横溝正史の同名小説の映画化作品。 数奇な運命に生まれた青年が、四百年にわたる怨念が息づく生地を訪れ、続発する血腥い殺人事件にまきこまれる姿を描くミステリー映画。

 

 

 

 

 

          

        -  八つ墓村  -    監督 野村芳太郎  原作 横溝正史 

 

 出演 萩原健一、小川真由美、渥美清、山崎努、山本陽子、 中野良子 他

 

こちらは1977年制作の 松竹映画 日本 です。(151分)

 

 

  寺田辰弥は首都圏空港で誘導員をしていたが、ある日の新聞尋ね人欄の記述により、大阪北浜の法律事務所を訪ねることになった。 体にあった火傷の痕で辰弥は尋ね人本人と認められるが、そこで初めて会った母方の祖父であるという井川丑松は、その場で突然、苦しみもがき死んでしまう。 辰弥は、父方の親戚筋の未亡人である森美也子の案内で生れ故郷の八つ墓村に向かうことになった。 

 

 

 

 

辰弥は美也子から、腹違いの兄・多治見久弥が病床にあり余命幾ばくもなく子もいないため、辰弥が故郷の豪家の多治見家の後継者であると聞かされる。 赤子であった辰弥を連れて村を出た母の鶴子は、別の地で結婚した後、辰弥が幼いころに病死しており、辰弥は自分の出自について今まで何も知らずにいたのだった。

 

 

 

 

美也子に聞かされた多治見家と八つ墓村にまつわる由来は、戦国時代にまで遡った。1566年、毛利に敗れた尼子義孝という武将が、同胞と共に8人で今の八つ墓村の地に落ち延び、村外れに住みついた。 しかし落ち武者たちは、毛利からの褒賞に目の眩んだ村人たちの欺し討ちに合って惨殺される。 落ち武者たちは「この恨みは末代まで祟ってやる」と呪詛を吐きながら死んでいった。 

 

 

 

 

このときの首謀者である村総代の庄左衛門は褒賞として莫大な山林の権利を与えられ多治見家の財の基礎を築いた。 だが、庄左衛門はあるとき突如として発狂、村人7人を斬殺した後、自分の首を斬り飛ばすという壮絶な死に方をする。 村人は、このことにより落武者の祟りを恐れ、義孝ら8人の屍骸を改めて丁重に葬り祠をたてたことから、村は八つ墓村と呼ばれるようになったというものだった。

 

 

 

 

さらに、辰弥の父だという多治見要蔵も、28年前に恐ろしい事件を起していた。要蔵は事件当時に多治見家の当主で妻もありながら、若い鶴子を強引に妾にし、多治見家の離れに軟禁していた。しかし、鶴子が生まれたばかりの辰弥を連れて出奔してしまい、その数日後の夜に要蔵は発狂して妻を斬殺、村人32人を日本刀と猟銃で虐殺し、失踪したという。 八つ墓村では、辰弥の帰郷と呼応するように、また連続殺人が起こりはじめ、私立探偵の金田一耕助が事件調査のため村に姿を現わす。

 

 

 

 

何故か夏になると思い出すこの「八つ墓村」でございます。 公開当時「祟りじゃ~」 のキャッチコピーと共に大ヒットした本作。 幼いながらも初めて劇場で横溝映画を観た記念の作品で、当時はそのおどろおどろしさに恐怖したホラー初体験作品でもあります。

 

 

 

 

当初は角川春樹が松竹と映画化する話が進行していたようですが諸々の事情で企画が流れ、角川独自で横溝作品を映画化する事となり、あの「犬神家の一族」が誕生。 その後に松竹で「八つ墓村」の映画化が正式に決定、製作に入ったのは「八つ墓村」の方が先でしたが製作に時間がかかった為に公開は角川映画の方が先になり、市川崑、石坂浩二の金田一が定着した後に本作が公開。 松竹の「八つ墓村」は独自の道を歩んだ結果、舞台は現代になり、金田一耕助も普段着の渥美清という「本陣殺人事件」を連想させる特殊な映画と相成りました。

 

 

 

 

これまでも3度の映画化とテレビドラマ化も複数あり、その都度変更や簡略化、アレンジが加わっている為、小説を読んでいない私には既に設定がゴチャ混ぜ状態。 久しぶりに観返して初めて気付く事や、こういう系図になっていたのか!という事の連続で、 毎回観る度に見逃してた?となるのも横溝作品の醍醐味あるあるかも知れません

