「隠された記憶」 「タイム・オブ・ザ・ウルフ」 の ミヒャエル・ハネケ監督作品。 日本では劇場公開作品。 第53回カンヌ国際映画祭で人道賞を受賞。

 

 

 

 

 

 

              - CODE INCONNU -  監督 脚本 ミヒャエル・ハネケ

 

 出演 ジュリエット・ビノシュ、ティエリー・ヌーヴィック、

                                                                 ヨーゼフ・ビアビヒラー 他

 

 こちらは2000年制作の フランス フランス オーストリア  ドイツ ドイツ 

               ルーマニア  の合作映画です。 (113分)

 

 

 

 

  ろうあの子供達がジェスチャークイズをしています。 一人の少女が行ったジェスチャーに他の子供達は思い思いの答えを返しますが、彼女の答えにはたどりつけません。女優のアンヌは、恋人・ジョルジュの弟・ジャンの突然の訪問を受けます。 実家の農家を継がせようという父に反抗して家出してきたというのです。 仕事に追われるアンヌは適当に聞き流し、自分の部屋で待つように言って一旦別れます。 

 

 

 

 

アンヌの素っ気ない反応に強い不満を感じたジャンは、彼女が買い与えたパンの包み紙を物乞いの女に投げつけました。 するとそれを見ていた黒人青年・アマドゥがジャンを捕まえ、女に謝るよう要求しますが、やがて口論から乱闘に発展してしまいますやがてやって来た警官に、アマドゥは乱暴な対応を受け、抵抗しますが、押さえつけられて連行されてしまいます。

 

 

 

 

アンヌは女優の仕事として「真実でない姿」を演じ続けています。 ある時、彼女がアパートの自室でアイロンをかけていると、どこからか子供の悲鳴のような声が聞こえてきました。 その時は特に気にもとめなかったアンヌでしたが、後日自室のドアに挟まっていたメモを見て激しく動揺します。 向かいの部屋の老女に尋ねますが、そっけない返事しか帰ってきません。 思いあまった彼女はジョルジュに相談しますが、「一人で決断しろ」 と他人事に扱われてしまうのでした。

 

 

 

 

ジョルジュは戦場カメラマンをしています。 コソヴォから帰国した彼はアンヌと久しぶりに時を過ごします。 しかし、友人達との食事の席で「あなたの写真は体験が感じられない」と批判されますが、「そうかもしれない」と答えるでけでした。 アンヌに「誰かを幸せにしたことがあったか」と尋ねられた時にも、彼は「ない」としか答えられませんでした。ジョルジュは新たに地下鉄に乗り、こっそりと乗客のポートレートを撮影し始めます。

 

 

 

 

家出したジャンは結局実家に戻りますが、彼を迎えた父親との間には変化もなく、何の会話も行われないまま日常が戻ります。そしてジャンは再び家出をするのでした。アマドゥはアフリカ移民の子で、家族はそれによる様々な問題を抱えていました。 彼の母親は身の回りの問題を全て自分たちが移民系であるからだと嘆き、白人に責任を求める原理主義的な考えをしていました。 そのためアマドゥが白人の女性と付き合っていることを、彼女は快く思っていません。 そして、彼の弟にもまた、問題が発生していました。

 

 

 

 

物乞いの女・マリアが乱闘の場から執拗に逃げようとしたのは、彼女が不法入国をしていたからでした。 結局祖国ルーマニアに強制送還となった彼女は、再会した家族と新しい家へと移り住みます。 しかし、パリでの悲惨な生活について、マリアはありのままを語ることが出来ないでいました。 やがて彼女は生活のために再度不法入国を試みるのでした。  そしてそれぞれの物語は、ろうあの子供達による太鼓の大合奏が響く中、それぞれの収束を迎える事になるのですが、、というお話です。

 

 

 

 

こちらでもご紹介した 「ファニーゲーム」と「ピアニスト」の間に作られたミヒャエル・ハネケの映画で、ある種基本的なテーマは一貫した作品ですが、本作ではその技法がかなり特殊なもので、観る人によってはその手法から、やや難解に感じてしまう作品かもしれません。 その手法というのは、一応の主人公である女優のアンヌを中心とした5人の日常がそれぞれ断片的に描写され、彼女に直接的、間接的に関わる事柄を通して大きな物語のテーマが描かれています。 

