『………』
『雪蘭様っ…』
誰かの呼び声が次第に鮮明に耳に届く
『ん……いたた…』
目覚めるとその背の痛みに思わず声が出る
『!!気がつかれましたか?』
『……』
雪蘭は辺りを見回すと自分の居場所が何処かは分からぬがどうやら牢の様だ。
かつてこの場所は母春花が風彩彩と共に傅楼に連れ去られ、監禁された場所でもある。そんな事とはつゆ知らず、雪蘭は声がする方を見つめる。
目を凝らせども何も見えなかった。
『…どなたですか?』
『…私です…翼蝶瑶です』
『え?翼星主さん?どこから声を掛けているのか分からないんですが』
『はい…今こちらの牢を抜け出し、横穴に潜んでおります。恐らく見張りがまたすぐ戻るので騒ぎになる前にそちらへ行こうかと思いますが…』
『どうしてこちらへ?』
『どうしてここに?』
ほぼ同時に同じ質問をしてしまい2人は同時に黙り込む。しかして雪蘭はとてつもない安心感に包まれた。
『あ、桃雨が!!桃雨はどこに…それに雪月が…』
『はい…私が見つけた時には雪蘭様しか…ただ、あの者たちの話を聞くに雪蘭様の犬は殺したと…そして桃雨様はこの山城のどこかにはいるかと…私の配下が声を聞いております。元気な様で姉様を探していると…』
『ああっ…桃雨…』
『こちらに…枷を壊しますので背を向けて頂けますか。それから、暫くは縛られているフリをして下さい。戻ってきた奴らを油断させるためにも。それから、配下の者に助けを呼ぶ様逃しました。賊達はそれを探しています。こちらは手薄になったので折を見て桃雨様を探しにいきましょう』
『分かったわ…』
雪蘭の腕、足の枷を功力で破壊する。冷静な状況判断と行動力。翼の潜む横穴からここまでは距離がありながら雪蘭の体のどこにも傷付ける事なく枷を壊す翼に対し雪蘭は星主らしい資質を感じた。
『炎輝なら腕ごと壊されていたかも…』
自由になった腕を見つめて雪蘭は笑った。
手足の自由は即ち賊達の打尽を確実なものにする。自由になった事を確かめる様に力を自在に流してみる雪蘭。
不自由があって初めて知る自由の大切さを切に感じた。
『どうかしましたか?まさかお怪我をさせたとか…?今そちらに行きます。』
現れた翼星主に雪蘭は深く頭を下げた。
『あ、いえ…そうではなくて力の有り難みに気付いたっていう感じです』
『?それ程の力がお有りで有り難みに今気付いたと?凄まじい力を良くぞ誰にも分からぬ様に閉じ込めている…なぜですか?』
『争いの元になるものは不要です。父からもしっかり隠す様にときつく言われています』
『…秋月様は…雪蘭様をとても大事にしてらっしゃるんですね…』
『父は母上ばかり見ていますよ』
『はは。それも確かかも知れませんが…その力を使わせて大業を課す訳でもない。貴女が幸せに暮らす為に力を隠せと言葉をくれる。羨ましいです…私は尊敬していた父親がもういませんから……所で外の様子がおかしい。外へ出てみましょう。背中の傷は痛みますか?』
『ああ、いえ…翼星主さん…これくらいなら内力で治癒できます。助かりました…』
『え!いえ、とんでもありません当然の事です。貴方は春花様の…大事な宝物ですから…必ずやお母様の元へお連れします。さて、次は桃雨様です…』
『いつも母上ばかり…』
『え?』
辺りを見回し、牢から脱出を試みる2人。
雪蘭は何故かこの翼星主には素直に気持ちを吐露する事ができる事に己が内心驚いていた。
『あ、いえ…本当の愛というものはどうやって手に入れるのでしょうか…って』
『さぁ、、私はまだ…経験が浅いため…何しろまだ初恋しか知りません。今は昔ほどではありませんが本来ならば情を交わす事は禁じられるほどの禁忌ですから。ただ…』
『ただ?』
『春花様を好きな気持ちは無くならないとは…思います…この気持ちは私だけのものなので…例え春花様であっても変えることはできない。勿論、何をどうしようとも思いません。ただあの方が幸せで暮らす事を願いながら日々を過ごすだけです』
翼星主の清々しい迄の想いに、雪蘭はどこか頭を撃たれた気がした。清廉でいて偽りない心で生きている。かつては魔教と呼ばれた千月教はこの翼星主の様な純粋な魂も育っていた。
『………雪蘭様…桃雨様は恐らく牢ではなく山城の方にいるのでは…確かここを曲がると牢から外へ出るのですが…城への回廊への道が何処かに…』
『……っっ』
『!!…』
2人は人の気配を察知し、物陰に身を顰めた。
『春花殿…本当にこの道で大丈夫か?それにどんな輩が潜んでいるとも知れぬぞ』