 

 

 

 

お話は400年前の村人による落ち武者8人謀殺の祟りを利用した連続殺人で、そこに横溝作品ならではの村の因習や血筋、家系やインモラルな闇が絡むというものです今作では実際に岡山の田舎で起きた津山事件が盛り込まれ、それによって不気味なリアリティを醸し出しています。 これを再現したかのような要蔵による村人殺しの場面はかなりのインパクトと美意識で撮られていて、桜吹雪の中、懐中電灯を頭にフル装備で走る要蔵の姿は日本映画史に刻まれる程の狂気と戦慄を感じさせる名場面です

 

 

 

 

通常は石坂金田一を軸に観ている私ですが、今作ではより脇の狂言回しに徹している渥美清の金田一。 あくまで主人公は萩原健一演じる辰弥が巻き込まれる災難が物語の中心で、彼の出生の秘密とそれを知ってしまったが故の辰弥の苦悩、そしてそれに絡む殺人が描かれていきます。 

 

 

 

 

今回の特色は「犬神家」を思わせる広い屋敷の他に、村にある鍾乳洞がもう一つの舞台として大きな役割をはたしているのも特徴で、闇に包まれた鍾乳洞という存在が物語の様々なキーポイントにもなっています。 後半、鍾乳洞で竜のアギトという場所を探す場面が、音楽も含めて急にヒッチコック風のロマンチックなものになったのにはちょっと驚きましたが、、。

 

 

 

 

ただ市川崑監督作に比べて連続殺人の描写はかなりマイルド、血のりの量も少なめで

殺人よりも辰弥の葛藤に趣きが寄せられているのがちょっと残念な所です。 その分、落ち武者が殺される場面や32人殺し、ラストの鍾乳洞のクライマックスといった見せ場では歌舞伎を思わせる祟り憑依に変化しての血のりの大盤振る舞いを見せてくれていて、しっかりとジャパニーズホラー感も味わえる作品になっています。

 

 

 

 

後半で金田一による事件の顛末が語られますが、鍾乳洞の状況を知っている観客からすると、呑気に外で待ってていいの?とも思ったり、犯人がどのように毒薬を入れたのか、特に3人目の犠牲者をどのようにしてピンポイントに狙えたのか?といった推理モノの種明かしを映像等でちゃんとしてくれていないのはちょっと残念に思いました。 野村監督も脚本の橋本忍もそこにあまり興味なかったんでしょうかね? ラストも家系を辿っていくと、、、という点からして呪いや祟りに振り切った作品にしたかったのかもですね。

 

 

 

 

あと謎だったのが、落ち武者役の田中邦衛と稲葉義男の無駄使い感、浜村純も然りですが、あの役でこの人?っていう違和感はありました。 純の吉岡秀隆君のデビュー作でもあり邦衛さん、「前略おふくろ様」の萩原健一と、共通の臭いを感じた私はこれを倉本聰が脚色したらどうなったかな~と妄想してしまったわけで、、。 あゃ、、。

 

 

 

 

で、改めて観返して思ったのが、市川版の金田一作品はエンディングで犯人に少なからず同情して涙ぐんでしまうのですが、今回の犯人にはほとんど同情する事が出来ないというシビアな犯行動機。  感情移入するのは終始巻き込まれた辰弥とその姉というもので、この終わりの余韻の違いがこの作品の印象を特殊なものにしているように思いました。 あとは好みですが、ラストを除いてユーモアが少なかった事でしょうか?市川監督と野村監督との決定的な違いは、サービス精神とユーモアのセンスかも知れません。

 

 

 

 

当時のブームだったのか、推理小説をあえてオカルトに寄せた野村芳太郎作品。 この流れで医療ドラマ「震える舌」もオカルトホラーに仕上げたんですかね? まぁ何だかんだ言いながらも好きな映画には変わりない作品ですし、また数年後にきっと観直して、また別の発見をするという謎の魅力に溢れた映画です。 そして市川版の「八つ墓村」と「丑三つの村」もまた観返してしまうんだろうな~と思いつつ終了させていただきます。この夏にでも機会があれば一度ご覧になってみて下さいませ、です。

 

 

 

 

画面に場所と時間の字幕入れがち~、波の映像加工しがち~、野村芳太郎あるあるでした。

 

では、また次回ですよ~! パー

 

 

 

 

 

 

予告が見つからなかったので、以前私が作ったこちらでお許し下さいです。 音譜