ミヒャエル・ハネケ監督が手掛けた「感情の氷河期三部作」の一本。 19歳の学生が引き起こす銃乱射事件に巻き込まれる人々のそれまでの日常を描いた作品。

 

 

 

 

 

 

           - 71 FRAGMENTE EINER CHRONOLOGIE DES ZUFALLS -

                    監督 脚本 ミヒャエル・ハネケ

 

 出演 ガブリエル・コスミン・ウルデス、ルーカス・ミコ、

                                                                   オットー・グルーンマンドル 他

 

こちらは1994年制作の オーストリア  ドイツ ドイツ の合作映画です(95分)

 

 

 

 

  93年12月23日。クリスマス目前のこの日、ウィーン市内の銀行で19歳の大学生マキシミリアン・Bが突如銃を乱射し、3人が死亡、マクシミリアン自身も自殺した、、。映画はこの事件に至るまでの何日かの加害者と、そこに居合わせた人々数人の姿を断片的に追っていく事になります。

 

 

 

 

93年10月12日。 一人の少年がオーストリア国内に密入国します。 トラックの荷台に隠れ、高速を経由して明け方にはウィーン市内に入り込みました。 ドイツ語が話せない少年は盗みやもの乞いを繰り返しながら、駅の構内でホームレス生活をし始めます。同じ深夜、一人の青年が倉庫に忍び込み、十数丁の拳銃を盗み出していました

 

 

  

 

朝、密入国の少年がゴミ箱の残飯を漁っている頃、銀行の現金輸送をする警備員の男が起き出し、熱を出した赤ん坊と貧しい妻との生活への祈りをささげていました。大学寮では学生がパズルの賭に興じていましたが、負けた学生がお金を出し渋る姿を見たマキシミリアンは突然逆上します。 しかし、すぐに反省をして友人に謝ります。

 

 

 

 

子供に恵まれない夫婦が児童保護施設を訪ね、アンニという養女候補と面談しますがアンニは口を閉ざし、頑なに心を開こうとしませんでした。警備員が現金を運んでいる頃、窓口には年金を受け取る老人が押し寄せていました。一人の老人が受付の中年女性に話しかけます。 二人は親子のようですが、娘はあくまで事務的に接し、夜に電話をくれるよう伝えます。

 

 

 

 

亡命者の少年が書店で万引きを行う一方、年金を受け取った老人は一人孤独に夜を過ごしながら娘へ長電話をしています。 学生は卓球のトレーニングに追われながら、母親に帰郷の予定を伝えていました。 アンニは施設の女性に、いつ夫婦の所で暮らせるのかをたずねていました。 警備員の男はやるせない気持ちを妻にぶつけてしまいました。

 

 

 

 

少年は遂に警察に捕まり、インタビューがテレビで放送されていました。 アンニを迎え入れようとしていた夫婦は、彼女の代わりに少年を引き取る決断をします。 そして数日後、事件が起きる銀行へそれぞれが向かう事になります、、。

 

 

 

 

感情の氷河期三部作の最後を飾る本作は、こちらで紹介したデビュー作「セブンス・コンチネント」、2作目の「ベニーズ・ビデオ」と、2作品はある家庭を軸に描いた作品でしたが、本作ではその視点を社会に向けた記念碑的な作品であり、より断片的なカットに別の意味を持たせ観客に疑問を投げかける作風を確立した映画でもあります。

 

 

 

 

本作の原題は 「偶然の時間序列における71の断片」 という意味らしく、題名どうり映画は71の断片的なカットによって構成された作品で、カットごとに場面も主人公も変化する不規則な編集によって綴られた初期の手法による実験的なアプローチの作品です

 

 

 

 

映画冒頭で事件の概要が文字によって示され、そこにたどり着くまでの数人の日常の断片が不規則な編集で紡がれています。 それだけでなく世界で起きている戦争や民族紛争、はたまたマイケル・ジャクソンの幼児虐待を伝えるニュース映像が間に挟み込まれ、映画を観ている現実のこちら側と劇中の距離感が曖昧な感覚になる作品です。

 

 

 

 

映画という芸術はそもそも映像の断片によって構成されています。 数日、数カ月、数年の断片を2時間程にまとめられた物語ですが、ハネケ作品はよりその断片感を強く感じます。 それは意図的に不規則に並べられた断片として強調する事で、観客にその断片と断片の間にある可能性を観客それぞれの体験の中で考えてもらおうという意図があるからです。 

 

 

 

 

私達が過去を思い出す時、断片的な事柄の羅列を思い出すように、現実に近づけようとする程作品は断片的なものになります。 「人は僅かしか見ず、さらに僅かしか理解しない」 とハネケ監督は語っています。 

 

 

 

 

そして 「人は作品の中で答えを与えられることに慣れているが人生で答えが分かることなど決してない」 とも発言し、全てを一つの視点からしか見せようとしないメジャー映画へのアンチテーゼが本作の根幹にあるのかもしれません。 それと同時にハネケ監督ほど観客を信頼している監督もいないのではないか?とも思えます。 

 

 

 

 

こちら側が映画の余白をどう捉えて考えるかの思考の可能性に委ねられているのですから。 その挑発に乗れるか乗れないかがハネケ作品の好みに分かれるのではないでしょうか?  今回、映画自体の感想がほとんど書けませんでしたが、それほど色々と思考してしまう快楽と残酷さを兼ね備えた映画でありました。 

 

 

 

 

世界と個人、他人と自分、虚と実の間に存在する不確実でグレーな現実を描いたハネケ監督独自の世界観が観る人によっては媚薬にも劇薬にもなる中毒性を持った作品ですので、機会があれば一度ご覧になってみて下さいませ、です。

 

では、また次回ですよ~! パー

 

 

 

 

 

予告が無く、本作で唯一アップされていた地下鉄のシーンをば、、。 電車  チーン