ティエリ・ジョンケの小説「蜘蛛の微笑」を原作にペドロ・アルモドバル監督が放つサスペンス。 最愛の妻を亡くし禁断の実験に没頭する形成外科医と、数奇な運命をたどるヒロインの姿を描く問題作。

 

 

 

 

 

 

             -  LA PIEL QUE HABITO  - 監督 ペドロ・アルモドバル

 

 出演 アントニオ・バンデラス、エレナ・アナヤ、マリサ・パレデス 他

 

こちらは2011年制作の スペイン映画  です。(120分)

 

 

 

 

  12年前妻を交通事故で失った天才形成外科医のロベルは、全身火傷を負った妻の非業を嘆き、それ以来、完ぺきな肌の開発研究に打ち込んでいました。 あらゆるモラルを打ち捨ててしまった彼は、ある人物を監禁して禁断の実験に取り掛かることにします。 それは開発中の人工皮膚を全身にくまなく移植して、被験者を亡き妻へと作り変えてしまうというものでした。 着々と妻の代役を創造させていくロベルでしたが、思いも寄らぬ事態が起こってしまうのでした、、

 

 

 


以前、ご紹介した 「バッドエデュケーション」 の、ペドロアルモドバル 監督の作品です。映画は美しい陽光に照らされた、スペインの田舎の邸宅の映像から始まりますその邸宅の鉄格子の奥の窓に、カメラが寄っていくと、全く別の世界が存在していました。そこには、窓から差し込む薄明りの中で、女性が肌色の全身タイツを身にまとい、ヨガをしているのでした (照明とカメラによって、そこはまるで絵画の世界ようで、フランシスベーコンのようなシュールな印象を、こちらに強く焼き付けます)

 

 

 


特別な説明もされないまま話が進み、少しずつこちらにも状況が明かされていきますどうやら彼女は、この邸宅の持ち主の形成外科医の ロベル によって、この部屋に幽閉されているようなのです。 部屋はモニターによって、常に監視されているようです広い邸宅には、メイドも居ましたが、今はロベルと、彼の母親、そして幽閉されている「彼女」のベラ 3人のみでした。  いったい彼女は何故ここで幽閉されているのか? 何故、異様な服装をしているのか? その謎が、現在と過去を交差した出来事によって徐々に明らかになっていくというサスペンスな構成で物語られていきます

 

 

 


医師のロベルは過去に、自動車事故により妻が全身ヤケドを負ってしまい、それを悲観した妻は娘の目の前で、投身自殺してしまいます。 その娘も、あるパーティに出た事によって、レイプされてしまい、心を病み、(母親の自殺を目の当たりにした彼女は、そのショックですでに心の病になっていたのですが、、、)ついには母親と同じように、自ら命を絶ってしまうのでした。残されたロベルは、ある人物を誘拐してあろう事か、自らの技術を生かし、自殺してしまった妻の面影を手術によって、他人を同じ容姿に作り変えてしまっていたのでした。その異常な邸宅の世界に、トラの衣装に身を包んだある男が介入してきた事によって、世界が当然のごとく崩壊へ向かって行きます。

 

 

 


これは原作小説の映画化ですが、原作を知らない為、どこまでが原作であるのか分かりませんが、監督自ら脚本を書いている事から、かなり アルモドバル 自身の考えが入っているように思います。 変身と願望そして愛、、(勝手な推測ですが)アルモドバル自身のジェンダーレスな思考と、アイデンティティを表現するには、もってこいの題材だったのではないでしょうか?その究極が、自分の心の外にまとわりついている皮膚という見た目の衣装です。 その「側」によって、「心」とは不釣り合いな、「男」、「女」、として振り分けられてしまう世界の非情さを嘆いているようにも、楽しんでいるようにも思えてしまいます。

 

 

 


映画の中でベラは、服を破いたり、引き裂いたりするシーンが何度かあります。 これはまるで決められた性別、という衣装を拒絶して、それを引き裂いているようにも見えます。劇中でロベルは趣味で盆栽をやっているのですが、盆栽は樹木に針金を巻いて、自分の思いどうりの形に形成していく芸術です。 やっている事はまったく同じ作業です。そして アルモドバル の代表作の 「オールアバウトマイマザー」 でも描かれていますが、母親に対する憧れとでも言いますか、、、「子宮回帰」の願望でしょうか? その具体的で、印象的な驚きのシーンが、今作にはより具現的に登場していました。 ( 小⇒大 )「子宮」が、すべての生命を生み出す「みなもと」だからでしょうか、、、

 

 

 


後半、殺された2人は、まるで胎児のような姿で息絶えます。 これはそう見えるように、意図的にカメラが映すのですが、やはり監督の「回帰願望」の表れなのでしょうか?ラスト、ある母親のもとに子供が帰って来る所でエンディングを迎えるのですがここでアルモドバル は私達にメッセージを投げかけているように思います。

 

 

 


そのエンディングは、不確かさを残して終わっているのですが、私はどう考えても、母親は、母親として子供を受け入れる絶対的な存在なのだという、願いにも似た強い思い。楽観的な意見かもしれませんが、 それは、この作品が アルモドバル の作品なのだから、としか言えません。 支離滅裂な説明ですいません。母親とは「子宮」のように、子供をやさしく包み込んでくれる、「絶対的な」存在なのですから、エンドクレジットにDNAのらせんが映し出される所まで一貫しています。そしてこの映画は、もしかして、ヒッチコックのオマージュにもなっているようにも思えます。 ヒッチコックの 「めまい」 に通じる所が多い事も、そして題材が、サスペンスである事も余計にそう感じてしまうのでした。

 

 

 


まだご覧になってない方もおられる為、肝心な部分は伏せた事で中途半端な印象になってしまいましたが、そこは是非ご自分の目でお確か頂ければ嬉しいです。表面的に観ると、変態医者のサイコ映画のようですが、本作もパーソナルなアルモドバル監督自身のアイデンティティと、母性を探す映画となっていますので、機会があればご覧になってみて下さいませ、です。そうそう、今作の衣装も ジャン・ポール・ゴルチエ が担当していますので、そちらも注意してみて下さいね。

 

では、また次回ですよ~! パー