農村に生まれ、後にコールガール組織のマダムになった女の半生を、昆虫観察のような視線で描いたドラマ。 公開当時は、映画倫理管理委員会より成人映画の指定を受けた。

 

 

 

 

 

 

    - にっぽん昆虫記 -     監督 今村昌平    脚本 今村昌平  長谷部慶次

 

  出演 左幸子、北村和夫、 北林谷栄、春川ますみ、長門裕之、河津清三郎 他

 

こちらは1963年制作の 日本映画 日本 です。(123分)

 

 

 

 

  大正7年の冬、東北のとある寒村で松木とめは、父の忠次と母えんの間に生まれます。 忠次がえんと結婚したのは10月で、えんは既にそのときには妊娠8ヶ月。 母のえんは誰とでも寝る乱れた女で、母であるえんもとめの本当の父親が分かりません。 ただ、忠次がとめの血縁上の父親ではない事は明らかでした。

 

 

 

 

大正13年の春、少女時代のとめは母のえんが父とは違う男の情夫の小野川と戯れているのを偶然見てしまい、父と母が本当に夫婦なのか疑問を持つと同時に、父の忠次を好きになっていきます。 戸籍上は父と娘でしたが血縁上は他人のこの2人の間には、近親相姦にも似た愛情が芽生え始めていました、、。

 

 

 

 

昭和17年の春、23歳になったとめは製糸工場で女工として働いていました。 ある日、とめは実家から電報で父の忠次が危篤であると知らされ、急いで帰郷します。 しかし、これは母の陰謀で、村の地主の三男坊に足入れ婚をさせるための口実でした。 家のためだから仕方がないと諦めたとめは、本田家へ足入れ婚をします。 しかし、本田家で出征する三男坊の俊三に無理矢理抱かれますが、彼は女中にまで手を出している上に子供までいました。 妊娠したとめは実家に戻り、昭和18年の正月に娘の信子を出産しますが、もう本田家に戻る事はありませんでした、、。

 

 

 

 

昭和20年の夏、とめは再び製糸工場へ戻り女工として働き始めました。 とめは誰もいない女子寮で肉体関係を持っていた係長の松波に無理矢理抱かれますが、戦争によって工場は閉鎖。 再び実家に戻りますが、そこは既に弟夫婦に占拠されとめの居場所は何処にもありませんでした、、。

 

 

 

 

昭和24年、とめは7歳になった娘の信子を父の忠次に預けて単身上京。 基地にある外人専用のカフェでメイドを始めます。 そこの外人兵の愛人宅の家政婦となりましたが彼らの娘をちょっとした不注意から死なせてしまいます。 失意にくれるうちに、浸り始めた新興宗教で知り合った売春宿の女将に雇われる事になり、そこで女中として働く事になります。 しかし、そんな折に宿に出入りしていた客の一人である問屋の主人である唐沢と知り合います。 彼の妾となりパトロンを得たとめは、ついには先代の女将を警察に売って売春宿を経営するまで上り詰めるが、次第に前の女将と同じように業突張りになっていき、、というお話です。

 

 

 

 

大正から昭和へと移り変わる時代と東北の村社会の変化、そんな流れの中で押し流されながらもたくましく生きる女性を描いた今村昌平の作品です。 オールロケーションで撮影された本作は、監督のこだわりとも言える村の土着的で貧しい世界と、東京での乾いた人間の繋がりが交錯させて描かれ、時に挟まれる時代を象徴するニュース映像がよりとめという女性の人生をドラマチックなものに見せています。 

 

 

 

 

映画オープニングでタイトルを象徴するかようにクローズアップで映される地を這う昆虫マイマイカブリの姿。 人間も俯瞰で見れば昆虫のように本能のままに生きているのだと言わんばかりに観察的な視点で見せられます。 特に本作を観ると男性に比べて女性は生命力に長けていて、本能的な生き物なのかも?と思えてきます。

 

 

 

 

東北の貧しい寒村から都会へと上京したとめの半生はサクセスストーリーのようでもあり、時代に翻弄された女性の物語のようでもあり、親と子、母親と娘、貧富のループが繰り返される、因果応報 蛙の子は蛙の正に昆虫記を観ている感覚になる作品で、どこか 「嫌われ松子の一生」 を想い出した私でした、、。

 

 

 

 

本作で主人公とめを娘時代から中年期までを演じる左幸子が日本映画として初めてのベルリン国際映画祭で主演女優賞を受賞した記念的な作品で、その演技も素敵なのですが、個人的に村の老婆と売春宿の女将蟹江スマの両役を演じた北林谷栄の演じ分けも見事でありました。  ただ本作、特に映画前半の田舎の生活の描写ですが、かなり本格的な東北弁が使われている為、日本人の私ですら聞き取れない箇所がありました。

 

 

 

 

ある意味その再現が素晴らしい今村作品なのですが、その反面、私でこうなのですから、若い人はもう字幕で観なければならないのでは?と思うと、遂に日本映画を字幕で観るという時代感や言葉の変化、標準化に愁いを感じてしまい候、、。田舎の生き辛さ、女性が一人都会で生きる辛さ、男社会の中で生き抜く女の辛さと傍目にはとめの厳しい半生の物語に見えますが、そんな世の中を上手く利用する女性のしたたかさとフットワークの軽さ、そして強さがユーモラスに描かれていたりして、人間という生き物の生命力をうたい上げている作品でもあります。 

 

 

 

 

それを象徴するようなエンディングの下駄を脱いで田舎道を歩いていくとめの足取りのストップモーションが印象的に残ります。 見方によっては今村昌平の女性讃歌にもとれる本作。 機会があれば一度ご覧になってみて下さいませ、です。

 

では、また次回ですよ~! パー