いわゆる第三のビール(新ジャンル)

の税率を最終的に同じにしたのである。

 

だから当然、これまで54.25円より税金が高かったビールは減税になる。

逆に、それより税金が安かった発泡酒や第三のビールは増税になる。

 

ここだけを切り取れば、

「ビール減税、発泡酒・第三のビール増税」

は間違っていない。

事実である。

しかし、これだけ聞くのと、

「バラバラだったビール系飲料の酒税を54.25円に統一する」

と聞くのでは、受ける印象がまるで違う。

 

 


しかも、今年突然決まった話ではなかった

ここで私は、もう一つ大きな勘違いをしていた。

 

2026年10月から変わるのだから、てっきり最近の政府が

決めたものだと思っていたのである。

違った。

この仕組みが決められたのは2017年度の税制改正。

当時は安倍晋三政権である。

 

しかも、

「2026年になったら、その時に考えましょう」

という話でもなかった。

 

最初から長期間をかけて段階的に税率を変更する

仕組みが決められていた。

2020年10月、第1段階。

2023年10月、第2段階。

そして2026年10月、第3段階。

 

実に9年近くをかけて、少しずつ税率差を縮めてきた。

そして今年、ついに一本化が完了したのである。

 

急激に税負担が変わらないよう、段階的に変更してきた制度だった。

私はそんなことを全く知らなかった。

 

 


そもそも、なぜ発泡酒や第三のビールが生まれたのか

ここを調べていくと、さらに面白かった。

昔から日本ではビールの酒税が高かった。

 

そこでメーカーは考えた。

「それなら、税金の安い分類でビールに近い味を作れないか?」

こうして1990年代に発泡酒市場が大きく成長していった。

麦芽の使用割合などを工夫し、法律上の「ビール」ではない商品を作る。

 

安い。

しかも美味しい。

当然、売れた。

 

ところが、その後、発泡酒の税負担も引き上げられていく。

 

するとメーカーは、さらに考えた。

「それなら、もっと違う原料や製法で作れないか?」

 

そして登場したのが、いわゆる「第三のビール」だった。

メーカーの執念とも言える。

 

税制が変われば、新しい商品を開発する。

その商品が売れる。

また制度が変わる。

 

すると、また新しい商品を生み出す。

国とメーカーの長い「いたちごっこ」が続いてきたのである。

 

 


「企業努力を国が潰した」と思った。でも少し違った

私は最初、

「メーカーが努力して安い商品を開発したのに、売れたら国が税金を上げる。

企業努力を無駄にするのか?」と思った。

 

歴史を見ると、そう感じる部分があるのも確かだ。

 

しかし、さらに調べると別の見方もできる。

国側には、

「似たような酒なのに、原料や製法によって税金が大きく違う。

 その税率差そのものがメーカーの商品開発や消費者の商品選択を

左右してしまっている」

という問題意識があった。

 

だったら、最終的には同じ税率にしよう。

それが今回の一本化だったのである。

 

つまり、

「売れている発泡酒からもっと税金を取ろう」

という単純な話ではなかった。


本当に「ステルス増税」なのか計算してみた

ここが一番気になった。

 

もし本当に、

「売れていないビールだけ減税して、たくさん売れている

発泡酒や第三のビールを増税する」

のであれば、全体では税収が増える可能性がある。

そこで直近の販売構成比を使って、単純計算してみた。

2025年6月の缶市場では、おおむね、

ビール 45%
新ジャンル 33%
発泡酒 22%

という構成だった。

 

100本売れたと仮定して、2026年9月までの

税率を当てはめると、酒税は約5,435円。

 

10月以降は全部54.25円なので、

54.25円×100本=5,425円。

ほとんど変わらない。

むしろ、この単純計算では約10円少なくなる。

 

もちろん販売数量や商品構成は常に変化するため、

これだけで実際の税収を断定することはできない。

 

しかし少なくとも、

「売れている安い酒を狙い撃ちして、こっそり税収を増やした」

という単純な説明だけでは、実態を十分に説明できないことが分かった。

 

 


そして金麦が「ビール」になる

最近、テレビCMを見ていて気になる言葉があった。

「金麦は、ビールへ。」

 

なぜ今さら?

