『妻遊絲の囚われた魂を救って欲しい』
そう言って傅楼の姿は霧が晴れると共に風に消えた。
取り残された2人は暫く無言のままである。
静寂を破ったのは蝶瑶だった
『秋月様…今起きた事は…事実でしょうか…この辺りの妖に化かされたのでしょうか…』
『どうかな…信じたい方を信じれば良い』
『秋月様は…』
『…損も得もない話だが…桃はもしかしたら何かを感じて外歩きを意識なくしておるのかも知れぬ…もしそうならこのまま放置して良いとは思えぬが…』
『何かを感じて…と申しますと?』
『傅楼は死してなお生きた人間の足を止める事ができた。それは想いの強さからではないか…とすれば遊絲夫人も然りだ。罪に苛まれておるならその苦痛は傅楼の何倍もの力を持つやも知れぬ。寂しさから無垢な子を呼ぶ力が無いとは言い切れぬ』
『??死した後力を持つとは…桃雨様が操られていると?しかし…いくらなんでもそれは飛躍しすぎではありませんか…それに傅楼と共にではなく自ら死を選んでおいて…』
『生きる意味を失くした事があるのか?』
『いえ…』
『ないならお前が正誤を判断すべきではないだろう。絶望は死だ。それにしても千月の文献も当てにならぬ。星月教の歴史を歪曲しておった鳳鳴の文献は元より信じてはおらぬが千月がそれではならん。歴史の詳細を記す事を怠っては後世に関わる。』
『はぁ……では伝奇谷の谷主傅楼の死は…』
『お前は知らない話だが、傅楼の死については…私も少々後悔しておる…私の囁きに耳を貸した欲深共が殺し合ったが…あの夫婦は死なずに済ませる事ができたかもしれぬ…』
『それは…しかし長生果なる実を奪い合ったのですから…争いには常に敗者と勝者がおります。負けたのなら死しかないのでは?』
『そんな単純なものではない…』
『………』
『傅楼との子を成し、家族をと望んだ遊絲の心…雪蘭が生まれた時に春花が涙を零して言うておった…「遊絲さんはどれほど無念だったか」と…私はそれを見て胸が痛んだ。
そんな感傷は知らぬが春花は私に家族を与え孤独から救いたかったと…女子の気持ちは分からぬがもし遊絲が傅楼に対して同じような想いがあったなら…』
『………』
『まぁ、こんな話を年若いお前にしても分からぬだろう…戯言だ』
『いえ。そんな事は…私ども千月の者達は家族の縁が薄い者が多うございます。葉顔洞主も私もです…かつては一族を大事にしていた筈の千月が…』
『その通りだな…ならばお前がもし洞主となった暁にはどう千月を導きたいか?』
『日の当たる場所へ…』
『日の当たる場所…』
『あ、いえ。今が決して日陰だと言う意味ではありません。ただ…いつも私が此処に来てしまうのは…秋月様が持つ【家族】という宝が輝いて見え…光に引き寄せられているのかも知れぬと思っております。春花様は…私からすれば眩しく凝視できない太陽の光そのものに見えるので…』
『そうか……【愛する者がこの世に存在する事】がどれ程生きる力になるだろうか…』
百花刧の毒で春花を失いかけた秋月は改めて遊絲の絶望を感じとった。
『はい……ですから千月の皆がかつて一族を大事にしていた頃のように笑いの絶えない秋月様の邸のように…したいです』
『ではまず葉顔の厳しい教育に耐える事からだな』
『!!』
『ははは』
秋月は蝶瑶の素直な反応に笑顔を見せた。
心地よい風が秋月の衣の裾を揺さぶる…
『!!ねぇ!』
『………』
『兄上!!兄上っっ何?うたた寝?こんな所で…』
『??』
『風邪引くから!ほら…』
春花は怪訝な目で覗き込む
『ん?蝶瑶は…』
『え?何?寝ぼけてるの?私達は出掛けるけど?』
『夢…夢か?たしかにあやつが…』
『珍しい…うたた寝なんて。上官秋月が夢でどちらの女子に会ったのかしら?』
『傅楼に会った…』
夢から覚めて間もない様子で秋月は傅楼の名を口にする
『え?傅楼…谷主?』
非現実的な発言に言葉を失う春花
『あ、いや…』
傅楼の名を出せば必ず慕っていた遊絲を紐付け過去の記憶で春花を又傷付けると瞬間的に口を噤んだ。
『そう……元気だった?傅楼さん』
『え…ああ。元気…?だったように見えたが…』
『…この世にいないのに元気だなんて変?そんな顔してる』
『……随分と冷静だな…』
『冷静って言うわけじゃないわ。夢を見たのでしょ?
