昭和史に残る「阿部定事件」を題材に、男女の愛欲の極限を描く。

 

 

 

 

 

 

           -  愛のコリーダ  L'EMPIRE DES SENS  -  監督 脚本  大島渚

 

 出演 藤竜也、松田暎子、中島葵、殿山泰司、九重京司、松井康子、小山明子 他

 

こちらは1976年制作の 日本 日本 フランス フランス の合作映画です。 (104分)

 

 

 

 

 

 

  昭和11年、東京中野の料亭「吉田屋」を舞台に、吉田屋の主人吉蔵と阿部定の

 

二人が出会い、定が吉蔵に一目惚れする。吉蔵も定に惹かれ、二人は吉田屋のそここ

 

こで密会を重ねる。

 

 

 

 

 

 

やがて関係が露見すると二人は料亭を出奔し、待合に入り浸り酒や芸者を呼びつつ、

 

昼夜を問わず体を求め合い貪るように愛欲生活を送った。二人が駈け落ちしてから

 

二週間経った。吉蔵は「二人が末長く楽しむために」どうしても一度家へ戻って処理

 

しなければならないことがある、と言った。

 

 

 

 

 

 

定はいやいや承知した。互いに想いを慕らせた二人が再会したのは5日目の5月11日

 

だった。二人は待合の一室に篭ったまま果てしない愛欲の生活にのめり込んでいっ

 

た。定は戯れに「今度、別れようとしたら殺してやる!」と叫んで出刃包丁をふりか

 

ざすのだった。

 

 

 

 

 

 

5月16日夜、戯れに吉蔵の首を締めていた定の手に力が入りすぎ、吉蔵の顔は赤く腫

 

れあがってしまった。定は懸命に介抱するが直らず、吉歳は一旦、家へ帰って養生す

 

る結論を出した。しかし、定は前に別れていた時の切なさを思い出し、吉蔵を自分

 

一人のものにするため、吉蔵を殺す決意をした。

 

 

 

 

 

 

定は疲れ果ててまどろむ吉蔵の首に腰紐を巻きつけ、力を込めた。しばし死んだ吉蔵

 

に添寝していた定は、吉蔵への愛絶ちがたく、その陰部を出刃包丁で切り取り、肌身

 

につけるのだった。

 

 

 

 

 

 

1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合(貸座敷)で、仲居であった

 

阿部定が性交中に愛人の「吉田屋」の主人石田吉蔵を扼殺し、局部を切り取ったとい

 

うショッキングな「阿部定事件」を題材に映画化作品した作品です。

 

 

 

 

 

 

なかなか観る事の出来なかったこちらの作品でしたが、やっと修復版を発見いたしま

 

して今回鑑賞することが出来ました。実録好きの私にはこの「阿部定事件」はかなり

 

興味深いお話ではあるものの、この映画化された作品の「ハードコア・ポルノ」とい

 

うイメージにより、奇をてらった見世物映画という偏見が鑑賞前にはありました。

 

 

 

 

 

 

実際鑑賞してみると過激な愛欲、性愛場面が映画のほとんどを占めてはいますが、不

 

思議と下衆ないやらしさを感じる事はあまりありませんでした。それどころか性愛含

 

め多くの場面が高い美意識によって描かれていている純粋な恋愛映画である事に驚き

 

ました。

 

 

 

 

 

 

主人公の定という女と吉蔵という男が出会ってしまった事で起きる愛欲の日々、女は

 

求めつづけ男はそれに応えつづける。女中達の世間の目も、戦争へと向かう時代から

 

も離れ、二人だけの隔離した世界だけが生きていると思える場所だった定と吉蔵。

 

 

 

 

 

 

説明的なセリフや演技を極力抑え、二人の性愛表現だけで愛情と嫉妬、狂気、情念、

 

そして心の渇望が表現されています。その合間にふと見せる二人の笑顔と悲しげな

 

表情にこの映画の本質があるように思えてしまうのです。

 

