1964年に開催された東京オリンピックを撮影した、市川崑が総監督を務めた長編記録映画の金字塔。公開当時は「記録か芸術か」という論争まで巻き起こった

 

 

 

 

 

 

 - 東京オリンピック -  総監督 市川崑    渋谷昶子、安岡章太郎、細江英公

 

  脚本 市川崑、和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎  撮影 宮川一夫 他

 

こちらは1965年制作の 日本映画 日本 です。(169分)

 

 

 

 

  ブルドーザーが鳴り、東京の街々は“東京オリンピック”の歓迎準備は万端整ったギリシャに端を発した近代オリンピックの火が、太平洋を渡って、今、東洋の国日本に近づいている。 羽田空港には、アメリカ選手団を初めとして、各国選手が到着。万国旗のひらめく中、聖火は点火され平和を象徴する鳩が放された。 

 

 

 

 

翌日から競技が開始された。100M男子決勝ではアメリカのへイズが、走高跳男子決勝ではソ連のブルメルが優勝。つづいて、砲丸投男子決勝でアメリカのロングが女子決勝ではソ連のタマラ・プレスが優勝。円盤投、棒高跳がつづく。 翌日、雨空だった競技場で、1万M決勝、200M、女子走高跳、女子槍投が行われた。 800M女子決勝では、イギリスのパッカーが優勝。いそがしく動く報道陣の群れを追うように国歌が流れている。 体操では、日本選手が堂々と君が代を鳴らした。

 

 

 

 

今度初めて参加したアフリカのチャドからは3名の選手が参加した。 競技場の晴れの舞台で、独立国の責任と喜びを味わった。 日本のお家芸、重量挙、レスリング、柔道も、予想以上の成績だった。フェンシング水泳、フリーライフル、自転車、サッカーホッケー、バスケット、水球、馬術、そして、バレーボールでは、東洋の魔女が君が代を鳴らした。 カヌーボート、ヨット、競歩、近代五種と競技は展開し、オリンピック最後を飾るマラソンは、アべべの勝利で終った。すべて終了した。 メキシコで再会する日を祝して、聖火は太陽へ帰った。メキシコの国旗がメインポールに翻えっている。

 

 

 

 

いまから57年前、初めてアジア圏の日本で行われたオリンピックの公式記録映画です オリンピック会場の建設の為に鉄球で解体される建物の映像から始まり、聖火の上陸沖縄、広島と、日本の歴史的な重要地点を巡る壮大なスケール感から始まる本作

 

 

 

 

監督は私の好きな市川崑監督、ある種作家性の強い監督が普通に記録としての映画を作るはずもなく、芸術性の視点で撮られた本作。 そんな事もあってか試写を観た当時のオリンピック担当大臣からは「記録性をまったく無視したひどい映画」と酷評された作品でもあります。

 

 

 

 

で、実際に作品を観ると確かにオリンピックという競技を記録した映画としてはかなり問題わ感じる作品で、政府の期待するものとは大きな隔たりのある映画だな~と、素人の私でも察してしまう内容です。  そこで思うのが、市川監督自身がスポーツ競技に於いて順位をつけるという事にそもそも興味がないんじゃないの?とさえ感じてしまうのです。

 

 

 

 

多くの種目が撮影されていますが、そこに映るのは行われている競技がどうなっているのかを俯瞰で捉えた映像ではなく、スタートを待つ緊張した表情であったり、選手の異常にも見えるルーティーンの仕草。 極め付けは重量挙げの選手の競技中の足のアップや同じく競技中の砲丸投げ選手の胸のアップ、マラソンに至っては表情や上半身のみを横から撮影したスローモーション等が映され、投げられた砲丸の行方や距離、順位にはまるで興味がないと言わんばかりのショットがつづくのです。

 

 

 

 

監督が興味あるのは、そこまでに辿り着いた選手個人とその肉体、躍動と重圧や不安という人間的な部分にこそドラマがあると感じているようにも思えます。 そして注目を浴びる選手だけではなく、通常は映されない競技をセッティングしている人達等の裏方にもカメラが向けられ、オリンピックという巨大な祭典を多角的な視点で捉えています。

 

 

 

 

特に個人的に興味を惹いたのが会場や沿道で競技を見つめる一般の観客の人々。 当時はまだ外国人は珍しかったのでしょう、まるでスターを見るような視線で選手を見つめ熱い声援や拍手をしている人達の純粋さには何故か胸にこみ上げてくるものがありました。 特に子供達の澄んだ眼差しは印象深く、当時の街並みや服装も相まってノスタルジックな気分になること請け合いです。

 

 

 

 

終戦から20年も経たないでこれが開催されたという凄さ。 今のように意味不明で派手な演出の開会セレモニーなど全くなく、ただ選手が入場してくるだけの質素な開会式が何故こんなにも感動的なのか? ビジネスとしてエンターテインメント化した現代のオリンピック以前にあった純粋な人類の祭典がここには収められています。

 

 

 

 

最初は黒澤明監督にオファーがあったそうですが、予算の折り合いがつかず断ったというエピソードがあります。 黒澤監督のファンでもある私としてはそちらのバージョンも観てみたかった気もしますが、、贅沢な願望でした。

 

 

 

 

しかし、昔を美化し懐かしんでばかりはいられません。 政治やお金という負の面はありつつも、オリンピックという純粋なスポーツ競技、選手の努力と活躍が再び日本で行われ、新たな歴史が塗り替えられるであろうその日。 この映画の観客同様、選手達の活躍を純粋に見て感動出来ればと切に願う私でありました。

 

 

 

 

映画はこんな言葉で締めくくられています。

 

 -  夜  聖火は太陽へと帰った 人類は4年ごとに夢をみる 

                 

                                 この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか -

 

 

 

 

もう当時からこういった論調や危惧がオリンピックにあったのが少し驚きますが、市川崑監督以下、映画の最後でこの言葉を使うあたりに製作者としてのポリシーが覗え、これをただの記録映画にしなかったからこその意義がここに映されておりますので、機会があれば一度ご覧になってみて下さいませ、です。

 

では、また次回ですよ~! パー