再構築のゴールは死別するまで | 夫婦再構築ブログ

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不倫という大きな間違いを犯してしまった僕が不倫に至ったところから再構築(8年)までの経験を書くことで、不倫で苦しんでる人の心の支えになりたい

こんにちは。アラタです。

 

自己紹介→こちらをご覧ください

 

 

 

 

 

何かとあわただしい年末が終わり

2021年が終わりになりますね。

 

僕にとっては今年の9月から記事を書き始めた

第一歩の年となりました。

 

ブログ初心者で拙い文章だし

内容も不倫した側ということもあり

不快な思いをさせるのではないか

叩かれることもあるだろう

でも

誰か一人にでも役に立ったと思ってもらえたらと

不安9割で始めた事を思い出します。

 

いざ始めてみると

役に立った

腑に落ちた

納得できた

などのお言葉や

励ましのお言葉をいただいたり

数多くのご質問をいただくなど

当初の予想とは異なる形でした。

 

ブログを読んでいただいた方

コメントやメッセージをいただいた方

リブログやTwitterでご紹介してくださった方

本当にありがとうございました。

心より感謝いたしております。

 

 

年末最後の記事とさせていただきますので

次は年明けに更新いたします。


少し僕のことを書いていきたいと思います。

僕の自己紹介にある

「再構築のゴールは死別するまで」

なんとも大げさに書いたものだなと思いますが、

この決意は今も変わっておらず

これからも変わらないことかと思います。

 

不倫がバレ、再構築を始めた事頃の僕は

どうすれば許されるのか

どうすれば以前のようにやっていけるのか

どうすれば消し去ってしまえるのか

こんなことばかり考えていました。

(先に書きますが、許す許されるでいえば)

(許されないことだと思っています)

 

毎日妻から不倫の話をされるのも嫌

ふとした時にフラバされるのも嫌

自身の行動を疑われるのも嫌

何もしていないのに怪しまれるのも嫌

 

そう思う原因は

僕自身がしてしまった不倫という出来事を

消し去りたかった

正しくは

妻に「忘れて欲しかった」


自分の行いで傷つけたこと

取り返しがつかないこと

以前のように戻れないこと

認めたくなかった

受け入れたくなかった

しでかした本人が拒絶していた

 

悔い改めて二度としないと

心に誓った決意だけは本物だから

妻が不倫という出来事を忘れてくれたら

無かったことにできたら

また以前のようにやっていけるという

願望を持ち

どうしたら忘れられるのか?

(妻が)考えなければよい

不倫に関連する情報に関わらなければよい

と考え(強引です)

考えなくてすむ方法を伝授しようとしたり

ネットで検索することをやめさせようとしたり

不倫のワードを出すことを拒絶したり

「妻の行動と思考を変えようと」していました

 

今にして思えば

結局自分が変わろうとせず

二度としないという決意だけをもって

その他の行動は変えない

考え方も変えない

自分本位

自己都合を優先していました

 

そもそも「なぜ不倫をしたのか?」

=他の何よりも「自分の中の何らかの欲求」を優先したから

(ざっくりな表現ですみません)

 

不倫したのも自分優先

再構築にあたっても自分優先

なんにも変わってない

 

変わった?とすれば

とてつもない失態を犯し

その失態は二度としないという

もう裏切らないという決意だけ

そんなもの

他のどんな失敗でも

同じ失敗はするものかと思うものです

程度の差はあれどそんなものです

 

こんな自分本位な僕が

妻に寄り添うことなどできず

言い合いは絶えなかったし

ケンカもたくさんしてきました

挙句の果てには

「いまだに不倫相手のことが好きなのでは?」

「その人といる方が僕の幸せでは?」と

考えた妻から「離婚」を切り出されるまで

なんにも変わらない人間でした

変わり方のわからない人間でした

 

当初の僕が求めていたのは

「許し」「赦し」ではなく「忘却」でした。

僕自身忘れ去りたい

妻にも忘れ去って欲しい

こう願っての言動ばかり

 

〇は夫婦で過ごした1年として

・・〇〇〇〇〇 と夫婦で今までを築き

○○○● と不倫という裏切りをし

この●を消し去って

〇〇〇  〇〇〇 と今まで通りを続けていきたい

これを妻にも強要した

 

妻からすると

・・・〇〇〇● となったら

次は〇なのか●なのかすらわからなければ

むしろ〇が続いた分次は●が来るだろうとすら見える

目のまえの裏切った僕はどっちなんだ?と

〇が来てほしいと願い、

信じようとすればするほど

不安材料を消すために疑い、疑心暗鬼に陥る

「そもそも記憶から消せるわけがない」


裏切ることは今までの全ての否定と同義で

不倫中の別人の如く変わり果てた僕を見て

愛している夫を失った喪失感すらある


「忘れられるわけがない」

 