 

 

 

 


現在でこそ至る所に過激なエロが存在しますが、公開当時の本作の衝撃はすさまじ

 

かったでしょうね。今のこの私の年齢で本作を観れたのはラッキーでした。その時代

 

に観ていたらこのエロにきっと負けてしまい映画の本筋を見失っていたはずで、耐性

 

がついた今だからこそ作品を冷静に味わえる事が出来たのだと思います。

 

 

 

 

 

 

映画序盤には既にレズビアン描写で始まり、男性器のアップに女性のヘアー映像。

 

男女の絡みは勿論ですが、男性器をオクチで愛撫からの射〇、鳥の形をした道具を

 

使っての女子会プレーや、ゆで卵をあそこに挿〇して食べる(映画「タンポポ」の先

 

をいくタマゴプレー)といったモンド映画的な描写のオンパレードです。

 

 

 

 

 

 

その中で現在一番インパクトが強かったのが裸の男女の子供と定がじゃれ合って遊ぶ

 

場面、定がおもむろに男の子のおチ〇チ〇を指でつまみ、今まで笑っていた子供が

 

「痛い痛い」と泣き出してしまうという演技ではない場面に、定の男性のアソコに対

 

する狂気じみたものを感じました。今ではオムツのCMでも見なくなりましたね。

 

 

 

 

 

 

普通ならこのような見世物的描写は酷く下品な映像になりがちですが、この物語の中

 

ではそれが普通で時には美しくすら見えてしまうのに驚きます。定が吉蔵のそれを口

 

に含む場面や、明らかに結合部を意図的に見せている場面には、見世物やエロを越え

 

た二人の繋がりや結びつきを理屈抜きに感じさせる強さがあります。

 

 

 

 

 

 

この映画を美しく感じる要因の一つに昭和11年という時代を再現した美しいセットと

 

見事な照明による光と色彩があります。この特殊な二人の世界をリアルで幻想的な空

 

間として感じさせてくれる映像は正に映画のマジックです。そこに流れる音楽も琴や

 

三味線、尺八といった和楽器の音色が二人の心情を代弁しているような効果を生み、

 

時折浄瑠璃を思わせる程の素敵な映像世界でした。

 

 

 

 

 

 

そして主人公を演じる二人の役者さんも見事で、情念に苛まれた定の狂気を彼女以外

 

には有り得ないという位の迫力で松田暎子が演じ、その定を受け入れる吉蔵を藤竜也

 

が優しく強く演じています。本作では特にカッコよかったのですが、この作品では

 

演技以外の部分にも相当苦労したのではないかと察します。

 

 

 

 

 

 

かなりの部分がフィクションだと思ったのですが、意外にも事実を基にしたエピソー

 

ドが大半を占めている事にも驚きました。特にラストの首を絞めるいきさつや、吉蔵

 

の局部を切り取った後、その出血した血で吉蔵の身体とシーツに「定吉二人キリ」と

 

書いたなんて!事実はホラー映画よりも奇なりです。

 

 

 

 

 

 

その切り取った吉蔵の局部を雑誌の表紙に包み、逮捕されるまでの3日間、彼女はこれ

 

を持ち歩いたようです。逮捕後の供述で、何故吉蔵の性器を切断したかについては、

 

「私は彼の頭か体と一緒にいたかった。いつも彼のそばにいるためにそれを持ってい

 

きたかった」と供述、懲役6年の判決を受け服役しています。

 

 

 

 

 

 

様々な意味で究極的に合う相手に出会ってしまった定と吉蔵の「純粋な狂気と愛欲」

 

が肉体で描かれた鮮烈なラブストーリーとなっておりますので、機会がありましたら

 

ご覧になってみて下さいませ、です。

 

 

では、また次回ですよ~! パー

 

 

 

 

  

 

 

本作がタイトルのこの曲、クインシー・ジョーンズはこのカバーだったんですね 音譜