坂口安吾の原作の推理小説を映画化。山奥の別荘に集まった、二十九人の男女がくりひろげるサスペンス・ミステリー。 雑誌掲載時には、作者から読者への挑戦として、真犯人当ての懸賞金がかけられた。

 

 

 

 

 

 

                              -  不連続殺人事件  -     監督 曽根中生

 

 出演 瑳川哲朗、夏純子、田村高廣、内田裕也、浜村純、桑山正一 他

 

こちらは1977年制作の 日本映画 日本 です。(140分)

 

 

 

 

  舞台は第二次世界大戦から2年が経過した1947年(昭和22年)夏のN県。

県内有数の財閥・歌川多門邸で、流行作家の望月王仁が殺害される事件が発生します 地元の警察が捜査にやって来ると同時に、招待客の矢代に呼ばれた探偵の巨勢博士も多門邸に訪れ事件にあたる事になります。 凶器のナイフからは2人の女性の指紋が発見され、もう一人の女性のものと思われる小さな鈴が、被害者のベッド下から発見されました。 歌川家には語り手である小説家矢代の他、多数の文化人達が多門の息子である一馬の手紙により招待されていましたが、一馬によればその招待状は偽物だというのです。 招待客、使用人、家族を合わせ、29人の人々が滞在していた歌川邸では、家族のみならず戦争中に疎開していた10人や、その他の招待客らの間でも乱脈な性関係がなされており、さらには複雑な憎悪が絡み合っていたのでした。

 

 

 

 

そしてその夜、珠緒とセムシの詩人・内海明、千草と次々に殺害されていきます。さらにその一週間後の8月26日には、第5、第6の殺人が実行されるのでした。 コーヒーに混入された毒物で加代子が、プリンの中へ混入されたモルヒネで多門が殺害され、同時に異なる場所で殺人が起きてしまいます。 次々に起こる殺人事件に、一貫した動機を見出すことはできず、次に誰が殺されるのかも予想がつかない状況にありました。 連続殺人事件であるのに、動機に一貫性がない。犯人が複数なのか、あるいは真の動機を隠すためだけに殺された被害者が存在するのか。 警察はなんの手がかりも得られず、確証も見い出す事が出来ないでいました。 そして、これは犯人が自分と目的を見分けることのできないようにと仕組んだ、不連続殺人事件であることに気づくのでした。

 

 

 

 

第六の殺人から10日後の9月3日、不連続殺人の不連続たる一石が再び投じられます。 女流作家の宇津木秋子が殺されたのです。 さらに、6日後の9月10日、明方4時あやか夫人の悲鳴が聞こえ、部屋へ駆けつけると一馬が青酸カリによって死亡し、夫人は一馬の遺体の下で気を失った状態で発見されます。 あやか夫人の証言によれば、一馬は「もう僕は死ぬ、もうだめなんだ」 と言って薬を飲み、無理心中をはかろうと首を絞められ気を失ったと言います。

 

 

 

 

探偵である巨勢博士は、最後の被害者が出る直前に真相に気づいていたが、物的証拠をつかむために屋敷を離れていたのでした。 その際に、事件の解決を急ぐあまりに行なった警察の挑発を、巨勢博士のものと勘違いした犯人により、最後の殺人が起こってしまったのでした。 残った人々を一堂に集めた巨勢博士は、「犯人が唯一ミスを犯したある殺人において『心理の足跡』を残した」と指摘して、事件の真相を語り始めるのでした、、、というお話です。

 

 

 

 

この小説の連載が始まったのが1947年、横溝正史が金田一耕助を登場させたのとほぼ同時期の作品となりますが、内情はドロドロしているものの映画では血縁や土着的な要素は薄く、舞台が洋式の豪華な邸宅で、招かれた客の中での連続殺人という設定もあって、どちらかと言えばアガサ・クリスティのようなドライな殺人に近い内容です。しかし、本作の特徴は不連続の人間を殺さなければならない事もあって、屋敷に居る人間の数が異様に多く、映画を一度観ただけでは相関図はおろか、誰が誰やら把握するのも至難の業で序盤はもうパニック状態で鑑賞していましたよ。

 

 

 

 

そんな個々の人物を認識できていない状態で、「誰々が殺された!」と言われても、顔も姿も思い浮かばない為、「え?あの人が!」なんて風にはならず、だいぶ経って座り位置とかであそこに居た人か、、と認識するのにタイムラグが生じてしまいました。人数が多いくせに引きの画が多くてアップが少ない。 根岸季衣さんなんて注意してなければ出てたの?という位です。 (映画「乱」の宮崎美子並みです)その後もほぼそんな状況がつづき、感情移入した人物が殺された訳でもない為、誰が殺されても特別なにも驚きを感じないという「無」の状態のままで真相発表とあいなりました。 殺された人達の殺害現場もかなりあっさり見切れる程度で、恐ろしさはゼロ。

 

 

 

 

次に自分が殺されるかも?という恐怖もなく、邸宅からは自由に出入り出来る状態なのに殺人が起こった邸宅に全員が留まっているという不思議な感覚は、さすが芸術家の方々、常人には理解出来ない精神力をお持ちなのでございます。一応矢代という人物が語り手というポジションにいますが、ほぼ映画では機能していない存在になり、彼の招待でやってきた探偵も存在感がありません。 とりあえず彼の口から真相が明かされますが、トリックと言える程の驚きはなく、昔の口調で淡々と殺人の過程を「~であります。」 と無感情に語られるものですから、聞いているこちらもただ淡々と聞くのみという、なんとも空虚な気持ちにさせられてしまいます。

 

 

 

 

その中でも唯一の救いが画家の土居を演じている内田裕也の存在感です。 セリフはほぼ棒読み、裸にサスペンダーというアナーキーないで立ちながら、この映画の中で唯一人間的な存在に見え、ついつい彼の動きを目で追っている私がいました。 ラストの異様に古臭いセリフに衝撃を受けますが、彼の存在が無かったらこの映画は成立していなかったかも知れません。 他にもあやか役の夏純子さんも素敵でしたし、一馬役の瑳川哲朗さんの顔と頭のインパクトもかなり印象に残ります。

 

 

 

 

他にもこの映画には多くの役者陣が出演されています。 70年代のドラマをご覧になっていた世代には必ずどこかで見たお顔ばかりが登場しています。 多くの作品で脇役として出演されている方が多く、レコードで例えるとB面のベスト盤といった顔ぶれです。なにか文句が多くなった感がありますが、決して嫌いな作品ではありません。意外とそんな所が本作の魅力でもあり、そこも含めて楽しめる映画でもありますので、機会があればご覧になってみて下さいませ、です。

 

では、また次回ですよ~! パー