『妻…になると約束した…?』
『あぁ、そうだ私の傍で芳しい香りと輝くばかりの笑顔。そして美しい声で歌を歌い永遠に』
袖で隠した紅露を覗くと長い睫毛が艶めいている。白い肌に触れると湧き上がる言い表せない喜びに震えた。
白嵐はただ静かにその様子を見つめる
『白嵐様……口約束であれ約束が事実ならば…どうにもなりません…それは契約です。我々には嘘偽りの言葉を発するのは罪です。恐らく月季の仙女達も同じです』
『私は…この娘だけは手放さぬと決めた…例え朝日を浴びようが杭で打たれようが砂より細かな灰になろうと…薔薇の娘は手放せない』
『もしも…事実であれば…連れ帰る事は叶いません』
『…黙れ天空!』
『はっ、申し訳ございません』
天空の言葉を掻き消すように白嵐は言葉を続ける。
『晩夜と申したか…』
『……』
『紅露が夫婦となる事を承諾したと?』
『…ああそうだ…』
晩夜は白嵐の持つ空気に気圧されながら、その圧力が何処から来るものかまだ理解できないまま答えた。
『他所から来た妖だがこの地にはこの地の決まりがある。神に妄語は許されぬ。真実でない事を口にすれば例え他所者であれお前の希望通り灰にでも砂にでもしてやろう』
『!!』
気付いた時には白嵐は紅露を抱く晩夜の背後で囁いた
『白嵐様っ』
『素直に紅を返してくれぬか?』
『……く…っっ』
『それとも光差す瞳がまた闇に戻っても良いか?』
うっすらと笑みを浮かべ男の両目を覆うべく手を翳す
『白嵐様…なりません!私情で無益な血を流し地を穢しては…』
『天空、この私が私情で?勘違いするな。この者共がしておった事は何だ?』
『…それは…』
『地下から此処までの間に数えきれぬ程の彷徨せん魂をお前は目にしておらぬのか?』
『それは…しかし…それが必ずしもこの者の仕業かは不明です。妖であれ疑惑で裁く事は許されません』
『生真面目な奴だ…しかし忘れたか?其処でのたうっておる妖は血を欲しがっておる。繭那の言葉が間違いではなかった証拠ではないか』
『しかし…』
六合との戦いにより負傷した夜光は床に伏し呻き声をあげている。
『………』
『今此処で悪を挫く事に何を躊躇う事があるのだ?』
『のう?この地に元々あった街はどうした?勝手に屋敷を建て私の許しもなく待ち人達を操り、旅の商人に贄となる子供達を攫わせたのではないか?それは立派な大罪である。紅を娶る?神に許しもなく契るなど荒唐無稽であろう?』
『………』
晩夜には感じた事もない恐怖が襲っていた。先程流れ込んできた圧力は想像だに出来ない畏怖によるもので、今まで対峙していた白嵐ではない強大な力をその背に受け、一言発するだけでその鉛のような冷たく重い恐怖心に思わず逃げ出したい衝動が湧き出す。それは晩夜にとって初めての経験であった。
『月の仙女嫦娥と縁があってこの地に来たなら聞いてはおらぬか?この国では生まれ落ちた産土から何まで、夫婦の契りすら神に許しを得るのだ…お前がいくら紅を娶ると申しても叶わぬ夢だ諦めよ…』
『……』
『逃げようとしても逃げられぬぞ…無駄な足掻きだ』
『……』
白嵐の気で屋敷中に立ち始めた風に晩夜の衣は揺れ、長く垂れる袖に隠したはずの紅露が顔を覗かせた。
蒼白の顔、しかして真っ赤な唇。その唇が切れ血が滲む
『……紅の唇が切れておるのは何故だ?』
爆発しそうな怒りを押し殺し白嵐は晩夜に問うた。
『………』
『……白…嵐さ…ま』
『!!』
『紅露っ!』
晩夜の衣の隙間から紅露は懐かしい声に意識を取り戻さんとしていた。
微に目を開く
『!!』
『白嵐…様…やめ…私は大…丈夫』
紅露は白い手を伸ばし晩夜の背後に立つ白嵐に微笑んで見せた。
月季27へつづく
仕事の合間なので後ほど加筆修正いれまーす。