横溝正史の同名の小説の映画化作品。 蔵の中に住む胸を病む姉と、彼女を慕い看病

 

する弟の妖しい関係を描く。

 

 

 

 

 

 

           -  蔵の中  -    監督 高林陽一 原作 横溝正史

 

 出演 山中康仁、松原留美子、中尾彬、吉行和子、亜湖、小林加奈枝 他

 

こちらは1981年制作の 角川映画 日本 です(101分) 

 

 


 

 

横溝正史が1935年に発表した短編小説を原作にした映画で、金田一耕助に代表される探偵というキャラクターは本作では登場しない ミステリー作品になります。  公開当時は 「悪霊島」 との同時上映 という、横溝ファンからすれば「トトロ」と「火垂るの墓」の2本立て位の夢のような組み合わせでありました。 

 

 


 

 

本作を撮った監督は1975年、金田一耕助が初登場した 「本陣殺人事件」 を 中尾彬 を主演に迎え、ATG の製作で映画化した 高林 陽一 監督で、今回も 横溝正史原作中尾彬主演の再タッグ作品になっています。 「本陣」 での金田一は、ジーパンヒッピー風で、今では逆に伝説のインパクトになっていますが、本作の中尾彬 演じる 磯貝 という編集者のキャラクターは、石坂浩二以降の金田一スタイル。 これは角川映画だぞ!という主張を勝手に感じてしまった私でした。 

 

 

 

 

   物語は、雑誌「象徴」の編集者である磯貝三四郎のもとへ、美しい青年 笛二 が書いた「蔵の中」 というタイトルが付いた原稿を持ち込んで来る所から始まります。 「持ち込みの小説は読まない」 という磯貝に 「面白いにきまっていますよ、少なくとも先生には、、、」 という意味深な言葉を残して立ち去ります。 その言葉に興味をもった磯貝は、その小説を読み始めます。   映画はこの現実の世界と、小説の中の世界の二つが入れ子構造になった劇中劇の形で進行します。

 

 


 

小説の主人公は作者自身の笛二です。 彼は幼い頃から姉の小雪を慕っていて、生まれながらに病弱で肺の病にかかっていた彼女は、医者の勧めで屋敷にある 蔵の中 で隔離された生活を強いられていました。 姉思いの笛二は、しばらく前から姉のために蔵の中で献身的に世話をしていました。

 

 

 

 

いつしか笛二は姉の小雪を、小雪は弟の笛二に 依存した生活を送っていました。 姉弟の不思議な生活が続く中、小雪の病状は悪化し度々吐血するようになり、病は日々重くなっていきますが、転地療養を恐れ二人の秘密にしていました。 ある日、笛二は蔵の中で望遠鏡を見つけます。 望遠鏡で外の世界を覗いていると、向かいの屋敷の男女の生活に目がとまり、度々 姉弟で覗き見するようになります。

 

 

 

 

 

その男女は磯貝と愛人でした。 二人の行為を覗く笛二と小雪。  ある雷の鳴る夜、閉鎖感から解放されるように、遂に姉弟である二人は禁断の愛に溺れてしまう二人。 「どうせ治る見込みが薄いなら好きなことをしたい」と懇願する小雪と罪の意識に後悔する笛二。

 

 

 

 

ある日、いつものように向かいの屋敷を覗いていると、男女は口論となり、磯貝が愛人の首を絞めて殺す現場を目撃してしまいます。  命の儚さを見た小雪は、美しいうちに死にたいと言い 「自分も同じように殺して欲しい」 と笛二に頼みます。 笛二は姉の首に手をかける、、 原稿を読み終えた三四郎は、笛二に会いに蕗谷家に駆けつけるのでした、、。

 

 

 

 

横溝正史 という名前でイメージする、日本的な因習と、淫靡で耽美的なトーン 美学は健在で、ましてや 蔵の中 という閉塞感と近親〇姦という背徳感が相まって、こちらのイマジネーションを増幅させられます。 ただ、中編小説原作という事もあり、前半部は話がやや薄く感じてしまう所もあります。 

 

 

 

 

原作を大事にしながらも、多少のアレンジを加えても良かったかも?と感じました。 物語が面白くなってくるのは望遠鏡を手にしてからですが、ここで一番の失敗をしておりまして、よりによって出たがりの 角川春樹 が間抜けなシーンで登場します。 その場面だけ、他のトーンと不釣り合いで、製作者のくせに映画の空気感を読めない、なんとも作品の足を引っ張るようなおふざけがありました。

 

 

 

 

蔵の中に閉じ込められている小雪と、外の自由な世界に興味を示す笛二、その姿に嫉妬する小雪という構図はなかなか上手い心理の描き方だと思います。 思春期の目覚め それによって二人の関係性が崩壊していく事になる訳ですが、、。 

 

 

 

 

姉の小雪が聾唖という設定 (小説でもそうなのか不明ですが) は、必然でありながらも大変効果的に利いています。笛二が読唇術を使い、小雪の心理を言葉に出すというのは、不自然であるように感じますが、映画を観終わると納得がいきます。小雪を演じる松原留美子の起用はその異質的な存在感や、社会から隔離されているという実際の立場も含めて、物語に強い説得力を持たせています。 その仕草と視線だけで表現されている言葉にならない叫びと、時折見せる恐ろしい表情はまるで 「能」 を見るようです。

 

 

 

 

主人公である 笛二 を演る 山中康仁 でありますが、正直少々演技に難はありました。 (但し、彼を弁護するなら脚本にも問題はあります セリフが生きた言葉ではなく、文語調なので余計に演技を下手に見せてしまっている原因であります 原作に忠実にしようとしたのかもしれませんが、今回はそれがかえって逆効果になってしまったのではないでしょうか?) しかし、これも本作を理解した上で再考してみると、合点がいきます。

 


 

 

それは私の深読みなのかも知れませんが、このストーリーの性質上こんな喋り方の感じもありなのかな はてなマーク と勝手に納得してしまう物語でもあるのです。この姉弟と対極をなす (演技面と物語上の) 磯貝と愛人を中尾彬 と 吉行和子 は見事にいやらしく、俗物的な大人の人間を姉弟とは好対照に演じておられ流石です。

 

 


 

 

 個人的に、この映画は結局、鬱屈した笛二という青年の異様な性衝動と妄想の世界を描いたもので、オープニングに登場する句 「かげろうや 塚よりそとに 住むばかり」 (カゲロウは成虫になると寿命は短く、墓に入っていなくても、入っているのと同じこだ) という言葉に笛二という青年の儚さと叶わぬ願望を描いた作品ではないでしょうか?

 

 

 

 

現実も夢もさほど違いは無いとでも言うようなものでありました。 横溝作品に期待する推理や謎解きは少なめかもしれませんが、不治の病、引きこもり、近親相姦、のぞき、SMというインモラル感が満載です。 そして蔵という存在がある種のメタファーな意味を持っていたり、当時の小説としては斬新なエンディングであったりと、普段とは違った変態的横溝作品の世界を堪能出来る作品です。  少々観客は選びますが、、。

 

 

 

 

余談ですが、鑑賞後にポスターを改めて見ると、はたしてこの絵でいいのか?と思ってしまう所もあるのですが、まぁそこはサラリと受け流して観て下さい。  やや、江戸川乱歩的な世界観もありますが、金田一耕助の映画がお好きな方なら、この異様で淫靡な世界を楽しめると思いますので、機会があればご覧になってみて下さいませです。

 

 

では、また次回ですよ~! パー

 

 

 

 

 

 

 

角川映画のミステリー作品の予告に坂本龍一を乗せてみました。宜しければです。 音譜