と思っていた。

 

しかし、今回の話を知ると全部つながった。

 

これまでは「ビールではないこと」に税制上のメリットがあった。

ところが税率が同じになれば、そのメリットがなくなる。

だったら、本物のビールとして作ればいい。

約30年間、発泡酒や第三のビールを作るために磨いてきた技術が

消えてしまうわけではない。

 

その技術を今度は「ビール」に持ち込めばいい。

 

そう考えると、

「発泡酒や第三のビールの時代が終わった」

というより、

 

一つの時代が役割を終えて、次の時代に技術を引き継いだ

と考えた方がいいのかもしれない。

 

 


同じ事実なのに、言い方だけでこれほど印象が変わる

今回、私が一番考えさせられたのは税金そのものではなかった。

情報の伝え方だった。

例えば、

「10月からビールは減税、発泡酒と第三のビールは増税です」

これは嘘ではない。

しかし、

「2017年に決められ、9年近くかけて段階的に進めてきた

ビール系飲料の酒税一本化が、10月1日に完了します。

その結果、ビールは減税、発泡酒と第三のビールは増税となります」

これも同じ事実である。

でも、受ける印象は全く違う。

 

もし私がニュース原稿を書くなら、こう伝えたい。

「10月1日からビール系飲料の酒税が統一されます。

この制度は2017年度、安倍政権時代の税制改正で決定されたもので、

急激な負担変動を避けるため段階的に税率を変更してきました。

そして2026年10月1日、最終段階として税率が一本化されました。

その結果、ビールは減税、発泡酒や第三のビールは増税となります。」

 

これなら、視聴者はまず制度全体を理解した上で判断できる。


嘘を言わなくても、印象は作れる

これは怖いことだと思った。

「嘘を言っているか、言っていないか」だけではない。

 

何を最初に伝えるのか。

どの部分を強調するのか。

何を見出しにするのか。

そして、

何を伝えないのか。

 

それだけで、人が受ける印象は大きく変わる。

 

今回の私自身がそうだった。

家で酒を飲まないから、自分にはあまり関係のないニュースだった。

 

だから深く考えなかった。

 

「また税金を上げるのか」

「企業が努力して安い商品を作っても、国が後から税金を上げるのか」

「政府は国民に嫌がらせでもしたいのか」

そんな漠然とした印象だけが残っていた。

 

そして、もし今回たまたま疑問を持たなければ、おそらくずっとそのままだった。


「誰が言ったか」より「元はどうなっているのか」

もちろん、だからといって、

「テレビは信用できない」

という話にしたいわけではない。

 

ネットだって同じだ。

刺激的なタイトル。

切り抜き動画。

都合のいい数字。

怒った表情のサムネイル。

SNSにはSNSの「印象の作り方」がある。

 

だから結局、大事なのは、

テレビを信じるか。

ネットを信じるか。

ではないのだと思う。

「本当にそうなのか?」

と思った時に、もう一段だけ深く調べてみること。

 

制度なら、いつ決まったのか。

誰が決めたのか。

今回初めて決まったのか。

昔決めたものが今回施行されただけなのか。

数字なら、分母は何なのか。

比較対象は何なのか。

 

そこまで見るだけで、景色がガラッと変わることがある。

今回の酒税改正は、私にとってまさにそれだった。


最後に

最初は、

「売れている発泡酒や第三のビールから税金を取るための増税」

だと思っていた。

 

ところが調べてみたら、

 

約9年前から決められていた、ビール系飲料の酒税一本化の最終段階

だった。

 

そしてさらに30年ほど遡れば、

高いビール税に対抗するためメーカーが発泡酒を生み、

制度が変われば第三のビールを生み、

その過程で日本独自の醸造技術が磨かれてきた歴史まで見えてきた。

 

たった一つのニュースでも、少し深掘りするとここまで景色が変わる。

 

だから私は今回、改めて思った。

ニュースを疑え、ではない。

ニュースだけで結論を出すな、なのだ。

 

事実は一つでも、切り取り方によって見える景色は変わる。

 

そして今は、少し手間をかければ、その先にある一次情報まで

自分で確かめられる時代になった。

 

「へえ、そうなんだ」で終わらせず、

たまには、

「本当にそうなの?」

と、一歩だけ踏み込んでみる。

 

それだけで、昨日まで「真実」だと思っていたものが、

実は「一つの見せ方」に過ぎなかったと気づくことがある。

今回の酒税改正は、私にとってそんなニュースだった。