癌で余命幾ばくもないと知った初老の男性が、これまでの無意味な人生を悔い、最後に市民のための小公園を建設しようと奔走する姿を描いた黒澤明監督によるヒューマンドラマの傑作。 ベルリン国際映画祭等、海外でも多くの映画賞で受賞を受けている作品

 

 

 

 

 

 

     - 生きる -  監督 黒澤明   脚本 黒澤明 橋本忍 小國英雄

 

 出演 志村喬、小田切みき、藤原釜足、日守新一、金子信雄、伊藤雄之助 他

 

こちらは1952年制作の 日本映画 日本 です。(143分)

 

 

 

 

  市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていました。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていました。 ある日、渡辺は体調不良のため勤続30年で初めての休暇を取り、医師の診察を受けます。 検査の診断を待っていると、通い詰めている馴染みの患者から胃癌患者によくみられる症状と医師の対応を聞かされます。 

 

 

 

 

その後、医師から語られた診断は先程患者から聞いた通りのもので、軽い胃潰瘍で手術は必要ないと告げられます。 渡辺は実際に自身は胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考えます。 不意に訪れた死への不安から、これまでの自分の人生の意味を見失った渡辺は、市役所を無断欠勤し、それまで貯めた金をおろして夜の街を彷徨います。  

 

 

 

 

そんな中、飲み屋で偶然知り合った小説家の案内でパチンコやダンスホール、ストリップショーなど、これまで体験した事のなかった場所を巡ります。 しかし、一時の刺激も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになります。

 

 

 

 

その翌日、渡辺は市役所を辞めて玩具会社の工場内作業員に転職していようとしていた部下の若い女性の小田切とよに偶然出会います。 何度か食事をともにし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれます。 自分が胃癌であること、これまでの人生が虚しいものであった事をとよに伝えると、とよは自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」と言われます。 

 

 

 

 

その言葉に心を動かされた渡辺は「まだできることがある」と気づき、次の日欠勤していた市役所に復帰します。 そして以前他の課へたらい回しにしていた案件に取り組み始めるのでした。

 

 

 

 

それから5か月が経ち、渡辺は亡くなります。 渡辺の通夜の席で、同僚たちが、役所に復帰した後の渡辺の様子を語り始めます。 渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取ったのでした。 新公園の周辺に住む住民も焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝します。

 

 

 

 

その姿にいたたまれなくなった助役など幹部たちが退出すると、市役所の同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績をたたえ、これまでの自分たちが行なってきたやり方の批判を始めるのでした。通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺をたたえていた同僚たちが新しい課長の下昨夜の話は無かったように相変わらずの「お役所仕事」を続けていました。 しかし、渡辺の創った新しい公園には、子供たちの笑い声で溢れていた、、。

 

 

 

 

黒澤明監督の代表作の一本で、海外の映画賞や評価も高い本作を数年ぶりに鑑賞しました。 映画は自身が胃癌を患い、余命幾ばくもないことを知った役所勤めの男がこれまでの無為に過ごした人生の意味と、残された時間をどう「生きる」かについてを模索しその意味を市民公園の整備に傾けていく姿が描かれています。

 

 

 

 

その中でも自身の死に向き合う事になった渡辺という人物の苦悩と混乱、 死期を知ったからこそ、その残された人生をより有意義なものとして、どう生きるかが痛烈に描かれていきます。 ただ死を恐れ、現実逃避していた渡辺が、若い女性の一言に触発され、死んだように生きてきたこれまでの人生を取り戻すように、生きる意味を見い出したように、公園整備という目的に向かって必死に生きはじめます。 

 

 

 

 

このような死期を知った男の話と同時に、本作では役所という官僚主義的な構図にも疑問を呈した内容になっていて、渡辺個人の人生の視点と、社会的な視点という二つの構造が絡み合いながら物語は進んでいきます。 その描き方は映像的にも演技的にもかなりデフォルメされた描写がされているようにも感じますが、主人公の極限的な心理を表したものとして素直に観る事が出来る映画的な魔法がかかった作品で、主人公を演じる志村喬の姿は狂気や悲壮感を越えて神々しささえ感じる凄まじい演技です。

 

 

 

 

彼は死を迎える前に小さな公園を完成させ、ある種悲しくも見事な感動ドラマのエンディングを迎えると期待させますが、黒澤明はその観客の感情を逆なでしてきます。

 

 

 

 

これからという時に場面は一気に渡辺の葬儀の場面に変わり、集まった役所の人間は口々に公園を造ったのは彼だけの業績ではないと生前の渡辺についての小言合戦が始まります。 

 

 

 

 

様々な憶測や断片的な出来事が渡辺に関わった人間から飛び交い、彼の人物像と功績が徐々に浮かび上がって来るという見事な構成、、。  その後の皮肉な展開と微かな希望の見せ方に、やはり綺麗ごとだけではない人間のドラマを描いてみせた本作の凄みを感じます。

 

 

 

 

無音からのトラックの騒音、不釣り合いな帽子、穴の開いた靴下、バースデーパーティウサギのオモチャ等の細かな演出や、役所の壁伝いに歩く渡辺の後ろ姿、積み上げられた書類の束、橋から見上げる空、そこから見下ろす公園と、映像だけで状況を物語る黒澤明の神がかりな美意識にはただただ陶酔してしまうのでした。

 

 

 

 

自分の余命が少ない事を知って、初めて生きる事を真剣に考える皮肉さは誰にでも起こり得る事として共感出来るものではないでしょうか? 単純ににヒューマンドラマとしてくくってしまうにはあまりに大きく強烈な作品で、是非ご自身の目でご覧になって、体験して頂きたい映画です。

 

 

 

 「命短し、恋せよ乙女、、♪」  では、また次回ですよ~! パー