僕はした側で

自分の都合や考え、心情から

次は無い、二度としないと決心して

反省したとしても

 

妻は妻で

二度とこんな思いをするのは嫌だ

どうすれば不倫されなかったのか

やり直すにしてもどうしたら再発しないのか

自分の何がいけなかったのか

なにを信じたらいいのか

と出来事から経験から学び取ろうとします

また、なにがあったのか

どんなやり取りがなされていたのか

相手へどんな感情を抱いていたのか

知らずにはいられない

 (なおさら忘れられない)


特にした側の僕の

何をもってに二度と不倫しないと言えるのか

一度裏切った人間の何を信じればいいのか

こう考えるのは当然のことだと思います

 

対して、した側の僕は

自分自身の感情、考えですから

「二度と不倫しない」は本心だと

間違いのないものだと

「自分自身は理解できます」

自分の気持ちは自分で理解しても

伝わらなければ意味がない

伝える方法を知らないし

模索してない

 

 

 

 

こうして書いてみると

根本からズレていて、

取る言動、考え方が変わり

求めるものが全然食い違っていく

 

一番大きな問題はコレ

 

そもそも「なぜ不倫をしたのか?」

=他の何よりも「自分の中の何らかの欲求」を優先したから

(ざっくりな表現ですみません)

 

不倫したのも自分優先

再構築にあたっても自分優先

なんにも変わってない

 

僕は「たまたま」変わるきっかけを妻から得た

妻に与えてもらいました

妻の愛情の深さには感謝しかない

 

僕が書いてきた記事は

不倫に関する自分の内省や考察と

再構築を考えている男性に向けて書いたものがあります。

 

よく妻から何度も言われる

何度も問いただされる

不倫の話をしないでと言ってもする

不倫する女性の話を教えてくる

感情をぶつけられる

罵詈雑言を浴びせられる

と僕自身のことですが

不倫発覚から再構築当初に多かった

妻の言動の根っこは何でしょうか?

僕が嫌いでやっているのでしょうか?

貶めようとして?

辱めようとして?

根っこにあるのは「愛情」だと思います

 


裏切られた人間に対して

二度と裏切られないために

一番確実で簡単な方法は

「関わらないこと」だと思います

 

 

それにも関わらず



何度も聞くのは

不安を払拭したから

安心したい、二度とあんなことはないと信じたい

信じるためには疑うのは当然

 

何度も話すのも、教えてしまうのも

自分の気持ちを、相手の程度の低さを

わかって欲しいから。わかっていたら

引っ掛からなかった、二度としないで欲しいから

わかっていたら回避できたと考えてしまうから

 

感情をぶつけるのも

罵詈雑言を浴びせるのも

自分の痛みをわかって欲しいから

他の誰にでもなく受け止めて欲しい人に

「わかって」「受け止めて」とぶつけ

受け止めてもらうことでの愛情を感じたいから

味方であると感じ、安心したいから

 

人の感情なので

こんなわずかな言葉で表現しきることは

できません

僕はやり直すに値する人なのか

やり直すことが正しいのかという

葛藤もあることだと思います

ですが

自分を裏切り、死に至るような傷を負わせた

人間と未だに何らかの形で共に過ごしている

わかろうとしている

理解しようと努めている

感情をぶつけ、受け止めて欲しいと思っている

この時点で何か感じませんか?

打算や損得だけではない何かを感じませんか?

 

信じるために疑い

同じ失敗をしないための情報を伝え

受け止めて欲しいと感情をぶつける

 

逆の立場で考えたとき

僕は、あなたはこんなことできますか?

深い愛情が無ければできなくないですか?

とてつもなくすごいことだと思いませんか?

 

これに気づけたとき

僕は自分の愚かしさと

自分本位での言動の浅はかさを反省し

自分のしたことと妻に向き合ったとき

不倫という出来事は一生消すことのできないもの

妻の傷も一生残ってしまうことを認め

今からでも最大限の努力を払い

台無しにしてしまった妻の人生を

より良いものにすると決心した時の言葉が

「再構築のゴールは死別するまで」でした。

 

今年一年が終わり

大体ですが再構築から2000日超

経ちますが、僕たち夫婦の間で

不倫の話がでなかった日は「0」でした。

話の中身の変容はありますが

(深刻なものや言い争いに発展するものはほとんどなくなりました。下手したら冗談半分に僕をからかうのに使われることもあります)

これからも出続けることかと思います

 

長々と取り留めのない記事になってしまいました。

 

改めて

 

本年は誠にお世話になりありがとうございました。

また来年もどうぞよろしくお願いいたします。

良いお年をお迎えください

 

アラタ

 

 

 

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