丁度これから桃雨を連れて遊絲さんに会いに行くんだけど…あなたも行く?いつもは桃と2人だけど今日は炎輝も雪も来るそうだから』
『雪蘭はまた喧嘩でもしたか?』
『…かもね。鳳鳴山荘は外部の者に優しい場所ではないから…でも乗り越えるのは本人しかできないわ。じゃあお茶とお菓子の準備をするから待ってて』
『……清流めが雪蘭を守りきれぬならば此処に戻れば良い』
秋月の呟きに春花は笑った。
『…娘には甘いのね』
『妹にもかなり甘かったぞ』
瞬時に出掛ける準備をする春花の背後に回る。
春花は不穏な気配を感じ秋月から逃げるが時は既に遅かった。
秋月の手から伸びた氷蚕糸によりあっさりと捕縛される。
『もー、出掛けるって言うのに遊んでる場合?』
しっかりと腕の中に収まった春花は藻搔いている。
『春花がこの腕の中で暴れるのは楽しい』
『……』
抵抗も虚しい
『だが…いつもだとそろそろ邪魔立てが入る筈だ。その前に唇だけでも味見するとしよう』
『なっ…ちょっと待っ…』
近付く秋月はあと僅かで唇に届く寸前に停止した
『心の準備が必要か?』
思わず目を閉じてしまった春花を笑った
『!!!!💢』
からかわれた事に憤慨する春花は精一杯の威嚇を見せるがそれすら愛しい。
『そう怒るな…可愛い包子顔が台無しだぞ』
『また包子!!』
睨みつける春花の唇に口づけると満足気に見つめた。
『怒っておっても唇は甘い…不思議だな』
『上官秋月あのねぇ!!!』
春花が叫ぼうとする寸前、銀狼雪月の帰還の遠吠えと共に邸の戸が開いた
『ただいまー!!……ん?どうしたの?母上。毛を逆立てた雪月みたいだ…』
『もう!!炎輝…遅いわよ。あなたが後少し帰るのが早ければ!』
憤慨しながら桃雨を連れに行く春花。
その背を見送る秋月
『な、なんだよ母上…ん?』
機嫌のすこぶる良い父に気付く炎輝。
『父上…まさかまた母上をからかったのですか?』
『…余りにも愛らしいお前の母上が悪いのだ。』
『愛らしい…?母上がですか?』
『そうだが?』
『………仲が良いのは良い事ですがね、余りにいじめ過ぎて嫌われないようにして下さいよ。清流が姉上をいじめて嫌われそうだと悩んでいました』
『何?清流が雪蘭を?それは許せぬ嫌われてしまえばよい。』
『……はぁ…やってる事は2人とも同じでは…』
『なに?』
『あ、いや…なんでもありません』
『さあ、2人とも。馬鹿みたいな話はいいから早くして。行くわよ』
家族が屋敷を出て小川に掛かる小橋を渡りきった時、見覚えのある人物が東の空から飛行し、そして家族の前に降り立った。
『あら蝶瑶さん?どうしたの…そんなに慌てて』
『あ、いえ…今雪蘭様の所に所用で行って参りましたが…何とも不思議な…いえ。それはただの夢なので良いのですが、、雪蘭様と山荘盟主の清流殿が…』
慌て過ぎてしどろもどろな蝶瑶。
『……出掛けに喧嘩した?』
『あ、はい。何故それを?春花様』
『……想像がつくわ。清流も誰かによく似て独占欲が強いから。きっとまた雪蘭を怒らせたのね』
『ふん。不埒な…山荘盟主様が聞いて呆れる。炎輝。お前が行って仲裁して参れ。そして雪蘭を連れて来い。もう山荘には返さぬとな』
秋月の言葉に炎輝は溜息を吐いた。
『……あーあ。もう…とにかく迎えに行ってくるから。母上達は先に行ってて。直ぐに合流するよ』
『出掛けに一悶着起こすなど全く無粋な奴め。大方雪蘭を1人で何処かに行かせるのが嫌なのだろう?』
『あら、兄上は唯一理解できる方じゃない?』
『あやつと一緒にするな!』
『ま、まあまあ…お二人共。。あ、それでは私はこれで…葉顔洞主に叱られてしまいますので。。』
2人のやりとりに困惑する蝶瑶は炎輝から預かり抱いていた桃雨を地に降ろそうとするが桃雨が嫌がり仕方なく再び抱き上げ肩に乗せた。
『桃は蝶瑶さんが良いのね?良かったら一緒にどうかしら?私達今から花畑の向こうにある大岩まで行くの。景色はまぁ普通だけど小高い丘になっているから花畑が一望できるんだけど…ん?どうしたの?顔色が…』
『あ、いえ…ちょっと驚いただけです…なんだか夢の続きを見ている様で…しかし秋月様の許しがなければ…私は…』
『葉顔に立ち入るなとでも言われたか?…まぁ良い。これも何かの縁だ。』
『え…な、何故それを?』
『それくらいは容易に想像がつく』
『は、はぁ……あの…ではお供いたします』
こうして秋月、春花、桃雨、蝶瑶の4人はかつての谷主傅楼遊絲の2人が眠る大岩のある丘を目指した。
胡蝶の夢4へつづく
さて。3話で終わらせるつもりが…少々秋月の春花イジりが楽しくなり…舅根性の秋月がまた面白く…脱線しちゃったので4話に伸びました。ごめん。