明治後期、信州小諸城下の被差別部落に生まれた主人公・瀬川丑松は、その生い立ちと身分を隠して生きよ、と父より戒めを受けて育った。その戒めを頑なに守り成人し、小学校教員となった丑松であったが、同じく被差別部落に生まれた解放運動家、猪子蓮太郎を慕うようになる。丑松は、猪子にならば自らの出生を打ち明けたいと思い、口まで出掛かかることもあるが、その思いは揺れ、日々は過ぎる。やがて学校で丑松が被差別部落出身であるとの噂が流れ、更に猪子が壮絶な死を遂げる。その衝撃の激しさによってか、同僚などの猜疑によってか、丑松は追い詰められ、遂に父の戒めを破りその素性を打ち明けてしまう。

 

 

 

 

 

 

こちらは1962年制作の 大映映画 になります 日本

 

再び 市川崑 監督 和田夏十 脚本 市川雷蔵 主演 の作品となります

 

島崎藤村 の 小説 「破戒」 の二度目の映画化作品でありまして、明治39年に当初は 

 

自費出版という形で世に出された物です

 

 

 

 

物語としては、部落 出身の小学校の教員の青年が、その出生に苦しみ抜いた果てに、

 

教壇の上から生徒達に、ついに真実を告白するというお話であります  クロゼット

 

当然ストーリーはあるものの、本質的には 「部落」 という出生における差別を描いた

 

物でありまして、学の無い私なんぞは、ほぼ無知なのでして、ほとんど現在の日常会

 

話等には出てこないワードであります 

 

 

 

 

誤解し易いのは、辺鄙な山奥などの土地を指す言葉としての認識で、ど田舎者という

 

嫌味かと思ったのですが、この作品に於ける 部落 とは古い歴史があるのです 中世か

 

らもう始まっていて、賤民(せんみん)と呼ばれる、通常の民衆よりも下の身分とし

 

て扱われ、明治政府になり、他の身分と同じく 平民に編入したが、他の平民からの同

 

一の身分として扱われる事に反発され 現在でもその差別意識は残っているようです 

 

結局のところ部落 という言葉が何時発生したのか詳しい事は分かりませんでした 本 

 

 

 

 

この映画で扱われているのは 被差別部落 に生まれ出生を隠しながらも、小学生教師に

 

なった主人公の苦悩が描かれます、「炎上」 に続き悩める主人公を 市川雷蔵 が演じ

 

ております 親友を 長門裕之 が好演しておりまして、主人公が憧れる自分が部落出身

 

だとカミングアウトして作家活動をしている人物に 三國連太郎 がカリスマ的存在感で

 

登場しています

 

 

 

 

彼は部落差別者と思われる若者に殺されてしまうのですが、その妻を 岸田今日子 が演

 

じているのですが彼女が語る 「差別されたとしても、なぜそれに影響されて小さくな

 

る必要があるのか。間違っている方の尺度に合わせることはないのでは?」 という言

 

葉と重圧に耐えかねて、教室で子供達に向かって自分が 部落出身者 だという事や、

 

様々なこれまでの事を語り教壇で土下座をするに至ります ごめんなさい 現在の私達には想像

 

しえない時代だったのですね

 

 

 

 

その後妻が遺骨を持って 主人公の 丑松 と共に旅立つのですが、ここでも私個人には

 

ドキッとする言葉が作家の妻から発せられました、遺骨を持つ妻を気遣い 「重そうな

 

ので持ちましょうか?」 と、丑松 が声をかけるのですが、妻が、「いいえ、でも人間

 

の骨ってこうも重いものかしら?って、、、重いのは納めてる壺の方かしら、、」 何

 

とも意味深い言葉に感じました 遺影 この映画のテーマにも通じるものがあるセリフ

 

でした

 

 

 

 

美しい撮影、ロケーション、セットの作り込みの真剣さ、映像だけでも見応えがあり

 

ます カチンコ この日本でも、自分ではどうしようもない事によって、世間から差別され

 

る辛さは計り知れません この作品をご覧になって 被差別部落 という問題を体感して

 

みてはいかがでしょうか

 

では、また次回ですよ~! バイバイ