『冷凝さん、怖いなら帰って良いわ。私は雪蘭と桃雨を探すから!送ってくださって有り難う』
『なっ、、誰が怖いなどと…そうではない、ただ事を慎重にと言っているのだ。そもそも、何が出るか分からぬ様な山城にしかも正面から入るなど聞いた事もない。これだから武芸も知らぬ女子は…』
『なによ、大体ね、貴女の息子どうにかならないの?本当に…うちの雪蘭これ以上傷付けたら許さないからね!』
『なに?どう言う事だ?清流がなんだ?』
『ちょ、ちょっと2人ともっ声が大きいわ…そんな事じゃもしも悪者がいても捕まえてくれと言ってるようなものよ』
『彩彩は黙っておれ、清流が何をしたと言うのだ!いつも懸命に武芸に励み、鳳鳴山荘を守り、江湖の平和、民の幸せを願い皆を守っておる。立派な仕事ではないか…大体雪蘭も盟主の妻としてもう少し夫を支えても良いではないか…盟主の妻だぞ?』
『だからよ!分からないの?冷凝さんも女子のはしくれなら分かりなさいよ。心に愛を持たぬ者は立派な盟主になんかなれないから』
『ちょっとちょっと!冷凝、春花さん』
『うるさい!』
『彩彩さんは黙ってて!』
『雪蘭さん、あれは…』
翼星主が指を刺す女3人の珍妙なやり取りに笑うしかない雪蘭。
『お義母様…母上。彩彩先生…』
『わ!雪蘭!無事だったの?良かった…ん?翼蝶瑶さん!』
『春花様…こんな所に…どうされたんですか?』
『桃雨が泣いてるから。きたのよ』
『来たって……何も聞こえませんが』
『聞こえませんよ母上』
『聞こえぬぞ?なぁ彩彩』
『え、ええ…私には聞こえませんね』
『私には聞こえるの!さ、こっちよ。そこの角を左に曲がると小さな隠し階段があるから』
まるで自由に歩く春花
『え?母上伝奇谷へ来た事があるんですか?』
『ええ、ここは私にとって大切な人との思い出の場所よ…彩彩さんとは牢に入れられた事もあるわ…あの時は兄上が来て…折られた腕を…』
言いかけて、腕を治す秋月に唇を奪われた事を思い出した。
『折られた腕を?』
『いえ、な、なんでもないわ…さぁ、それよりも桃雨の所に行かなきゃ』
『何故頬を赤らめてるんだ?春花殿は…熱か?』
冷凝の質問も無視して歩く。
突然目の前に何者かが現れた。
『誰だ!!何だお前達は…』
『あら、どなた?何処かの町の方?どうもこんにちは。薬草でも取りに来たのですか?』
別の事で憤慨している春花は現れた者に警戒もせず笑いかけた。
『な、何だと?』
『何だと?何だとって私に言ったの?』
『いや…すまぬ…突然現れたから…』
『私から見たらあなたが突然現れたんだけど…もしかしてここの管理する方?どうせ白だか葉顔さんだかで話し合って管理してるんでしょう?そんな警戒しなくていいわ。それより男の子がいるでしょう?案内して頂戴』
止めどなく出てくる言葉に一気に戦意喪失の男。
『あ、ああ…もしかしてあの子の母親か?俺はな、今見張りから帰ってきたんだ。怪しい集団がこの辺りに集まってる。それを報告にきたら子供が迷い込んでるじゃないか…今から戦争かもしれねって時に巻き込むわけにもいかないしな…困ってたんだよ』
『なに?うちの子が迷い込んだの?』
『知らねーよ。おいらは町でも下っ端のただの魚売りだからな宿屋の親父に聞いてみろよ』
『宿屋の親父?貴方どこの方?』
『春花殿…この服装は…碧水の…』
『あら、貴方碧水の町の人?昔行ったことがあるけど…あの町には良い思い出はないわ…長生果の競りで大勢が亡くなって…』
『そうだ、大昔の事件のせいでな、俺たちは暮らせなくなった。あの町は交通の要所だが不がついて回ると誰も近寄らなくなったんだ』
『そうだったの…気持ちはわかるわ…あの時は彩彩さん、貴女も毒を受けて…』
『あ、ええ…そうね…父が亡くなって…』
『そうだったのか?すまねーな。あんたらも被害者だったのか』
魚売りだと言う男からは見えぬように雪蘭と翼星主は岩陰に隠れて母達のやりとりを見ていた。
『雪蘭さん…あの…もしかして春花さんは…策を講じているのではなく?』
『あれは何も考えずにやってるんです…単純に』
雪蘭が溜息をつく。
『それは…確かに溜息ものですね…貴女の母上は…やはり…可愛らしい…あ、すみません』
『私も何か馬鹿馬鹿しくなってきました』
『おい!魚売り!お前誰と話してるんだ!』
魚売りの背後から別の男が現れ、いきなり春花めがけて金槌を振り回した
『危ない!』
瞬時に翼星主が春花と男の間に割って入り男が振り上げた手を静止した。