『………』
春花は昼間起きた事を1人ぼんやりと考えていた。
邸の前に流れる小川を見つめる。
川に沿って上流へ進めば自然と伝奇谷へと辿りつく。
遥か未来の世界からこの世界に単身飛び込んだ春花は単に永遠の命より短くても本物の愛を知りたかった。
心を開いた游絲は病弱で薄命ながら春花の望む夫からの純粋な【愛】を持っていた。
もっと沢山話をして、もっと色んな事を聞きたかった。傅楼の様に真っ直ぐとただただ游絲に向けた愛情と同じものを秋月から向けられているのか分からない。
秋月の言う事を素直に聞く事に僅かな不安をいつも持っていた
『游絲さん……』
『なんだ?私を呼んだか?』
振り向くと声の主秋月が立っている
『……別に呼んでない』
『つれないな…何故恋しい夫の名を呼ばぬのだ』
『恋しくないからよ』
『……どうした?我妻は虫の何所が悪い様だ』
春花の腰に手を回すと引き寄せる
体を意図せず動かされた春花は秋月を睨みつけた。
『虫の何所じゃなくて!何で1人で考え事も出来ないの?って思って…』
『ならば1人より2人でする事を考えてはどうだ?』
『1人より2人でする事?…何をするの?此処で?』
『此処でするには…私は良いが春花は嫌がるだろう…』
『もう!またどうせ変な事でしょ?そうじゃないの!それに…私さっき傅楼谷主に会って思い出したけど…游絲さんを救えなかったし…』
『救えなかった事はない。春花は十分に出来る限り救おうとした…』
『え?』
『だが、游絲本人がそれを拒んだのだ。傅楼もそれは理解しておるし納得済みだ。恨んだりはしておらぬだろう』
何故この人は欲しい言葉をくれるのだろうかと驚き見上げた。
『なんだ?春花の心配や悩みくらいわかるぞ…それに、夫婦してむしろ感謝しておるぞ』
『感謝?』
『ああ、お陰でようやく何の心配もせずずっと共に寄り添えるではないか』
『何故そんな事がわかるのよ!傅楼谷主に聞いた訳じゃないでしょ?そんなの想像じゃない』
『小春花…その小さな胸には游絲は存在せぬか?』
『どう言う意味?』
『私の心の中に傅楼は生きておる。別にあやつの存在は必要ではないが、例えば千月から鳳鳴へ戻った後、其方が私を裏切り白と竹林に誘き寄せたと思った時…』
『……冷掌門が襲った時ね…違うのに…』
『あぁ、しかしあの時はお前が私を裏切り蕭白に寝返ったと感じた』
『………私達に信頼がなかったのね』
『裏切りなど許さぬ、縁を切ったと思えば楽になろうかと思ったが… 最初から妹でも何でもない容れ物は花小蕾なだけでなくやはり中身も食えない女だったと切り捨てようとした。だがそれでも…苦しかった。どうしようもない怒りの隣に其方を失いたくない相反する気持ちに苛まれた…深傷を癒すさなか心の中に現れた傅楼に問うたのだ。』
『……傅楼谷主に?』
秋月は千月洞で葉顔の治療を受けながら見ていた夢を思い出した。
何もかも全てが馬鹿馬鹿しく思え
いっそ江湖を混乱に導き裏切りの春花ごと正道と嘯く鳳鳴の者達を皆殺しにしようと考えていた。
ただそう考えながら春花が絶命し横たわる夢は直視できずもがいていた。
こんな時、妻に全てを捧げた傅楼ならばどうだろうかと疑問が湧く。
千月の蓮の花が風に揺れた。
現れた傅楼は自棄になった秋月を笑った
『千月の洞主も女子に苦しめられるとはもう少し長生きすべきだったな』
『なに?』
『そう苛立つ気持ちも分かる。殺したいほど憎いのであろう?』
『………』
『絲が袁掌門に嫁ぐと決めた時…私も同じ様に荒れた。だがそれは私を守る為であった…』
