『……』
返事の代わりに春花の手を握り返す
蝶の後を追う様にして進むとやがて眼前には一面の花畑が広がった。
『さぁ!もう少しよ。蝶瑶さん桃雨重いでしょ?降ろして歩かせてちょうだい!いつも楽ばかりして…』
『いえ、、良いんです。私が何故か離したくない。小さな子は不慣れなんですが…小さな手の平が私の髪を掴み引いたりするのが…何だろう。悪い心地ではなくて…』
『あら、子供が欲しくなった?』
『……』
『まぁその前に良き伴侶ね!』
『その前に薬や毒の知識。武芸も修行せねばな』
春花の発言に言葉を被せる秋月
『んっっ』
『春花は余計な世話焼き過ぎる…』
花畑を縦断し丘の上には大岩が見え始めた。
『あの岩はね、2つの岩が並んでるの。ちょうど支え合って立ってるみたいに…。日陰だから日焼けしなくて助かるのよ。ここには日焼け止めなんてないから。』
『??日…焼け?』
『春花は時々分からぬ事を言うのだ…』
『はぁ…』
『さ、桃!蝶瑶さんの肩から降りて母上と競争しましょう』
春花は桃雨を無理やり引き剥がすと競争を始めた。
『……どちらが子供か分からんな』
『…はい……眩しいです…』
『ん?』
『あんな風に…してくれる母は私にはいませんでした』
『私にもだ。3日3晩いたぶる母はいたがな』
『え?』
『家族や伴侶など不要な物だと思っていた。情を移せばそれだけ憂いが湧く。無駄な物だと思っていたが。だがどうだ…光そのものの様な春花を目にした途端に鍵の壊れた箱みたいに押し込めた本心が飛び出してしまった。。結局その光を喉から手が出るほど欲しがっていたとはな…私自身知らなかった』
『秋月様?』
目を細めて走り行く母子を見つめた。
『妻を我が命より大事にする傅楼を理解出来なかったが…今では分かる』
『!!傅楼…あの傅楼とはこの谷の…』
『ああ、傅楼は伝奇谷の前谷主だ』
『あの…不思議なんですが…』
『夢に出てきたか?』
『え??何故それを??』
驚きを隠せない蝶瑶は次の言葉を発しようとしたがそれが許される事はなかった。
瞬く間に当たり一面真っ暗になる。
黒雲がたちまち頭上を覆い出し
雲の上で稲光が唸る様に明滅している。
1つ2つ天の雫が頭を濡らしたかと見上げると激しい雨が降り出した。
今にも磨きたての鋭剣の如き稲妻が雲間から放たれると容赦なく地に突き刺さらんとする。
『危ない!桃っ』
『春花っ』
落雷から子を庇う春花に秋月は氷蚕糸を放ち引き寄せた瞬間、つい今までいた場所に落雷した。
ビリビリと大地が揺れる。
春花は桃雨を必死で抱き秋月の胸で震える。
『上官秋月。約束はどうした…』
『!?』
『秋月様っっ!あれは!』
『……家族で此処に来ると…遊絲を救うと…』
雲を割り現れたのは夢に見た男である。
『ふ…傅楼!前谷主の…秋月様』
『分かっておる。』
『しかし…そんな…アレは夢で…いや夢か?今が夢か?』
蝶瑶は困惑する頭を必死に正常に戻そうとしていた。
『約束をした覚えはないが記憶はある。妻を救いたい。この場所から離れられぬ妻を長年の呪縛から解き放って欲しいと…』
『遊絲を……遊絲…を』
傅楼は鬼の形相で浮かび上がる。
『兄上…傅楼は遊絲さんを助けてと言っているの?』
『ああそうだ』
『…何勘違いしてるのかしら』
小さな呟きに秋月は耳を疑った。
秋月の胸で震えていた春花は振り返ると傅楼に向かう
『傅楼…さん!』
『……』
『待っていたのよ…あなたが来るのを』
『何だと?!』
『春花?』
『春花様?』
男達は驚く
『何か…勘違いしている様だけど未だに遊絲さんがいつも此処で泣いているのは……あなたのせいよ!』
みるみる増加する怒りに満ちた傅楼の背から幾つも雷が生まれ次々と爆音と共に地につき刺さる。
『こ、怖くないからね!私を脅したって…無駄よ。』
『お前は…遊絲を守ると…』
『ええ、約束したわ。でもできなかった。それはごめんなさい…私の力が足りなかったせいで…遊絲さんを止める事ができなかった…』
あの日を思い出し涙が溢れた。
『でも……でも私…遊絲さんが死を選んだ理由が分かる。なぜ生きながらえる道を選ばなかったか…』
『死を選んだ…理由』
『遊絲さんがずっとずっと心から願っていたのは…愛する人と過ごす事だったから!』
『………』
『傅楼さんは…必死に遊絲さんの命を助けたくて長生果を探していたんだと思う…でもそのせいでいつも夫はいない。自分のせいで本当は強くて優しい夫が悪鬼の様に言われる。胸が痛かった筈よ。』
『……私は…遊絲に長く…生きて貰いたかった』
