山本周五郎原作の『赤ひげ診療譚』を基に、巨匠・黒澤明監督が三船敏郎、加山雄三主演で映画化したヒューマニズム溢れる人情ドラマ。江戸時代の小石川養生所を舞台に、そこを訪れる庶民の人生模様と通称赤ひげと呼ばれる所長と青年医師の心の交流を描く。

 

 

 

 

 

                  - 赤ひげ - 監督 黒澤明 原作 山本周五郎

 

 出演 三船敏郎、加山雄三、山崎努、団令子、香川京子、二木てるみ、土屋嘉男 他

 

こちらは1965年制作の 日本映画 日本 です。(185分)

 

  主人公の青年、保本登が小石川養生所の門をくぐります。 

 

 

 

 

彼は3年間の長崎への留学を終えて、幕府の御番医になる夢に燃えて江戸に戻って来たのでした。 登が赴任することになったのは町の小さな診療所「小石川養生所」でした。しかも登の許嫁であったちぐさは、登が長崎にいる間に他の男と子供を作っていたのです。まさかこんな所へ来るとは思ってもみなかった登の前に現れたのは、養生所の所長で通称「赤ひげ」と呼ばれている新出去定でした。

 

 

 

 

赤ひげは早速、登に本日からこの養生所で見習いとして勤務することを告げます。自分の知らない間に段取りがつけられていた事に不満たらたらの登は御仕着を着ず、酒を飲むなど不真面目な態度を取って、養生所から追い出されることを期待していたのです。 登は養生所内の中にある座敷牢に隔離されている美しく若い女を見ます。 男を三人も刺し殺したと聞きますが、それは美しい女でした。 

 

 

 

 

赤ひげが不在中の夜に、この女が登の部屋に忍び込んで来ました。 悲しい生い立ちを語る女に同情し、隙を見せた登は女に殺されそうになった所を間一髪で赤ひげに救われます。 赤ひげは登に「恥じることはないが、懲りるだけは懲りろ」と忠告します。​​​​​ 数日後、登は赤ひげが執刀する手術の現場に立ち会う機会を得ますが、その余りの凄まじさに失神してしまうのでした、、。

 

 

 

 

それからというもの、登は赤ひげに付き添い、様々な患者の人間模様を身をもって知ることになります。 ある時、危篤状態の癌患者を診た時、病状を巡って登は赤ひげに論破され、自らの不甲斐なさを思い知らされます。 赤ひげは、「医療はあらゆる病気を治すことは出来ず、医療の問題は貧困と無知である」 と諭し、病の影には常に人間の不幸が隠れていると語ります。 

 

 

 

 

その後、長屋で大工の佐八を看取るように言われた登はここに至る佐八の悲しい恋の物語を語り息をひきとります。 赤ひげの医者としての姿勢に心打たれ、自分の傲慢さと未熟さに気付いた登は、着なかった御仕着を着るようになり、積極的に赤ひげの往診に同行するようになります。

 

 

 

 

その往診で実力者から法外な治療代を受け取る赤ひげの姿に登は驚きますが、それを裏長屋にすむ最下層の人間たちの治療費に充てていたのです。 赤ひげは 「社会が貧困や無知といった矛盾を生み、人間の命や幸福を奪っていく、貧困と無知さえ何とか出来れば病気の大半は起こらずにすむ」と語ります。 

 

 

 

 

その後立ち寄った女郎屋で、虐待され衰弱している12歳のおとよを赤ひげは無理矢理引き取り、登に初めての担当患者として面倒をみて治すようにと託します。 しかし、おとよは恐ろしい程疑り深く、他人を寄せ付けない娘でした。 大人達からことごとく裏切られ少女の心は深く病んでいたのです。 その中にかつてのいじけた自分を見るような気がしてた登は、おとよを自室で昼夜もいとわず看病を続けるのでした、、。

 

 

 

 

黒澤明監督と三船敏郎の黄金コンビの最後の作品であり、黒澤映画最後のモノクロ作品でもある本作は、それまでの英知を結集したような演技と美術、黒澤映画の集大成のような芸術作品です。 実際脚本に2年、撮影に1年半という膨大な労力と心血を注いだ作品で、ヴェネツィア国際映画祭等、海外でも多くの賞に本作は輝いています。

 

 

 

 

意気揚揚とエリート街道を進むつもりだった医者の卵の登が、赴任させられたのは汚い貧乏人がうごめく貧しい「小石川養生所」という所。 ふざけるなと逃げようとするのですが、幕府からの命令の為自分の意志では辞めるに辞められないという状況。

 

 

 

 

作業着も着けず反抗的な態度をとりますが、養生所で病人達の生活と、赤ひげの患者への向き合い方を見ているいるうちに徐々に心の変化が起き、真の医者としての姿を見い出していくというのが大まかなストーリーになっています。

 

 

 

 

黒澤映画の根幹でもあるヒューマニズムが濁す事なく、どストレートに描かれている作品で、若い頃に観た時にはそのストレートさがお説教臭く感じてしまったのですが、歳を取るごとに観返すと、その混じり気のない描き方に素直に感動してしまうから不思議です。主人公は勿論ですが、登場する全ての人への細かい描写とリアリティ

 

 

 

 

狂女のまるでホラー映画のような鬼気迫る演出や死を受け入れる六助の崇高な顔、凄惨な執刀場面佐八とおなかの悲しいラブストーリーと地震で崩れた家屋、ヤクザ相手の赤ひげのアクションと大根攻撃、おとよの闇を表現した目の光、登を看病するおとよを追った音楽だけの場面、小鼠とおとよの会話、井戸に叫ぶ女中たち等々、、、 書き切れません。

 

 

 

 

「七人の侍」から一つの場面で3台のカメラを回してワンテイクで撮影していたそうで、本作でも多くのシーンが複数台のカメラによってワンカット撮影されています。 10分近いシーンもあり、それをワンテイクで撮影しているというのは技術的にも演者的にもかなりの緊張感があり、それを知った上で映画を観ると、その凄さに圧倒されてしまいます。

 

 

 

 

物語外の部分で個人的に感動したのが後半にある登が結婚の儀をする場面。 そこに登の両親として笠智衆、母親として田中絹代、立ち合いとして三船敏郎が横一列に並ぶのですが、笠智衆は小津安二郎映画、田中絹代は溝口健二映画、そして三船敏郎は黒澤映画と世界的に評価されている日本映画の看板3人が一つの画面に映っているという所に黒澤監督の洒落た演出が垣間見えた私でした。

 

 

 

 

貧困や弱者に寄り添った本作が海外でも高く評価、支持されるのは世界を構成している大多数の人間が私を含めて弱者だからなのかも知れませんね。 そんな大多数の人達に伝えたい事、忘れてはいけない事を表現する為に、飾る事なく、恥ずかし気なくストレートに伝えたい事を伝えたいままに描いたヒューマニズム映画が本作になります

 

 

 

 

演技、脚本、セット、衣装、照明、撮影と自身のギリギリまで突き詰め、人間愛について語った黒澤明の集大成です。 何故世界の黒澤と呼ばれているのか、本作をご覧になれば少しは理解出来る作品だと思いますので、是非一度ご覧になってみて下さいませ。

 

では、また次回ですよ~! パー

 

 

 

 

 

 

 

黒澤映画について淀川長治さんが語ったインタビュー」です。ご興味あれば是非 カラオケ