 

 

 

 

一人の人物のある場面が映され、次のカットは別の人物の場面というように、編集はパズルのように不連続に繋がれ、シーン同士に直接的な繋がりは無いように見えますが、羅列されたように思えるそれぞれの映像は、互いに微妙なバランスで共鳴して一つの大きな世界を作っています。

 

 

 

 

本作のテーマは冒頭の二つのカットで大まかに説明されています。 ろう学校の子供がジェスチャーゲームをしていますが、問題を出している少女のジェスチャーは、答えを読み取ろうとしている子供達にすら伝わりません。 次のカットはアパートから出て来たアンヌです。 歩く彼女に恋人の弟ジャンが声をかけます。家出して来たという切羽詰まった彼を、仕事に急ぐという理由で部屋の鍵とパンを渡して話を後回しに立ち去るアンヌ。

 

 

 

 

ジャンはイライラを募らせ、道に座る物乞いの女に持っていたパンの包みを投げつけます。 それを偶然目撃した黒人青年は、ジャンに注意して物乞いの女に謝るように強要します。 ジャンはそれを拒否し、黒人青年とつかみ合いになってしまいます。 そこへ通報を受けた警官が到着して間に入りますが、警官はゴミを投げたジャンよりも注意した黒人青年を乱暴に扱います。 正当性を強く訴える程、警官の態度も強硬なものになり、遂には警察署に連行されてしまう。 というもので、この一連の流れをワンショットで表現しているハネケ監督の演出に圧倒されます。

 

 

 

 

普通以上に動きに対して洞察力があるように思えるろうあの子にも伝わらない言葉。時間に追われ耳を傾けられないアンヌ、自分の怒りを弱者にぶつけるジャン、他人の行いを正そうとする黒人青年、不法移民で声を出せない物乞いの女、法の名の下にそれを取り押さえる先入観に満ちた警官。 日常で何気なくとっている行動にすら、その相手によっては差別や偏見、人種や貧困、といったものが隠され、気付かないうちに私達は判断し、行動している事を映像によって見せつけられてしまいます。

 

 

 

 

そしてそれらの物事の多くは、言葉や動きで伝わっていると勝手に思い込んでしまっている事によるコミュニケーションの不在と、そこから生まれる不寛容や弊害といったものが、いかに個人を偏見と差別によって孤独にしているかが描かれています。こういった微妙な言葉と心のズレを、無意味に思える日常の断片的なカットの積み重ねによる表現で、私達が現実を体験するようなリアリティの視点で見せてくれます。

 

 

 


この映画が特殊な編集をしている事で、観ている自分が劇中に散らばっているカットを頭の中で自分自身で勝手に編集している事に気づいて、これはさっきの後で、あれとこれが繋がってと、知らないうちにまんまと作品の中に参加させられている事に途中で気付いた私でした。

 

 

 

 

映画の最後も見事でした。 それまで音楽のない作品に、ろうあの子が叩くドラム音が響き、映画を逆回転したようにアンヌがアパートへ入っていく場面で物語は幕を閉じ、ラストはオープニング同様ろうあの少女がこちらに向かって手話で何かを伝えています。しかし、少女が伝えようとしているものは私達観客には理解出来ないままで、エンドクレジットとなってしまうのです。 本作でもその明確な答えは提示されず、監督の意志通り作品の解釈は観客個人個人に委ねられて幕を閉じます。

 

 

 

 

コミュニケーションの不確かさを断片的な映像の意図的な羅列によって映画としても表現した作品です。 ぱっと見、高尚で難解な映画に見えますが、ハネケ作品の中ではかなり理解しやすく、丁寧にリードしてくれている作品だと思いますので、機会があれば一度ご覧になってみて下さいませ、です。

 

 

 

 

予告にある映像は、日常の中で起こり得るハネケ監督らしい嫌悪感に満ちた断片です血しぶきの暴力より、この映像に強い衝撃を感じる方は、ハネケ作品に向いているのかも知れませんね、、。

 

では、また次回ですよ~! パー