青年ベニーは、自分で撮影した豚の屠殺ビデオに魅了されていた 趣味は、部屋から街をビデオ撮影することと、近所のビデオショップに通うこと いつからかベニーは、人が血を流す映画を見ても刺激を感じなくなっていた ある日、ベニーは街で知り合った少女を誘い出し、自宅で屠殺のビデオを見せる 少女が飽きて帰りそうになると、父親から盗み出した屠殺用の銃を見せびらかす この時、少女の腹部に向けた銃を誤って発射してしまう、、、

 

 

 

 

 

 

 

こちらは1992年制作の オーストリア オーストリア スイス スイス の合作映画です (105分)

 

「ファニーゲーム」「愛 アムール」のミヒャエル・ハケネ 監督の 2作目の作品にな

 

ります。期待に背く事なく、これでもか!という程に、冷ややかな視点で 青年 べニー

 

ズの奇行と、それに翻弄される両親の戸惑いと、家族という形の保身を描いています

 

 

 

 

 

 

8mm  オープニングからいきなり 豚の屠殺場面から始まります  銃  家畜銃ピスト

 

ル(映画「ノーカントリー」 で殺人鬼 シガーが使用していた器具)で脳天を打たれる

 

その瞬間の ビデオを繰り返し観る青年べニーズ ビデオテープ  もうそこから彼の異様さが垣間見

 

えるのであります。 

 

 

 

 

 

 

刺激の強い映像を求めてビデオ店に通う彼。 部屋の外の景色すら、ビデオのモニター

 

越しに見るベニーズ。 その日に知り合った女性を家に招き、家畜銃ピストルを 唐突に

 

女性に打ち込み彼女を殺してしまいます ドンッ それを冷ややかに映すビデオカメラ。 

 

その画面越しの映像をこちらは見せられる事になります  カラーバー  彼は無表情で血を拭き

 

取り、無関心のようにその後 淡々と食事を取ります。贖罪の意識からではないであろ

 

う 坊主頭にするべニーズ。

 

 

 

 

 

 

その姿に両親は驚きますが、彼の真意には気付きません。 そんな両親への強烈なメッ

 

セージなのか、べニーズは女性との一件を録画したビデオを両親に見せます。 言葉

 

を失う両親でしたが、彼の将来を思ってか、家族の保身の為か、女性が死んだ事実を

 

無かった事にしようと遺体の処分の相談を始め、母親とべニーズは旅に、父親は自宅

 

に残り遺体を処理するという行動に出るのでありました、、、 血 包丁

 

 

 

 

 

 

本作のメインテーマは 現実感の喪失 です。主人公べニーズは現代の多くの大衆を具

 

現化させたような存在で、世界を知るのがモニター越しであり その中こそが リアル

 

で 刺激的な 「現実の世界以上のもの」 にすり替わってしまっています。それが如実

 

に表れているのが、常に無表情なべニーズが感情を表す箇所は、殺人を犯す場面と、

 

旅先でパラグライダーを体験する場面だけです。 日常では味わうことの無い体験をし

 

た時のみ、彼は感情を表すのであります  ニヤニヤ  彼が父親に殺人の理由を尋ねられた

 

時の答えは、「どんなものかと思って、、、」 と答えます。 そんな理由も理由です

 

が、その言葉を聞いた父親は何も反応が出来ません。

 

 

 

 

 

 

この負のスパイラルにはストッパーが存在しませんし、両親はむしろそれに拍車をか

 

ける酷さです  もやもや  この家族には 本当の意味での「愛」 は不在であった事によ

 

り、親は息子の犯罪に加担し、息子は親のそんな意外な行動のリアクションとして、

 

ラストに至ったように感じました。 ドア  「帰っていいですか?」 は凄い言葉でした

 

が、、、チーン

 

 

 

 

 

 

観客は映像の中の映像を見せられる事で、合わせ鏡のような作用によってこちら側も

 

意図的に 同様な人間 である事を認識させられる構図になり、居心地の悪い気分になり

 

ます。それこそが ハケネ監督の意図なのかも知れません さすがの悪趣味であります

 

本作も圧倒的な 後味の悪さ でエンディングを迎え、様々な疑問や答えは観客の感情に

 

委ねられます。 映画に答えや理由を私達は求めがちですが、ハケネ作品にその単純

 

さを求める事すら無意味なのでありまして、それだからやめられないハケネ作なので

 

ありました。

 

 

 

 

 

 

この癖になる 冷淡で俯瞰的 な映像と現実音のみの作風。 まだご覧になった事がない

 

方は一度鑑賞してみて下さいませです。  好き嫌いがはっきりと分かれるでしょうが

 

 

では、また次回ですよ~! パー