巨匠・今村昌平監督が“水”をキーワードに、男と女の奇妙な愛の姿を描くファンタジー。第54回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールにノミネートされ、観客からの絶賛を受けた

 

 

 

 

 

 

    - 赤い橋の下のぬるい水 -  監督 今村昌平  原作 辺見庸

 

 出演 役所広司、清水美砂、北村和夫、倍賞美津子、夏八木勲、北村有起哉 他

 

こちらは2001年制作の 日本映画 日本 です。(119分)

 

 

 

 

  会社にリストラされた中年男・笹野は、孤独な死を遂げた人生の師と仰ぐホームレスのタロウを偲ぶうち、彼が生前 「能登半島の日本海に面した赤い橋のたもとの家の壺の中に、宝物を隠した 俺の代わりにあの家に行ってくれ。目印は、家の門の前に咲くノウゼンカズラだ」 と言っていたのを想い出し、そこを訪ねてみようと思い立ちます。

 

 

 

 

陽介は目的の駅に降り立ち、場所を尋ねながらようやく赤い橋にたどり着きます。 その橋の向こうには、ノウゼンカズラが咲き誇る二階建ての古い家が本当にありました。陽介は、その家から現れた女性・サエコの後を、何かに憑かれたようについて行く事にします。 するとスーパーでサエコがもじもじしながら手に取ったチーズをバッグにひそませる姿を見てしまい、サエコの立ち去った跡には、不思議な水たまりができ、水の中には片方だけのイヤリングが残されていました。 そんなサエコに興味を惹かれる笹野。

 

 

 


サエコのあとを追い、赤い橋のたもとの「だんごや」を営む家に戻り着きます。 家に入ると痴呆を患う老婆のミツとサエコがいました。 イヤリングを拾った陽介を二階へ誘うサエコ。 二階からは、タロウの言葉どおりに赤い橋が見渡せ、日本海の向こうには雄大な立山連峰が広がっていました。 サエコは自分は和菓子職人で、祖母のミツは神社におみくじを書いて納めている事を陽介に語り始めるまます。 そして、突然陽介の口に盗んだチーズを含ませ、笹野を押し倒して関係を持つサエコ。 

 

 

 

 

歓喜を迎えたサエコの体からは驚く程の水が湧き出てきました。  驚いた笹野にサエコは、体の中に水がたまると悪事を働きたくなり、水を放出すると快楽を感じるという不思議な体質なのだと告白します。 笹野はそんなサエコに惹かれ、偶然知り合った漁師の所で働きながら、この町にしばらく残ることにします。 そんな状況にサエコも喜び、二人の関係はつづいていきます。

 

 

 

 

漁に出た笹野の船に水が溜ると岸から合図を出すサエコ、それを見た笹野は仕事を終えると一目散にサエコの家に走って行き、水抜きを手伝う日々に幸せを感じる笹野。しかし、笹野は次第にサエコの不思議な水の量が減っていくことに気づきます。 そんな現象にサエコが浮気をしているのではと疑いはじめる笹野。 そんな時、世話になっている漁師の父・正之から、かつて流れ者がサエコをめぐる痴情のもつれで漁師を刺したという話を聞かされます。 

 

 

 


そしてある日、笹野は偶然街中で見知らぬ男と親しげに話すサエコを目撃します。 男の車に乗り込むサエコを追う笹野。 二人のあとをつけ始めた先で待っていたのは、意外なる真実だった、、。 というお話です。

 

 

 

 

辺見庸の短編小説を映画化した今村昌平監督の長編映画としては遺作となった作品で、大人の男女が織りなす寓話的ファンタジーといった趣向の作品です。 人間の描写はとってもリアルなのですが、設定がとってもシュール。 師と仰ぐホームレスの言葉を確かめる為に向かった先で出会った女性がこれまた不思議な体質の持ち主で、体に水が溜り、あの行為をすると、あそこから大量の水が噴き出すというビックリなもの、、。

 

 

 

 

これを実際の映像で観ると、あの「椿三十郎」に匹敵する位の噴水なみの尋常ではない吹き出し方で、もうその情景はただのコメディと呼べるものです。 しかし演者達はいたって真面目な世界観で日常を演じているという摩訶不思議な構造をした映画なのです。他にもアフリカ人のマラソンランナーや橋のたもとで釣りをする老人3人組、おみくじを描き続けているミツ等、ストーリーに直接関係しない人物や設定が多く登場していてとってもシュールでありながら、それが作品の魅力になっていたりするのがよりこの映画を不思議なものにしています。

 

 

 

 

この物語の中心となるのが笹野とサエコの恋愛になり、水がたまった状態で鏡を使い、船上の笹野へそれを伝える場面や、それを受けてサエコの家へとダッシュで向かう笹野の姿は面白いものの、肝心の二人が交わる場面、メインの設定でその回数も何度かあるのですが、これまでの今村作品に比べて、全くいやらしさもねちっこさもなく、その代わりに残された水がなんともエロティックに見えてきて驚いてしまいます。

 

 

 

 

表層的な人間社会と生理的なサエコから出る水、それが水路を伝って川に流れ、橋の下を流れる淡水と海水が混じる汽水に再び混じり魚が集まる。 水の説明はそれに止まらず、橋に流れる川の上流には以前工場があり、その影響でイタイイタイ病が起こった事、現在その工場では5万トンの超純粋タンクを使ってニュートリノの観測場になっているという壮大な実験場のロケまで行っている徹底ぶりと唐突さにどのような意図があるのか、命の根源、子宮、羊水、女性、サエコ、笹野と、生命の循環や営みもテーマとなっている作品です。

 

 

 

 

会社から解雇され、家庭からも必要とされなくなり、これまでの人生が無意味だったと悩む笹野に、サエコの水を抜くという役目が出来た事で新たな生きる意味を見い出していく笹野。 誰でもない自分という人間を必要とされる事がいかに生きる事に重要なものかを改めて考えさせられたりもします。

 

 

 

 

結局は哲学的なお話をするホームレスのタロウの思惑通りに動かされた笹野が、まるでタロウの身代わりのようにあの壷を見つけた事で、束縛された世界から自由を手にして、自分の住む場所、住む川、収まる場所、を見つけるまでのお話であり、タロウが何度も笹野に告げる言葉 「勝負はチ〇ポが立ってるうちだぞ!」 に集約された映画です

 

 

 

 

とっても意味深なタイトルを持つ本作。 時にミクロに、時にマクロに、人間の営みや性を描いてきた今村昌平監督の最後のメッセージともとれる 「勝負はチ〇ポが立ってるうちだぞ!」 映画、興味がありましたらご覧になってみて下さいませ、です。

 

では、また次回ですよ~! パー