『……だが春花は裏切った…』
『裏切り者であっても縁を切った者でも…それは重要ではない。では聞くが百花刧の毒が周り幾許もない命の春花を見殺しにするか?それとも救いたいか。そこに在るのがお前の本心だ』
『……裏切り者には死しかない…』
『ならば殺せば良い。この世の何処にもその女子の存在が無かったように、消滅させれば良い』
『………放っておいても時が経てば毒が身体を廻りやがて死する。お前は何もせずとも死を待てば良い』
『………ああ』
『もし今、絶命した春花殿を想像し胸が掻きむしられる程痛むなら…本心はそれを望まぬという事だ…【情】とは簡単なものではない…相手にとって己がどうかではない、己にとって相手がどうかが重要なのだ…それだけを言いに来た』
『傅楼…』
『お前の為にわざわざ出向いたのではない。お前が私を呼び付けたのだからな…来たくもないこんな場所に呼び付けおって…相変わらず甘たらしい香りの花だな…』
咲き乱れた蓮の花を憎らしげに睨むと捨て台詞を吐き傅楼は去った。
そして目を覚ました秋月は葉顔の治療の甲斐もあり回復を遂げた。
『…で…あなたの本心は…どうだったの?殺したいほど憎いって』
『殺したいほど憎いのは…深く愛したが故だ…』
秋月は抱き寄せた春花の温もりについ言葉を漏らした
『!?』
『驚く事ではない。単純な事だ…夢から覚め、傅楼の言葉を考えた…結局…春花には生きて欲しいと…その答えしか出なかった』
『……本当に?』
『憎んでも恨んでもお前の様子を探り、百花刧の解毒を解明する事を急がせた。誰に笑われようがどうでも良かった…』
『でも、酒楼で李漁と話にきたとき私に気付いたのに無視したじゃない』
『……私の安否を心配するあまり痩せ細った其方が愛おしかったが、反面酷く苛立ちもした…』
『……意地悪だわ』
『だが、もう一刻も待てなかった。事をうまく運ぶ為に材木屋の周として柱を調べるよう李漁に知らせた』
『……私を救いたかった?』
『ああ。江湖統一などどうでも良かった。お前がこの世の何処かに生きてさえいるならそれで…』
『それって…何なの?』
子犬の様に見上げる仕草に秋月は思わず笑顔を見せた
『【愛】という情であろう?』
『本当?』
『ああ』
春花を抱きしめると答えた。
『でも驚いた。兄上が傅楼谷主に教えを乞うなんて』
『乞うてはおらん!勝手に来おったのだ!』
『ふふ…なぁんだ…割と慕ってたのね』
『慕ってもおらん!!それ以上言うと口を塞ぐぞ!』
『ねぇ、気になるんだけどさっきなんて言った?』
『ん?』
『【その小さな胸に游絲は存在せぬのか】って言わなかった?小さな胸って?小さな胸って言わなかった!!!??』
『想像で言ったのだ実際見てみぬと分からぬからな…では見せてみよ』
『ちょっとー!何処触ってんのよ!ここ外よ?』
『では邸に戻るとしよう』
『きゃ…っちょ…な、何でそうなるの!下ろしてよ』
『ほら、暴れるな…2人して胡蝶の様に寝所で戯れようではないか』
『待ってー!助けて炎輝!!』
『炎輝は桃を連れて千月に行ったぞ…助けは来ぬ』
『い、いつの間に!』
『傅楼夫婦もあの世で夫婦水入らず。春花と秋月も夫婦水入らずだ…いや、その前に湯に入るか?』
『な!』
『それが良い!』
『キャーッッ』
森を抜けた場所まで春花の声は響いた
『あーあ。あの声…聞こえたか?また父上と母上はイチャイチャしてるんだろうな…本当仲良すぎだよな桃雨…今日は兄ちゃんと千月で特訓だぞ…葉顔先生は厳しいからな』
零す兄に桃雨は笑った。