『分かるわ。あなたが妻を失いたくない気持ちで一生懸命だったのは十分わかる。でも…そんな事をして欲しかったんじゃないの…1日でも長く夫と過ごしたい。私がもしも遊絲さんだったら…どこにも行かないで傍にいて欲しかったと…思うから』
『……わ…私が…悪かったのか…?』
鬼神と化した傅楼は春花の言葉が信じられなかった。
『いいえ誰も悪くない…ただ…お互いを大事に思い過ぎたの。あなたは妻の命を救いたい一心だった。でも傍にいてくれた方がどれだけ心強いか…本当は愛する人に触れる事、触れられる事が長生果より効く何よりの薬だったと思う…』
『春花…』
『寂しい時…冷えた心と同じで…体からも熱がなくなって…だからとても寒くなった。でも…兄上は温めてくれた…ただ触れるだけで温かくなって…だから遊絲さんも本当は傅楼さんにただずっと抱きしめて貰えれば良かった!』
『そ…んな…』
『遊絲さんはいつも行かないでと言えなかった…あなたが一生懸命だから…』
『…遊絲よ……寂しい思いをさせた…』
愕然とする傅楼はその場に崩れ落ちた。
天上から矢の如く地に降る雨は徐々に弱まっていく。
やがて雲の切れ間からいく筋もの光が差し始めた
『春花さん……ありがとう…ありがとう』
何処からともなく声が聞こえる。
それは懐かしい遊絲の声であった。
光の柱が項垂れる傅楼の目の前に降り、笑顔の妻が現れた。
雨はすっかり上がり太陽が顔を覗かせる。
『遊…絲…どうして…』
『あなた。私の事を心配するあまりこんな所で道草して…一緒に色んな場所に旅に出ると約束したでしょう?』
『あぁ……遊絲…すまない…私が…私が…彷徨っておったのは私の方だったのか』
『大丈夫…私達はこれからが長い道のりよ…ずっとあなたと一緒にいられるの。。春花さん…それから秋月様。本当にこの人が又ご迷惑をお掛けしました。』
遊絲は深々と頭を下げた。
『桃ちゃん。いつもお花をありがとう』
桃雨の前髪に風が触れた。
『では春花さんまた…何かあったらいつでも…あそこでね?』
『…はい。また…会いましょう。遊絲さんお元気で』
遊絲は微笑むと大きく頷いた。
そして立ち上がる傅楼を支え光の柱に向かい消えていく。
『………』
『行ったわね…良かった…本当に…』
安堵する春花に困惑しきりの蝶瑶。
『な、、い…今のは一体どういう…夢なのか…それとも現実か…何が何だか…やはり妖に化かされて?』
蝶瑶は言葉を失い目を何度も擦った。
『そのどちらもであろう…』
『…………え?』
『貴重な経験をしたな蝶瑶。恐らく我らは妻達の策略にまんまと嵌まってしまったようだ。そうであろう?』
『策略だなんて人聞きが悪い。ただ時々。遊絲さんが夢に現れて…雪蘭と桃雨の連れ去りの時も遊絲さんが教えてくれた…だから何か私で出来る事があればって…そしたら傅楼さんとはぐれたっていうから…』
『え?はぐれたのは…遊絲夫人ではなくですか?私の夢ではその様に…』
『どうやら…死して尚念に縛られておったのは傅楼の方だったようだな…何故私の夢に出てきたのだ…春花の夢に出たならば話は早かった』
『傅楼さんは誰かさんと違って女子の夢に無闇に出ないのよ誠実だから』
『私は春花の夢しかみたくない』
『ふんっ』
『そ、それでは…遊絲夫人が自ら死を選んだ罪は?…』
『罪?遊絲さんが??嘘でしょ?あんなに良い方が…盛りの花も摘めない人よ?自ら死を選んだと言うけど…絶望死みたいなものだわ…同じ立場なら私だってきっと…』
『私の為に死を選ぶか?』
『……うーん…。分からないわせいせいして長生きするかも』
『素直じゃない春花も可愛いぞ』
耳まで赤い春花を目にし秋月は笑う
『おーい!父上!母上っっ雪蘭を連れてきました!』
『あれは…炎輝様。ようやく合流できましたね。』
傅楼遊絲夫妻の消えた空から入れ替わる様に手を振る炎輝の姿が現れた。
蝶瑶はすぐさま炎輝達の元へ駆けつける。
『大変な雨でしたが大丈夫でしたか?。。にしては皆さん濡れてもない…??』
『雨?雨など降ってないぞ?ただ鳳鳴からこの谷を目指していた時空に虹が架かっていたのは美しかった!ね?姉上』
『ええ…』
少し離れた場所で秋月は眉間に皺を寄せていた。
『小春花…雪の後ろにピッタリ張り付いておるのはなんだ?あれこそ雪蘭に取り憑いておる妖か?』
『もうっ清流でしょ!』
『義父上、義母上…お久しぶりです』
清流はバツが悪そうに頭を下げる
『ふんっ…1人で帰るのではなかったのか?雪は』
秋月はあからさまに不機嫌な表情をみせた。