北陸の田舎町を旅する哮は、快活かつ饒舌な好青年だった 同じバスに乗り合わせた中年夫婦に人なつこく声をかけた哮は、二人に包丁を突きつけて明るく強盗をするのだった 哮は駅前で全身に金粉を塗った男女と遭遇、二人に興味を抱く いつものとおり饒舌に語りかける哮だったが、二人はまったく反応しない 彼らは聾唖者だったのだ 町の若者たちに女が襲われたことから、哮と男は彼らをナイフと包丁で次々に刺し、内灘へ移動する 二人の間に入れない哮は、やがて自分の言葉に虚しさを覚えるのだった。
こちらは1971年制作の ATG映画 です (123分)
出演は 石橋蓮司 桃井かおり 加納典明 ほぼこの3人の放浪の旅が描かれます
監督、脚本は 「朝まで生テレビ」 でご存知の 田原総一朗 と 清水邦夫という方の共同
作で、田原総一朗にとって、最初で最後の劇映画作品 という所に興味が湧き、同じく
今作で映画デビューという 桃井かおり にも惹かれ、レンタルしてみました。
テレビで、多くのドキュメンタリーを作って来た 田原 でありますが、脚本が有り、演
者も言った通りに演技してくれる映画現場にはかなり戸惑い、毎日現場で悩んだそう
です。
内容はある意味とても ATG映画 しておりました 能登半島を放浪する男 哮 イ
ンテリな言葉を使い、人混みの中で演説をぶったり、カップルから金を巻き上げては
あてもなく旅する彼の目に留まった2人のカップル 興味が湧いたのか2人に付いて
行く事にするのですが、2人は聾唖でした 対照的に2人に喋りまくる 哮 3人がたど
り着いた場所は、米軍砲弾試射場の跡地 そこをねぐらに海へ入ったり、万引きで食
料を調達したりと、自由に過ごしていた彼等に村人達がやって来ます その人々を前に
インテリ言葉で演説をぶちまけますが、誰の耳にも入りません 結局 力 で退去させら
れます
海岸で過ごしていた3人に今度は自衛隊のような集団が現われ、爆撃をしかけます
その爆撃で聾唖の2人は 目 まで負傷し、てしまいます 言葉の むなしさ を感じた 哮
は、喋る事を辞め 2人と同じく、 聾唖 のように口を結びます 最後 海岸を歩く
3人に車が横切り、海岸で燃え上がり、車のクラクションが大きく鳴り響く中、何事
もないかのように、そのまま歩き進む3人の姿で突然終わり となります。映画のエン
ディング前に映しだされる詩を書き留めておきます。
「沈黙のけものたちが ひしめいて 明るい解き放たれた 塒(ねぐら)や巣の中か
ら走りでた するとわかったのだ 彼等が そのように ひっそりとしていたのは企
みや恐怖からではなく ただ 聴き入っていたためだと」 放浪者の 哮 の口からこの
ような 様々な言葉が民衆や町行く人達に投げかけられますが、聞く人は誰も居ません
この作品の発想は「イージーライダー」だと言います、バックグラウンドには学生運
動の熱が終わり、拡声器であれだけ体制に対する批判をしていた学生達が、結局破れ
社会に飲み込まれた、それは饒舌の空虚さ でありました 聾唖2人は、沈黙の饒舌さ
この対比がこの映画の軸であります 映画は、特に前半は編集が凄まじく、あえて
というよりはドキュメンタリー癖とでもいう荒い編集で、繋がりも効果も無視された
編集で、よく言えば アバンギャルド とも言えます。
体制や、警察といったものが本当に嫌いな事はよく分かる田原節はよく表れています
劇中に唐突に現われる 水死体 は本物で、撮影中見つかったので映画に組み込んだよ
うです。他にも祭りのシーン等、偶然を見つけてゲリラ撮影して取り込んだようです
ドキュメント癖でしょうか、中盤 定住場所が決まった辺りは少々退屈にはなります
(未熟さからか)カメラも偶然からか、とても美しい時もあります 残念なのは予算と
技術面の問題でしょうが、暗い撮影はよく見えませんし、言葉が(多分同時録音)聞
き取れない部分が多々あります。
ラストの車のシーンは見所です、3人の前を本当にギリギリでかすめ曲がって行く場
面 正にドキュメントであります 本作の一番の見所は、やはり 石橋蓮司のはっちゃ
けた演技です。今の面影が全くありませんが、、、 「この映画が成功していたら
映画監督になっていただろうね」 と言う 田原総一朗 彼らしい思想が満載の作品とな
っておりますので興味がありましたらご覧になってみて下さいませ
しかしT◎UTAYA で取り寄せたこの 傷があったのか2か所程停止しまして、
自分で拭き拭き いたしました それでも2,3分観れない箇所があったのであ
ります。 ちゃんとしてほしいものであります と文句が出たのでこの辺でです
では、また次回ですよ~!